吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

地震津波被災巨大損壊がれきの撤去処理について

2011年03月28日 | Weblog
東日本大震災がいままでの大自然災害と異なるのは、巨大”津波”がもたらした災害と破壊し流した損壊物だ。がれきと言われる。住宅家屋や壊れた建物の屋根や壁および倉庫や塀や窓枠などと倒れた電柱や道路のガードレールに混じった漁船やその他の船舶および自動車などだが、がれきと言うには大きすぎるものだ。津波が運んだ田圃への塩海水も”がれき”仲間だ。

津波に流され紛失した町役場や市役所の資料も多い。戸籍簿や住民票および住民の資産などを記した登記簿台帳などが流出し紛失したことによる各種証明だ。当座の死亡証明や埋葬許可および転出転入手続きや学校転校転入などに加え、期限も忘れた免許証の更新や急な海外渡航のパスポートなどへの対応だ。がれきの中にひょっこり出てくるものもあるかも知れない。

ふだんでも、工事や建築現場および解体現場や企業事業所からの産業廃棄物などの処理には多くの問題が散見されるが、この度の”がれき”は、一気に巨大に発生したところに問題を難しくしている原因がある。姿かたちもいろいろで、片づけたり動かしたりすることも難しい。損壊し漂流している船舶や家屋があったり、岸壁に打ち上げられた漁船や街の中央まで流された破損船舶もある。津波に流され損壊した自動車やトラクターや重機類もある。

加えて、多くのがれきが”泥だらけ”だ。泥のなかに、家族や住んだ証しの思い出の品物や位牌などがあったり、証券や重要書類や大金の入った金庫などがあるかも知れない。持ち主がいなくなっているかも知れないが、できるだけ本人やご家族のもとに届くような仕組みや安心を設計してほしい。

損壊しても価値の残るものもあるかも知れない。姿かたちはそんなに壊れていないけど、まったく使用できなくなっているものもあろう。持ち主でなければ”価値”を判断できないものもあろうが、その持ち主が見つからないことも多いのではないだろうか。撤去したがれきをどこにどう置くのだろうか。廃棄焼却していいものとどのくらいかわからないが定めた置き場に置いておくものと、どのように区分したらいいのだろうか。

県や地元自治体と住民や政府および自衛隊や警察などは、いそぎ撤去や置き場の計画と同時に、関係者全員で多くの被災者に納得される処理方法を合議してほしいと願う。
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国の大きさ国の小ささ、アラカルト。

2011年03月27日 | Weblog
何かの大きさや小ささは、どのようなもので計るのだろうか。見る角度や単位など、使うモノサシで違ってきそうだ。使うモノサシの違いで、大きくも小さくもなる。国の大きさや小ささも同じだが、ここは思いつくままに少し覗いてみよう。

大きい小さいというと、まずは面積だと思う。世界で最も小さな国をみると、ツバルだ。オセアニアあたりにあって、面積26km2 人口1万人もない国だ。ふだんはバチカン市国あたりが最も小さいのではないかと思うかもしれないが、バチカンの人口は83万人とツバルの90倍なのだが、面積はツバルの100分の1.6ほどの440m2しかない。面積だけでなら、やっぱりバチカン市国の小ささには負ける。

面積の大きさだけでみるなら、何といってもロシアが中国やアメリカの2倍弱もあって世界一大きい。だが、人口は日本とあまり変わらない1億4000万人とそんなに多くない。No.1 は圧倒的に中国の13億6000万人、日本やロシアの10倍以上だ。世界No.1 の経済(GNP)大国アメリカの人口は、3億2000万人と日本やロシアの2.5倍ぐらいなのだが、中国はそれに10億人プラスした13億6000万人だ。

最近でこそ、中国は日本を追い越して世界第2位のGNP経済大国になったが、それでも中国や日本は、アメリカ(USA)の3分の1の規模経済なのだ。国民一人当たりの国民所得はアメリカが47,930ドルだから、世界No.1かと思ったら上には上があり、一人当たり所得の世界一は、リヒテンシュタイン公国の99,000ドル(2位;カタール88,000ドル)なのだ。日本(38,130ドル、約420万円/年)の2.5倍強だ。

