ただ「道」というと、どうしても東山魁夷の名画『道』が浮かぶ。いまでは画伯の展示会に行くと必ず観るが、最初に観賞させていただいたときの感激というか印象が大きい。あの緑と空に真っ直ぐ走る一本道の衝撃が大きい。土色濃い、舗装されていないあの道が、希望や夢につながって見えた。
このところ歩く都会の街路は、道には見えない。わたしの道は延々と曲がりくねってつづく砂利道。小学校のときは一里4km の砂利道を歩いて通学した。高等学校への道が四里余り17km を自転車で通学した。郵便配達で使い古したお下がりの今でいうボロ・ママチャリだ。朝学校に向かうときは、一時間。学校が終わって帰宅するときは二時間かかる。
砂利道やほこり舞い上がる道は、郷愁なのだ。どうしても、舗装された都会の路は、疲れる。どこに続くかわからない宇多田ヒカルの道ではない。EXILEの「思い出の道」かも知れない。その道が、ときどき時間を止めるらしい。このように歌にも多い”道”だが、道を画いた絵も多い。東山魁夷だけではない。哲学の道や朝の道や〇〇への道なる絵画は多い。
武者小路実篤の「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」まで覚悟して喜寿を迎えたわけではないが、吾道一以貫之(わが道はいちをもってこれをつらぬく)(論語)。とはいえこれは、わが道ただ一つということでもない。目の前の一つ一つのことに(すなわち、どんなことに対しても)、心も体もひとつにして(無心にして)向き合うことと、自分を戒めている。
ただ誠実に生きようと、自分に言い聞かせている。多謝。
このところ歩く都会の街路は、道には見えない。わたしの道は延々と曲がりくねってつづく砂利道。小学校のときは一里4km の砂利道を歩いて通学した。高等学校への道が四里余り17km を自転車で通学した。郵便配達で使い古したお下がりの今でいうボロ・ママチャリだ。朝学校に向かうときは、一時間。学校が終わって帰宅するときは二時間かかる。
砂利道やほこり舞い上がる道は、郷愁なのだ。どうしても、舗装された都会の路は、疲れる。どこに続くかわからない宇多田ヒカルの道ではない。EXILEの「思い出の道」かも知れない。その道が、ときどき時間を止めるらしい。このように歌にも多い”道”だが、道を画いた絵も多い。東山魁夷だけではない。哲学の道や朝の道や〇〇への道なる絵画は多い。
武者小路実篤の「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」まで覚悟して喜寿を迎えたわけではないが、吾道一以貫之(わが道はいちをもってこれをつらぬく)(論語)。とはいえこれは、わが道ただ一つということでもない。目の前の一つ一つのことに(すなわち、どんなことに対しても)、心も体もひとつにして(無心にして)向き合うことと、自分を戒めている。
ただ誠実に生きようと、自分に言い聞かせている。多謝。