吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

感染拡大阻止の要諦は、規制かワクチンかそれとも人々の行動か心か。

2021年09月26日 | Weblog

ここ3~4ヵ月のわが国の新型コロナウイルス感染者数の増え方が、激しい。2021年5~6月(5/11~6/11;30日間)の(累積)感染者数の伸び率が、日本(全国)24.6%で世界(全体)は16.4%。日本は世界の1.5倍。ここ一ヵ月(8/20~9/24;35日間)のそれは、日本が世界の3.5倍の増え方で、日本34.3%、世界9.5%だ。

この9月24日の人口10万人当り感染者(累計)数をみると、世界平均2,980(30人に1人)に対し、日本はその46%レベルの1,365人(死者数;世界60人に対し日本14人)と低いレベルながら、ここ1ヵ月(8/20~9/24;35日間)の増加率は、日本は世界平均の3.5倍と大きい。同期間の感染者増加率は、日本34.3%で イギリス17.7%、アメリカ14.5%が、ランキング1-2-3位。

日本の(コロナ)ワクチン接種も、やっと先行するアメリカ(接種率54%)を超えた(56%)。数え方(母数)によっては60%ともいわれる。ワクチン接種率をどのように(完了)数えるかは、1回接種で済むもの、2回接種のものなど色々あるが、9月20日辺りでの接種(済)率70%超と言われる中国、スペイン、カナダなどや、60%以上スミといわれるドイツ、フランス、イギリス、イタリアなどあるが 20%未満のインド、インドネシアなどと、10%にも至っていない国々も多い。

65歳以上高齢者の接種率90%といわれる日本の全体としての接種率は、56%とも60%とも言われる。母数を総人口(12,500万人)とするか12歳以上辺りにするか(11,500万人)によっての違いだが、どうやら12歳~64歳辺りの接種率は、まだ50%ぐらいで”半数”は未接種。ブースター接種云々をあとにして、まずはこの若者や働く人々への接種を完了してほしいと願う。

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「山を買ってキャンプ」放映(テレビ朝日)の無責任?

2021年09月24日 | Weblog

2021年9月23日(木)は、秋分の日。秋彼岸(9/20~9/26の7日間)の中日だが、コロナ禍を事由に先祖(田舎)への墓参も止めた。そんなコロナ自粛在宅の休日。朝7時台の「グッドモーニング」(⑤テレビ朝日);待望のエンジェルス大谷選手の45号特大ホームランを視たのはいいが、続く放映「山を買うブーム?」には大落胆。ご丁寧に”価値ある山の見分け方”・・・など。この”価値”って何だ。

テレビ朝日さんの”取材や番組放映”のコードや姿勢は、巷の私には”わからない”ことばかり。事実や真実を放送すればいいなのか?高い視聴率が取れればいいとお考えなのか?・・・3年ほど前だったと思うが 「山を買ってキャンプ」なる放映に触れた。バブル期終わり頃だったか、ここ十年ぐらいのことかハッキリとは言えないが、確かに郊外や中山間地の”山”は荒れ放題。耕作手入れ放棄で、売り買いもつかない状態だから・・・だ。

300坪(1反歩)や1ヘクタール(10反歩)単位で100万円や500万円で、買えることも多い。原野化した放棄里山など”タダでも売り買い”(譲渡)が成立しない山林も多い。「タダが、100万円や50万円になる」のだからと、山や山林なる”土地”を手放す人もいる。このような情況に乗って、売買(仲介)する業者も多い。「山を買ってキャンプ」がブーム(?)になり、山(小さな山林の土地)が買われる。10年20年先の山の保全も見えない人々が、小さな山土地を買う。

友人3人で、300坪の山を150万円で買う。ひとり50万円。国道から少々離れた中山間地の山。コンビニもなく不便に見えるが、景色や空気が最高。年に何回かのキャンプ・レジャーを楽しもうと、自分たちの所有になった山林の樹木を伐採、藪の草刈りや整地をし、トイレや炊事場をつくった。キャンプ用のテントや道具を買い揃え、3家族はじめてのキャンプをした。

年2~3回のキャンピングを楽しむつもりが、2~3年後には年1回も 3家族揃わなくなった。それでも 年1~2回の草刈りや周囲の手入れなどが、結構億劫になった。いつしか、大幅に利用頻度が低くなり、転売などを考えるようになったが 売れない。10年経ち20年経って、ほとんど利用しなくなり行かなくなって、草刈りや手入れにも行かなくなった。放置、放棄だ。