世界には、日本の100分の1ぐらいの一人当たり国民所得の国がたくさんある。世界一貧しいブルンジ共和国は、年140ドル。つぎがリベリアの170ドル。平均一人一日0.5ドルで暮らす国もあるのだ。貧しい国の代表のように見られているエチオピアは、280ドル、バングラディッシュは、年520ドル(一日あたり1.5ドル)なのだ。一日1ドルにもならない国や1ドル前後で暮らす人々が、想像以上に多い世界なのだ。

このように貧しい国の国民は、いのちも短い。ジンバブエやザンビアの平均寿命は、44歳。最も国民平均の寿命が長い日本の83歳より40年も短い。このような国の人口が年率20%強も増加している。これら貧しい国の人口の増加プラス平均寿命の延びが、これからも世界の食糧問題や国づくりに大きな問題を投げかけているのだ。

国づくりや暮らし設計にあわせ、人口や食糧問題および宗教や共感できる価値観など、多くの国とその人々などといろいろ考え、協議しなければならない問題が多くなるただ今の世の中なのだ。
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腹八分目生活で探そう筋肉質の生活。

2011年03月26日 | Weblog
2011年3月11日の東北関東巨大地震津波災害は、想像を超える規模だ。家や土地を流されたりした人々が50万人ぐらいはいそうだ。20万人から30万人ぐらいの方々が、避難所ぐらしだ。亡くなられたかたが約1万人、いまでも行方不明の方が約2万人おられると聞く(3/26、現在)。

東北地方太平洋側で失われた土地は、どのぐらいになるのだろうか。当該被災県レベルでみると、日本全国の土地総面積の15~20%(約60千km2)ぐらいになるから、大体全国(土地)の5%ぐらいが失われたように推量される。日本全体でみると、大方70%が森林土地、耕地と住宅地(含む、工場等)などがあわせて30%(うち、都市部3%)ぐらいとしての推量だ。

はっきりしてることは、日本の原子力発電は総電力の20%近くをシェアしているということだ。電力エネルギーからみると、わたしたちは現在の80%ぐらいの電力消費レベルの生活や経済の設計を急ぐ必要があるということになる。人口レベルからみても、このたびの被災県域の人口は約5~600万人だから、全人口のほぼ5%にもなる。

もっとも深刻なのは、被災された企業、工場、住宅および社会的インフラや生活は ただいまの5%でなく、長年積算された見かけ5%だということだ。トータル20~30%ほどの資産損壊になっていそうだ。当面、腹八分目の暮らしにならざるを得ないのだが、これでいままで通りの暮らしを求めなければならないということだ。

八掛けで10を確保する経済や生活をするためには、筋肉質での高い付加価値創出が欠かせないが、そのための材料や環境が10%~20%程度破壊されていそうだという難儀がある。ふだんは、小さいと思っている部品一個なくても、自動車も電気製品も食品でも完成品にはならないのだ。1%欠けても100%(完成品)にはならないというところに、八掛け経済や生活の難しさが内在されているのだ。筋肉質の高い生産性を探求しなければならない私たちだ。
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50年ぶりにお会いしたクラスメイトは、棺の中。

2011年03月21日 | Weblog
まだ戦後の貧しさが残る昭和30年代の半ば、わたくしたちは高校3年生でした。いま、このたびの東北巨大地震の被災濃い茨城北部の小さな町が、わたくしたちが通う高等学校でした。多くの生徒が、まだ舗装されていない砂利道の県道を、自転車通学していました。

わたくしたちのクラスは、確か45人ぐらいでほとんどが男性でした。4人ほど(?)の女性徒がいました。全員成績ベストテンに入る女性徒たちでした。机はアイウエオ順に配置されていましたが、彼女たち4人は最後の列にいました。どちらかというと自分の近くでしたが、彼女たちとオシャベリしたことは一度もありませんでした。

ですから突然の訃報を聞いて駆け付け、お会いした棺の中の彼女とは一度も言葉を交わしたことがないということになります。来年古希を迎えるわたくしたちですが、いままで結婚しないで活躍されていた女性が何人かいます。それぞれ、社会的に責任ある活躍をしてきたいわゆるキャリア女史です。1960年代の半ば、大学を終え就職した彼女たちは、日本の女性の社会進出の先鋒者でした。

わたくしたちが働き出したのは、昭和40年(1965)でしたから、戦後の復旧復興時期を終え「さぁ、これから高度成長」という時期でした。女性がフル・マラソンを完走する(東京国際女子マラソン、1979)ようになり、男女平等が叫ばれたころでした。やっと、1985~6年男女雇用機会均等法が施行されたころのクラスメイト女子は、みなさん、それぞれの分野で大活躍でした。

