吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

まち(地域コミュニティ)づくり考

2009年02月28日 | Weblog
 最近よく聞く地方分権や地方自治だが、現実は中央集権というか国の行政や政治へのチカラの重みが増しているような気がする。大阪の橋本知事や宮崎の東国原知事などの発言などの多くは、国や霞ヶ関に対する抵抗のように映るが、それだけ霞ヶ関や中央省庁への権力が集中しているという印象をつよくしている。

 地方自治や地方分権および三位一体改革の財源、権限の地方への移行など、謳われ叫ばれた割に”どうなっている?”の印象だ。グローバル化という動きや地球市民、地球村民という国を越えそうな概念の進行との板ばさみにあって、いつまでも”チカラ”がつづく霞ヶ関の感なのだ。

 ささやかに、あてがわれる地方交付税や交付金や国庫支出金を頼りにしている最近の地方自治体は、どこもかしこも”まちづくり”や地域活性化という作業に傾注している。地産地消をテコにする地方やコミュニティを再生させようとする都会のまちなど、何やら地方自治とは何かの模索をしている姿がイタイタしい。

 戦後の復興期や高度成長期に整備された地域の道路や上下水道や建物などのインフラは、揃ってどこもかしこも痛んで、修理などもままならない。崩壊寸前なのだ。修理の予算も設定できないのだから、再構築などトンデモナイのだ。膨大な予算の検討を回避する地方自治体は、ささやかな予算で”何かやっている”演出をと、揃って自治力アップや地域コミュニティづくりなどをプロジェクト化している。

 自治力アップなどという意味不明の和洋合成語を使って、共同体や住民協業のまちづくりをするのだと、推進協議会をつくったりパブリックコメント(最近の自治体用語)を求めたりしている。地方行政とは何かをスルーし、地域社会を構成するいろいろな人々が、協業することや相互に協力する仕組みが自治力をアップさせるといっている。何を言っているのかわからない。

 地方自治体や地方の地域が元気になることを切に望んでいるが、何だかわからない自治体推進の参加と協業のまちづくりに乗ろうという気にはなれない。
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貧困のない世界への歩みを。

2009年02月22日 | Weblog
 世界には、一日1ドル未満で暮らしている人が10億人もいるという。わが国の貧困層イメージとは大きく違う。アメリカ金融危機発の昨年後半からの景気経済の後退によるわが国の失業や家を失った人々は、約10万人といわれている。ただいまのホームレス人口とも言えるが、彼らとて一日1ドル生活ほどではない。だからと言って、”手当て”が遅れていることがゆるされていいと言っているのではない。

 職や家を失ったこの間の派遣や期間従業を解雇された人々への国の公務員宿舎の一定期間の緊急貸し出し。空き家対策に困っていたとはいえ、久しぶりの官僚政府のヒット策に拍手していたが、今日の朝日新聞(2/21夕刊)に落胆した。1000戸以上もある募集枠に対してまだ2戸の応募入居だという。国が緊急措置したのだから、募集や対応や家賃保障、徴収などは各自治体がやれと”丸投げ”された自治体が対応できないからだという。バカも休み休みにしろのお役所シゴトの典型だ。

 100万世帯以上になったという生活保護世帯の増加を嘆いたものだが、この支給申請や支給業務にも結構いい加減な情況があると聞く。国も窓口の自治体もお役所シゴトに明け暮れているようだ。ただいまのわが国政府の貧困者対策は、年収200万円以下の1000万人の方々をターゲットにした施策だ。ポスト定額給付金問題の大きな課題だ。

 もっと広く世界に目を向ければ、一日2ドル以下で暮らしている人々が世界総人口の約半数だという。実に30から35億人になる。世界最貧国バングラディッシュのノーベル平和賞受賞者(2006年)ムハマド・ユヌス氏の『貧困のない世界を創る』(早川書房、猪熊弘子訳)の示唆に感激した。あのマイクロ・クレジット革命のグラミン銀行の総裁と言った方が紹介的なのかもしれない。

 貧困国の小さな村の小さな問題からスタートした女性や担保や信用のない貧しい人々への信用貸付を定款にしたグラミン銀行の成功発展が、彼にソーシャル・ビジネスと新しい資本主義を提案させたのだろうが、時代的だ。ただいまCSR(企業の社会的責任)や新市場原理主義などと言って時代遅れのままROI資本主義に固執している人々に、ぜひ熟読してほしい『本』だ。