このような姿の山にする短絡買いが、日本の山々や環境を破壊するのだ。このような将来にならない見通しや責任をもって、「山を買ってキャンプ」を放映したのか?その時の世情や事実を放送すれば、あとのことは知らないとして、地球環境の保全やサステナビリティなどを放送しているのか、問いたい。50年後、100年後の山の保全に責任が持てない人たちの 山の所有は、無責任の極みだ。都会のメディアTVの無責任を糺す。

 

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15年と6ヵ月(5,670日)の私のブログ史抄録

2021年09月22日 | Weblog

2006年3月11日第1回目の出稿をした私のgooブロフが、丸15年と190日を過ぎた。満15周年記念(2021年3月12日)の私のブログ(1,417回)は「寿命の向う!-その先を思う」だ。それから3ヵ月半後のブログ(1,449回)は「このところ多いゲリラ豪雨と雷豪雨」(6月26日)。

この15年半の私のブログは、1回篇 本文A4-1頁で挿絵や写真画像を含めても3頁ほど。15余年平均すると 大体3~4日に1回ほどの出稿発信を5,670日続けトータル1,475回投稿発信してきた。平均年95回前後だから週2回前後投稿発信してきたことになる。このブログへのアクセスが、2021年9月18日現在 延べ37万1,600人延べ検索頁数89万5,200ビュー頁となった。

このブログを始めた頃(2006年3~4月)を振り返ってみると、出稿発信して2~3ヵ月は、挿絵やスナップ写真も入らない読みにくい文章のみの日記か随想記のような感じだった。記事も「新富裕層は、BoBos 属?」や「アンビバレンスの高まり」(いずれも2006年3月)など、個人的な関心事に終始した。

ブログ発信初年度のその後も「会社の品格」(4月/2006)や意味不明な「社会人基礎力」(5/14/2006)など、代り映えのしない題目で過ぎた。少しづつ目線が社会的に広がり、2021年に入り「放題放題&放置少女や"しっぱなし”横行」(1/10/2021)や「国会や国会議員の質疑答弁や振る舞いを憂う」(1/30/2021)や「アフガニスタンの不幸とドローンの不幸」(8/31/2021)などになった。

少々視野が広がってきたことを、寛容に受け入れてほしいと願う。これからも、よろしくです。

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とにかく、何事も「始末」することが大事の話

2021年09月17日 | Weblog

いま住み暮らしている地域は、自分ひとりのものではない。居住し生活している地域に限らず、人類を含む動植物生きもの全体で共有している地球だが、自分の暮らしている地域も国も地球も、多くの人々や生きものたちと共同して共有してくらしている。まずもって大事なことは、自分以外の人々に迷惑をかけないこと。共有している地域や環境を大切にして暮らすことだ。

その第一歩が「始末」。井原西鶴の「始末、才覚、算用」(日本永代蔵)の”始末”は、商人だけの心得ではない。まずは この巷で暮らす人はすべて、何事も”片づけること”(始末)が大事。社会生活の必須の要諦だ。わたくしが居住している東京は板橋区の3R広報ではないが、「か、た、つ、む、り」の最初の”片づけ上手”が 始末の第一歩。ちなみに、「か」たづけ上手、「た」いせつに使う、「つ」かい切る、「む」だにしない、「り」さいくる。

日常生活で出る「ごみ」は、行政が、産業廃棄物は回収処分業者などが回収し、処分してくれる。環境や地球の保全を壊す「ごみ」は 年々増加している。寿命やライフサイクルが来た原発や放射線汚染使用済核燃料に留まらず、高層ビルや道路や社会インフラなどの補修解体廃棄材などの社会産廃ごみなどは、ほんの一部。老朽化したり、無用化廃墟化したハコもの施設や住む人がいなくなった廃屋などに加え、台風や豪雨などの自然災害に被災した田畑や山林や耕作放棄地などは、すべてゴミになる。”始末”放棄のゴミが膨大になる。

とにかく、「始末」が大事になるが、始末できない/始末しない人々や施設や行政が増える。個人的な始末に加え、行政や社会が責任始末しなければならない「ごみ」が増えるのだ。地域や国や地球が壊れるのだ。小さいうち、すぐ始末するクセを見につけてほしい。

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きょうは「老人の日」。令和三年九月の主な暦日と老人。

2021年09月15日 | Weblog

令和三年(2021)九月(長月)の主な暦日を列記すると、つぎのとおり。

・9月 1日(水) 防災の日(関東大震災記念/ 前日8/31:二百十日)

・9月 7日(火) 白露(旧 八朔8/1)

・9月 9日(木) 重陽(重陽の節供/ 菊の節句)

・9月10日(金) 二百二十日

・9月15日(水) 老人の日(9/15~9/21:老人週間)