その一人の彼女は、まだ60代だというのにガンという病魔にさそわれ、いま棺の中でした(3/19)。ご苦労様でした。これからを静かな世界で、安らかにお過ごしください。

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情報は、踊ったり、曲がったりする。行方を見極めて発信してください。

2011年03月20日 | Weblog
情報を商売にしているが、情報が邪魔にもなる。ふだんの終日の多くは、ビジネスにかかわる情報にふれている。世間や世情についての情報の多くは、インターネットやNHKのテレビからだ。あまり余分な情報が付いてなく、助かる。

結構テレビ画面に頼る土日は、大変シンドイ。東北巨大地震と原発事故で、ほとんどのテレビが、その情報発信にしのぎを削るのはわかるが、いつまでも毎日④も⑤も⑥も⑧なども、どこのチャネルも金太郎アメだ。おそらくもっとも電気を使っているであろうテレビ放送が、民放何社かを輪番制にも、計画性にもしないで、電気を大きく浪費し、”節電しよう”と言っている。

このような時期、やたらのCM放映はまずいとテレビ広告出稿を控えたようだが、どのチャネルも「何々何エイシー(AC)」とやっている。広告を自粛したらしいのに、「何々何エイシー!」を繰り返す。いい加減、気づけよといいたいが、いい世の中づくりの広報だから・・・と自分肯定している。視聴者のストレス増殖ばかり広げる。つぎの日より「エイシー!」(声)を止めてのCMジャック・ACの利己さ加減には、バカとしか言いようがない。世情が見えていない。

それにしても、枝野官房長官がよく顔を出す。わかりやすく、一所懸命、誠実に政府情報を発信してくれている。しかし、あまりにも事実を、そのまま、正しく公表公開してくれると、情報は結構悪役する。数字や事実は、それ自身正しいと、余計悪さをしたりする。健康に影響しない程度(数字)なので、冷静に行動してくれと言って結局、不安や悪さを煽ることになる。

たまたまの6検体のほうれん草から放射能が検出されたといって、それがCTスキャンの5分の1回程度だから、健康への影響を心配するほどではないという。そのすぐあと出荷を停止したと県の知事がいう。この報道がひろく茨城県産ほうれん草のみならず、県の野菜全般の明日からの不買になることを思わない。思っているのだろうが、思いと方向は異なる。危機管理の要点の一つは、情報管理だろうに、情報の扱い方や発信のマニュアルもないようだ。

象のお尻をなでるの図でも、たまたまのものでもなんでも”事実”だから、即公表や発信は、そのあとへの思いに無責任にもなる。早く、そのまま、正確には、原則だが、よくよく考えて、情報を発信してほしい。
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予測も計画もいい加減な計画停電騒動

2011年03月18日 | Weblog
天災や事故は突然起こる。予測や予報通りにいかないのがアクシデントだ。事故や天災だ。マグニチュード9.0などという史上初観測の巨大地震が襲ったのも、科学や人智を超えた天災だ。事故だ。

超現代的で超高度な科学技術の申し子だと思った原子力発電が、思うほど高度な代物ではないということを教えた。科学者やマネジメントと現場の大きな隔たりを知った。バケツ・リレーで大きな火事に向かっているような図だった。

巨大地震や巨大津波に加わった原発事故で、東京電力の電力供給が大幅な不足になった。日本のエネルギーは、大体石油50%弱、石炭や天然ガス20%強ぐらいで、80%ちかくは化石燃料だとむかし聞いたことがある。原子力は10~15%ぐらいと思われる。福島原発が東京電力の15%か20%ぐらいだとして、この騒動は何だ。

まるで、本日全部の電力供給ができなくなるという騒ぎだ。最大3時間ずつの輪番(ローテーション)停電といっていたと思っていたら、つぎの日は計画(プログラムド)停電だという。JRや私鉄および大手企業の協力は、大きく普段のCSRもどきを越えていた。さすが、日本の優良企業だと思った。にもかかわらず、東京電力の計画や執行および説明のお粗末は何だ。お役所以上だ。