 格差社会の解消は、まずは極貧困者の貧困からの解放から進めることなのだ。わが国の政府にもよくご理解を得たいと思っている。
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主題や本質を隠すスキャンダル報道に走るメディアと政治

2009年02月18日 | Weblog
 今回のG7の中川昭一財務金融相ほど国や日本の政治家の皆さんの信用や品格を失墜させた事件はない。スキャンダルを越えた”醜態”だ。ここ2~3日の新聞やテレビは、イタリア ローマのG7、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議の中身をお忘れのようだ。中川昭一大臣の醜態画像の繰り返し報道と辞任までのストーリイ報道のみだ。

 ことほど左様にエライ人のスキャンダルやタレンテドな人のスキャンダルは、ことの本題や本質を隠す。少し以前に行われたワシントンDCでのG7(2008年10月)での会議(世界金融危機に対処する行動計画作成)の続きなのだろうが、どのようなことがどのように決まり、どのような課題が残ったのか要領を得ない。中川大臣が、眠気まなこでサインした日本のIMFへの1000ドル(約9兆円)の融資ぐらいだが、これがどのようなシロモノかの説明もない。

 国会の本会議といえば、所信表明演説において26箇所原稿を読み間違えたとか、渦中をウズチュウと読んだとかが新聞やテレビを賑わす。予算委員会では、野党のご高齢議員が漢字ボードまで持ち込み、首相の漢字テストのようなことをやる。このような国会や政治(家)に税金を払い、国の将来を預けている国民をどのようにお考えなのだろうか。

 ヒトの失敗や揚げ足をつつきスキャンダルを責め、これを政争の具にし、国や国民のいまも将来へのビジョンも出さず(出せず)、今日明日のコメもない人たち一人も救えない政治をしている(していない)政治家の皆さんは、このような事態をどのようにお考えなのだろうか。

 野党の皆さんも(与党の皆さんと)五十歩百歩といわれないように、敵失やスキャンダルを責める際には、いつもこと裏の本質や主題への接近と私たち国民への提案を添えてください。品格や人格などヒトのことを云々できる政治家さんは一人もいないのですから、どうぞそのようなことや漢字読み遊びなどはおやめになって、国や庶民のいまや近い将来についての議論に明け暮れてください。

 一億数千万人すべてのヒトになど届かなくてもいいのです。いま困ったり、難儀しているヒト一人でも二人にでも、何か手助けや希望が届くよう政治してください。
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ニオイと香りの雑感

2009年02月15日 | Weblog
 比較的シゴトに近いところで”香り”に興味がある。とくに薔薇の香りだが、よくわからない。フレグランスといえばいいのか、アロマといえばいいのかわからないが、薔薇の香りに近づいてシゴトしている。香りよりニオイにいたく興味がある自分なのにだ。

 淋しがり屋のわたしは、ヒトのニオイや生き物や食べ物のニオイが好きだ。何のニオイも感じられない空間や生活は、淋しく怖い。もっとも、世の中ニオイが全くない空間など、めったになさそうだ。家具や衣装にも、本や事務用品にも、寒い部屋にも暖かい部屋にも、ニオイがある。ときどき臭いもあるが、多くの場合匂いだ。

 森や林のニオイ、畑や田んぼのニオイ、野山や小川のニオイやハーブなど自然や植物のニオイは、何かヒトにやすらぎを与えるようだ。ムスクなど動物性の香りよりハーブや柑橘類の果物の香りなどの方がすがすがしく感ずるのは自分だけなのかもしれない。ちょっとした非日常には、何となくのフェロモン風のニオイに郷愁を感ずることもあろう。

 どちらかというと、土のニオイほどわたしが安らぎと郷愁を覚えるものはないのだが、この東京の日常に土のニオイはない。雑木林に多いちょっと赤く柔らかい土、杉や檜林のちょっと黒いが手ごたえのある土、日当たりのいい畑の暖かい土ややぶ北に多い黒く肥えた土、どの土を手にとっても、何かを語りかけている。耕したり、踏んでくれるヒトや動物と会話したいのだ。