・9月20日(月) 敬老の日(彼岸入り)

・9月23日(木) 秋分の日

昭和25年(1950)、何となく決められたような「としよりの日」(敬老運動)が、翌昭和26年社会福祉協議会(現)の提唱で9月15日を「老人の日」に、同日から21日までの一週間を老人週間とすることになり、昭和41年(1966)国民の祝日「敬老の 日」(9月の第3月曜日/ 平成15年より)ができた。

国の少子高齢化問題対策としての政策として、子どもや年寄りの少子化や高齢化に対する福祉社会政策が注視される世の中にあって、子どもの日(端午の節句)などや「としよりの日や老人の日」「老人週間」や「敬老の日」などと、行事日や祝日を作ってくれることは嬉しくもあるが・・・。

高齢者の仲間(79歳)である私だが 早くも今日(9/15)、後輩の社長に”老人の日"の二人昼食に招かれた。コロナ自粛在宅日々の ストレス緩和への計らいと感謝して、本稿を投稿して出向く。多謝。

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重陽の節供の巷は、コロナ禍真っ盛り。

2021年09月09日 | Weblog

9月9日は、五節句(節供)のひとつ「重陽の節句」。1月1日に代えての1月7日「人日の節句」3月3日「上巳(桃)の節句」5月5日「端午の節句」7月7日「七夕の節句」につづく9月9日の「重陽の節句」。季節の節目となる暦生活行事ゆえに「節供」といわれるが、旧暦から新暦に生活が移って少々、実際の季節とズレがみられるようになった現在。

五節句の暦月日は、すべて”奇数”(陰陽の陽)重なりなのだが、とくに最後の陽(天)の重なりの9月9日が「重陽」の節句となったという。どちらかというと、一年で”最も縁起のよい"日の重陽の節句だが、他の五(四)節句(人日の七草、上巳の桃、端午の菖蒲や鯉幟、七夕のたなばた)に比べ、菊の節句は印象が薄い。

一年で”最も縁起がよい”重陽の9月9日(2021)なのだが、9月12日(期限)までの第5波緊急事態宣言が9月30日まで延長されるとの告知。2021年9月9日時点の世界(全体)の新型コロナウイルス感染者(累計)数は、2億2,200万人同死者460万人。日本(全国)の累計感染者総数160万人同死者1万6,500人。

人口10万人当りにしてみると、(累計)感染者 世界平均2,880人(5/11:2,060人)同死者60人(5/11:43人)に対し、日本の(累計)感染者は人口10万人当り 1,290人(5/11:530人)同死者13人(5/11:9人)。日本(全国)平均は、この4ヵ月感染者数2.43倍、同死者数1.44倍と 世界(全体)平均の感染者数1.40倍、死者数1.40倍を上回って、感染拡大している。

このところ(2021年8月~9月上旬)の東京や首都圏3県および大阪や名古屋方面の感染者増加を、ただ人流の増加やデルタ株のまん延拡大や緊急事態宣言の延長告知などを言って過ごしている無為を改めなければならない。重陽の節句が、重陰の節句にならないよう施策を改編執行しなければならない。

 

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多様性と調和を主訴した東京パラリンピックが(2021年)9月5日閉幕したメモ

2021年09月07日 | Weblog

新型コロナウイルス・パンデミックの中、2020東京五輪(2021年8月)のあとを受けて2021年8月24日開幕、実行された東京パラリンピックが 9月5日閉幕した。「多様性と調和」をうたって実施された13日間にわたった大会が、幕を下ろした。スリー アギトスと we have wings のコンセプトは、多くの人々に浸透したと思う。

コロナ感染の急激な拡大禍中にあるここ日本は東京での開催が、強く批判を受けている中でのパラリンピック東京大会が無事全日程を終え、この日9月5日の閉会式を迎えたのだ。新型コロナウイルス・パンデミックを越えて、「多様性と調和」の理解と人々との共有を求めたのだ。

心身の障がいや違いを認め 尊重し合った代表選手たちが無観客の競技会場で、闘い 演技 競争することを通して お互いの特性や違いを認め合うことができたら、大変な前進だろう。パラリンピックの対象人口は、世界人口の15%ぐらいだと言われるが、ここ東京大会々場に集ったパラリンピアンの人々が、お互いの違いを認め 差別や障壁もない人類の未来に向けて、強く歩むことになれば 、大成功だろう。

競技の結果としての「金メダルがいくつ、総取得メダルがいくつ」なる誇示に終わることのなく、多様性(ダイバーシティ)や調和への理解とレガシーが得られれば、コロナ禍を超えた大会だったということになろう。

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