庶民の節電協力は、すごい。通勤の往復や地下鉄や駅の節電への協力も日本人らしくすばらしいが、それ以上にマンションのエレベーターや照明やエアコンおよび各家庭の電気のセービング努力は大きい。多くが計画的でない計画停電執行への大協力騒動だと誇りたい。少しでも、もっと協力したいが、東京電力は、もっと泥をかぶれ。
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イメージされる人口の大移動と新しい国づくり。

2011年03月16日 | Weblog
むかし、世界史などでゲルマン人の大移動などを教わった。いまは、エジプトやイラクなどにおける戦争難民やその受け入れ問題などを中東やアフリカに教わっている。

このたびの東北地方太平洋沖巨大地震と福島原子力発電所事故のダブルパンチ。もっとも心配されるこれからは何かを考えたい。まだまだ、われわれも現地の人たちも災害の実態をつかめていない。わたしたち遠い地に住んでいる者は、テレビや新聞に乗る情況しか知らない。全部知った気になる。現地で被災された方々は、情報が遠い。ご自分の周りしか知らない。全部知った気になる。

だれが、本当の事実や真実を掌握しているのか。東電なのか、政府や県なのか、現地の自治体なのか。市長や町長さえ行方不明の現地自治体の機能情況も不明だ。全体像の掌握とともに大事なのは部分像だ。連絡も取れない以上に誰が何処に連絡や助け依頼をどう入れるのかわからない。孤立や情報難民が多い。住宅や土地難民に加わる情報難民が、現実は生活難民をこえ、生きる希望の難民になりそうだ。避難所や避難地の確保とそのあとへの希望的展望がいる。

半径3kmや半径10km外地域への避難をと東京電力や政府が言った。つぎの水素爆発を見た政府や県が、20km外への避難を言いつぎの日、半径30kmまで広げる。半径30kmの人々こそ今回の地震、津波の被災者なのだ。避難したくとも出来ない人々が多い。大津波に流されたり、跡形もなくなった我が家の最後の確認もできない人たちだ。福島、宮城、岩手の太平洋側のロードサイドや街にあったスーパーやファミレスや瀟洒な建物などは、どこに消えたのだろうか。土地が喪失したのだ。

復旧の問題も喪失だろう。旧に戻すことは不可能に近い。復興というのか、再開発というのか知らないが、地域の大改造の設計と人々の合意がいるだろう。土地や住まいを越え、”ふるさと”が消えそうだ。そして、遠く市街や町外から県外に移ることになろう。住み慣れたふるさと東北をあとにした人口の大移動の行く先は、おそらく東京メトロポリタンエリアだ。埼玉や神奈川や千葉や茨城の首都圏寄りエリアは、国と一体になりその受容構想を考えねばなるまい。

日本の姿が変わるということだ。ただいまを越え、そのあとを考えることが大事だと思うのだが、きょう明日の食料や暖の確保に加え、原発事故と放射能対策が邪魔をする。何とかするのが、政府菅内閣や野党も含めた国会議員諸氏だ。お願いする。
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おそろしい光景・・・(?)

2011年03月14日 | Weblog
 2011年3月11日(金)のコンビニ(ストア)は、都内の夕方。まるっきり、店の棚に商品がないのだ。2時46分の地震のあと、2時間と経っていない。水や清涼飲料水やビールに加え、パン菓子類やインスタントラーメンやスナック類など、とにかく棚の商品が全部売り切れてないのだ。残った総菜的なものやビール的なものなどを買って、数人での時間過ごしをした。

 そして、翌土曜日の朝、走り出した地下鉄で帰宅した。相変わらず、棚が空っぽのコンビニやパンや即席食品のなくなったスーパーだが、覗いただけでその日が過ぎた。翌日曜日(13日)、おコメがないのよという家内の買い物に、ポーターよろしくついていった。そして見た怖ろしいスーパーの光景が、ガラーンとした空いた棚だけが目立つ店内だった。

 コメやパンなどの主食類とドライ食品類だけかと思いきや、肉やタマゴも弁当類の棚も空っぽだ。もちろん、スナック類や牛乳や飲み物類もない。まだ、夕方の4時すぎごろだというのに、買おうと思ったものがない。おコメと今夜の夕食の材料などなのだが、ないのだ。隅のほうに残っていたおコメと、やや不満の夕食材料を買って戻った。気味の悪いオバケ屋敷を覗いたような、そんなスーパーでした。