 土のニオイは、土の言葉だ。自然の木々や草花の香りも彼らの言葉だ。わたしがいま勉強している薔薇の香りも、薔薇それぞれのメッセージだ。そう自分に言い聞かせて、これからも薔薇や植物や自然の語りかけを丁寧に聞き続けようと思う。
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真(まこと)に近づくための恕(じょ)の教え

2009年02月13日 | Weblog
 改革と郵政の(前)総理・小泉さんが吠えた。怒りを越えて笑ってしまうほどあきれる最近の麻生総理だという。支える自民党町村派の重鎮の言葉だ。一国の総理にとって最も大切なのは”信頼”だという。信頼のかけらも感じられない麻生総理をいただいている只今の与党自民党政府だというのだ。

 信頼とは何だろう。二宮尊徳(オリジンは孔子)の五常講の仁、義、礼、智、信の五常の徳の何が信頼のベースになるのだろうか。武士道のこころの義か、それともヒトにやさしい礼か、人が二人支えあうことを源にする仁か、など迷う。いっそ五常の徳全部かとも思うが、欠けていたひとつを思った。真(マコト)だ。

 真や真の心を欠いているから”信頼”や”信頼する心”がわいてこないのだ。その場その場の思いつき、その場その場の変節を繰り返すこのヒトに”真”はないのだろうか。人は何も相手に常なる真実を求めているわけではないが、信じて”真”を求め、自らも”真の心”で接しているのだ。

 大切なのは、”恕”(じょ)。最近尊敬する友人谷内田孝さんにいただいた臨済宗妙心寺派正眼寺管主・山川宗玄老師にいただいた言葉だ。恕とは、人や動物や自然などあらゆる事象を”想いやる心”だという。根底に”ゆるす”という心があっての思いやる心だ。やさしさややさしい社会ということを通り越している行動を伴う思いやる心だ。考えをめぐらすことだ。

 知識も大事だが、自分のアタマで”考えること”や”考えをめぐらすこと”が一層大事になってきたと思う最近、”考えない”総理や政治家が出てきたことは大変不幸なことだ。自分と全然違う環境に暮らす人々や地球の反対側に暮らす人々や環境などについて、思いをめぐらし、考える政治を希望している。
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不幸な事件の多くは、役所と政治の不作為(罪)が原因

2009年02月11日 | Weblog
 三笠フーズの冬木三男社長が逮捕された。長年(?)の友人で同社顧問の宮崎氏や同社の幹部らも一緒だ。事故米を虚偽表示(転用)販売した罪(容疑)だ。いま頃だ。

 莫大な不正利得と偽装経理の疑いによる日本漢字能力検定協会(京都)への文部科学省の立ち入り検査調査が、一昨日行われた。いま頃だ。実態のない自分経営の下請け会社に巨額のお金を支払い還流させていたようだ。30億とも60億円とも言われる詐取横領も疑われている。広大な邸宅やお墓などの購入支出の実態も明らかにされるだろう。

 事故米のスキャンダルも今回の漢字検定協会のそれも主犯は役所だ。農水省はその当時の次官や担当農政局長が罰せられたとして、事故米を購入転売したり流通販売したりした民間業者にすべての罪をかぶせている。漢字能力検定協会のスキャンダルを放置した文科省も同じだ。ともに、スキャンダルの真の発生因が役所や役所の不作為にあることは確かなのだ。

 政治や行政の贈収賄や横領などを含むスキャンダルの多くの発生原因は、法律や規制などを所管する監督官庁や政府など体制側にあるのだが、行政当局や政治が正式にその罪を受けた(裁判)ことはない。

 工業用ならいいだろうということで事故米を輸入するを決め、在庫する事故米をその事故米の流通先も考えず業者に販売処理し、その販売使用先調べもいい加減の不作為でスルーしてきた農水省農政局農政事務所が主犯だろうに、業者だけが社会の裁きを受けている。もちろん、三笠フーズやその流通販売業者の罪が責められるのは当然であるが、あわせて根源を解明していただきたいと思うのだ。

 漢字能力検定協会を文部科学省所管の法人化した経緯や認証とその後の監督などを開示することや所管文科省の検査実態の開示もない。目に見える邸宅やお墓づくりなどや下請けに流れた莫大な資金をみれば、素人でも”疑念”が湧く。文部科学省の不作為怠慢は明らかなのだ。

 大変残念なことだが、この2件だけでない社会的スキャンダルの多くの主犯は、政治や行政にあるのだ。お役人やキャリア官僚および政治家諸氏の使命感や見識の高まりに期待することだけでは、とても世直しは来そうにない。残念。
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官僚国家から市民国家にチェンジできますか?