 40年近く前のオイル・ショック時の”買いあさり”と、ちょっと様子が違うが、似たような、そんな感じだった。昭和50年(1975)を前後して起こったオイル・ショック(1973&1978)では、トイレットペーパーや洗剤などが買い込まれた。中東の原油(生産制御)不安からだったからだろう。今回のは、少々違う。ただ、我欲。自分がきょう、これより、何かを不足する不安からの開放を思ったのかも知れない。政府や菅総理が、”落ち着いて・・・”といっても、そうは行かなかったのかも知れないが、何ともサムイ光景だった。

 安心や信頼ほど大事なことはない。我欲や利己だけの自由競争原理がいかに虚しいか、自覚したい。なかよく、信頼し合って、先んじたりしないで、静かに過ごす、そんな世の中にすることが、今回の震災の教訓のような気がする。
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20110312東日本巨大地震のなかの福島原子力発電所事故。

2011年03月13日 | Weblog
東北地方太平洋沖地震がながい。8.8という史上最大のマグニチュードがオリジンだが、つづく余震が大きくつづく。ほぼ同期する巨大津波が災害を拡大する。港町につづく町や村を飲み込む。つい先ほどまで住んでいた住宅や街がなくなる。

そして、福島原子力発電所の保安危機や爆発事故の報道だ。巨大企業や政府の危機管理の様子が、リアルに報道される。地震と原発事故や原発危機管理は、先の柏崎原発や美浜原発で勉強している。それよりもなにより、米スリーマイル島原発事故や旧ソ連チェルノブイリ原発事故の教訓がある。

だが、今回の大地震津波災害中の福島原発危機だ。最新の高度技術日本の原子力技術でさえこんなだ。われわれ人間のおごりを学習することになった。おそらく、これからの原子力発電所の建設や操業に大きな課題を投げかけることになるだろうが、人間の自然や地球の怒りへの対応が問われる。戦いと共存の関係および地球や人類の持続可能性とのアライアンスをつきつけている。

世界中の日本以外の国々も、日本全国の原子力発電も同じだが、私たちの想像を超える巨大自然災害と緊急危機管理システムの設計や危機管理活動の体制や仕方が問われている。今回の福島の第1原子炉→第2原子炉→第3原子炉の危機管理や情報発信やその内容をみるに、第4,5,6原子炉やその他の原子力発電所への波及不安まで思わせる。

とにかく、地域の人々の安全確保と不安除去を最優先してほしい。ガンバレ。
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20110311は、史上最大の震災大津波による地域喪失。

2011年03月12日 | Weblog
観測史上最大級のマグニチュード9の大地震。2011年3月11日の大震災は、悲惨だ。4メートルも10メートルも超える津波が漁村や街をのむ。田畑や町が水没する。大きな住宅やクルマが漁船にまじって流される。そして、火災が広がる。

海浜幕張のドラッグストア・ショーをみて、新木場から京葉線を乗り換え有楽町線で帰る。地下鉄の電車が永田町についた。その時(午後2時46分)揺れた。ものすごい揺れだ。大揺れの電車が怖くなりホームに飛び出した。ホームのゆれもスゴイ。立っていられない揺れだ。動かなくなった長いエスカレーター階段を上って、駅を飛び出した。

しっかりした建物に入り、気持ちを休めたいと都市センターホテルのカフェに入る。そこで、第2派茨城沖の大地震。近代的な建築ビルが気持ち悪いほど揺れる。きしむ。何かがガタガタ音をたてる。外の樹木が大きく揺れる。ころあいを見て、街路に出た。すぐ近い事務所まで歩いた。

ひとり事務所の余震は、いままで以上に気持ちわるい。30分間隔に揺れる。きしむ。ガタガタ、ギーギー、何か書き物でもと思っても手が進まない。PCのキィが、地震情報をクリックする。災害の様子が映る。ひとりはさびしいので、外にでた。電柱やビルボードなどの揺れを見ながら、平河町から二番町に向かう。

メールや電話が通じないので直接向かったのだが、仲間がいた。ひとりより、何人かがいい。気持ちが休まる。だが、ここも揺れる。コンビニで入手してきたというビールも、そんなにウマイもんじゃない。テレビに見いる。そして、帰宅不能を知る。仲間との夕食のあと、ここの主森ちゃんのベットを占領することになった。そして、開通した地下鉄で朝の8時すぎ、帰宅した。

何ができるだろうか。このわたしに。どのようにどのような支援ができるか、迷う。少しでも、自分なりに、被災された人々や地域の支援をシェアしたい。
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