2009年02月08日 | Weblog
 キャリア官僚の典型像を見た。めったにお目にかかることのない人事院総裁氏だ。いままで、国会答弁やテレビでキャリア官僚が言い訳やわからない説明をしている姿を散々みてきたが、この度の人事院総裁氏を拝顔したことはなかった。おそらくは、国家公務員上級職官僚のトップに座するヒトは、谷公士人事院総裁のような資質を持った方なのだろう。

 彼のようなキャリアトップが、国家公務員ファミリーのトップなのだ。国の将来を考えているのはわれらキャリア官僚で、国会議員や国民やマスコミでさえ、浅薄な知識と低い思考力しかなく、とても世界や国の将来の姿や展望ができるわけがなく、ましてやあるべき将来像を構想することなど出来ないと信じている。官僚や役人がいての”国”なのだと思っている方々なのだ。

 このような種族、国家公務員というか役人ファミリーが上級な暮らしを約束されるのは当然であるし、われらの権益があるとすればそれを守ることこそ、仁義にかなう生き方だと思っている。それが、国や国民にとって利と理があることだと思っているのだ。1~2年で変わる総理や内閣の主義や権力から距離(中立)を置くことこそ国民や国益にかなうことで、そのための人事院なのだとキャリア官僚や公務員の皆さんに顔を向けているのだ。

 国家公務員上級職からキャリア官僚のトップ街道を旧郵政省で歩み、そのトップの事務次官を退官した彼が、その後の天下り、渡りを経歴するのはまさに典型で当たり前のこと。先の農水省OB元水産庁長官氏の退官後6団体への天下り渡りが、約3億円の累積退職金を得ているのだから、人事院総裁の谷氏も似たり寄ったりの経歴成果を得て、そしてその後のただいまも人事院総裁なのだ。

 ご自分ひとりがかような蜜を独り占めにすることなど、決して出来ない相談だ。ファミリーや仲間や自分に続く360万人公務員の”ゆたかな”生活がかかっているのだ。国家公務員60万人(うち、25万人が自衛官)だけではないのだ。その家族や自分と同じような理念や気概を持ってアトにつづく義士仲間(30万人、うち5千人から1万人が上級職か)を裏切ることは、わたしにはできないのだ。

 ほんの4年や8年ぐらいの命の国会議員。族議員と言ったってせいぜい10年もないし、ましてや総理や大臣など1年ぐらいで変わるのだ。30年や40年、同じ気概でファミリーする仲間というか高級官僚こそ人生の友家族なのだ。選挙ごとに移り気する国民が公務員(360万人)の十倍いたって(一般親族世帯3500万)、自分たちの立場や生活を保障してくれるわけではない。せいぜい税金という義務を納めてくれればいいのだ。

 官僚体制の脱却、国民主権政治行政の奪還は、一にも二にも天下り、渡りの絶滅からだと思うのだが、その根本は公益や独立法人や協会、協議会、研究所や財団などという名前の(外郭)団体の廃止だ。外郭団体がなければ、行政が停滞したり出来なくなるのなら”それでいいではないか”。これだけの”役人”がいて行政が出来ないなら、一度”ご破算”にすればいい。何かを減らすにも、増やすにも、施策をするにも、考えたり検討したりするにも”即、外郭団体や天下り先づくり”にするのがキャリア役人の特性なのだ。DNAなのだ。

 天下りあっせん機関や人事を内閣が所管するなどと”甘い”対応をしていては、決して変わらないDNAなのだ。国家百年が安寧するかどうかは、官僚体制があるからだと信じて疑わないムダをやめることの第一歩は、外郭団体を一気に廃止すること。つづけて、国家公務員上級職試験や採用を廃止することだ。
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