吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

偽(虚偽)の中で品(品格)を語った2007年。

2007年12月29日 | Weblog
 ブロガーのわたしの2007年を表象した言葉は、虚偽社会だった。ことし一年のブログ(吉澤兄一のブログ)をまとめ単行本にした2008年1月15日発行の本のタイトルは、『不確かな日本ー虚偽社会を糺す』(武田出版)になった。

 日本漢字能力検定協会が公募発表した今年の漢字は、京都は清水寺の森貫主により「偽」と披露された。約9万通の応募数の18%を占め堂々の一位だ。二位食、三位嘘だというから、それこそ嘘偽社会だったようだ。食が二位も頷けるが、世の中や人々の生活や命を代表するのが”食”だからだろう。政治も企業も世の中を代表する人々も、嘘やゴマカシや偽装で虚偽した年とも言える。

 昨年の”ことしの漢字”が「命」だったことを考えると隔世の感じだが、時に”命(めい、いのち)”は、盛者必衰の理を表わすようだから、(2006年漢字二位?の)時(とき)が今年、偽(虚偽)を”ことしの漢字”(一位)にしたのかも知れない。

 2005年11月出版された『国家の品格』(新潮新書、藤原正彦著)が2006年のベストセラーになり、国家や政治家の品格を問う年にもなったが、PHP出版の”品格の無さ”なのか、これがビジネスや事業の戦略といわれるものなのか知らないが、『男の品格』(川北義則著)を挟んで坂東真理子さんの『女性の品格』『親の品格』(ともに、PHP新書)と品格本や品格テレビ(ハケンの品格)がはやった。柳の下の二匹目のドジョウを当てた『女性の品格』は180万部を売って2007年の大ベストセラーになった。

 時代社会の女性の多くがこの『女性の品格』を読み、そして自分たちの品格を考えたのだから、ことさら何かをいうことは大変差し出がましいことで、自分の品格の無さを晒していると思い恥じる。しかし、品格も”親やハケン”のそれが語られ、心の品格や銀座の品格およびコピーの品格まで出てくると、その裏か表かに出てきた”虚偽”がわかるような気がする。

 2007年の政治社会のキイワード、不正表示、偽装、欺瞞、虚偽、詐称、詐欺そして未照合、記録漏れ、着服横領、不作為、事務所経費や多重複写領収書と政治とカネ。虚偽社会としか言いようがない社会での”品格”(品位や見識もあったが)だ。隔たりの大きさにビックリしたまま2007年が終わろうとしている。2008年が穏やかな年になりますように祈っている。
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時々刻々”変質”(汚染)している水を守ることからの出発。

2007年12月23日 | Weblog
 いま、水が変質している。化学汚染されている。 水は水素と酸素からできている(H2O)と思っていたが、そうでもないらしい。ピュアH2Oは、純水と呼ばれ水素と酸素以外の物質をほとんど完全に除去したもので、電気を通さない(電気抵抗が高い)と聞いた。電気を通さないのに、どうして電気分解できるのかと思っていたら、水酸化ナトリュウム(NaOH)を加えて2H2O にして水素と酸素(2H2+O2)にするのだという。最近は、高純度水を直接電気分解できる技術が普通だという。

 電気を通さない(純)水は、まずいらしい。ミネラル成分やゴミが混ざっているから、天然水やミネラルウォーターはおいしいのだという。キレイだけがいいのでもないと自分に言い聞かせていたら、もっと恐ろしい水の現状を聞いた。

 河川や小川のなどの川水が飲めなくなったのは、おいしいミネラル成分をはるかに越えるゴミという汚染物質が多くなったからだという。だから、私たちが飲む水道水は、河川の水をいったん浄水場にプールし、文字通り浄水して(上)水道で配水している。浄水場で汚染物質を除去浄水して、飲用者が繰り返し飲んでもカラダや健康を害さないように(消毒)して水道配水している。さらに、そのカルキ(塩素)臭を家庭で除去(浄水)しておいしい水を飲んでいるわたし達だ。

 とかろが、現実はこのような飲用水が大きく変質しているらしい。よくよく浄化して排出している(下水道→浄水→河川→浄水→上水道→飲用/使用→排水→下水)と思われていた家庭排水、人畜排泄排水、工業用水、医療排水その他などから流排水している医薬(品)成分や化学(品)成分が年々増えているという。人も家畜も動物も何かを飲食したり、胃腸薬、整腸剤、抗生物質、抗アレルギー物質、精神病薬やX線造影剤などを摂取し、幾分かを排泄している。過日のフィブリノゲンや抗高脂血症剤やホルモン系剤など毎年日々より多くの医薬品や化学成分の摂取排泄が多くなるのが進歩の現実だ。

 厚労省水道課と国立保健医療科学院が2006年2月と07年1月、関東関西の7つの浄水場の”水”について調査している。約60種類の医薬成分(実際はまだまだあるが)の残留実態を調べたところ、各浄水場から抗生物質、X線造影剤、抗アレルギー剤など合わせて25種類を検出したという。

 残留濃度は6~30ppt で、大人が70年単一飲用で飲み続けても健康への影響は心配ないという。有吉佐和子の『複合汚染』ではないが、人はつねに年々これまでにない多くの化学物質を摂取している。新薬、新成分、化学や科学の進歩が、年々”水や地球”を汚染しているのが現実だ。

 21世紀の新資源「ゼオライト」(天然ゼオライト/合成ゼオライト)が、その高い可能性を持ったり、ナノテクやイオン交換能力の向上が、何か今日の障害を解決してくれそうな気がするが、要は人類の謙虚さに頼ることしかないような気がする。
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『不確かな日本ー虚偽社会を糺す』(武田出版)の出版案内。

2007年12月22日 | Weblog
 改革か、守旧か”さまよう2007年日本”に追い討ちをかけた虚偽社会。不正表示、偽装、欺瞞、虚偽、詐欺、そして未照合、記録漏れ、着服横領、不作為、事務所経費、複写領収書と政治とカネ。この国の2007年のキイワードだ。

 加えて、司法も役所(政府)も”国の失敗や怠慢”の責任もとれない福田内閣の政治。薬害C型肝炎訴訟の和解(救済)決断の決着しないみっともなさ。誰が考えても原告の言い分(命の線引きなど受け入れられない)のほうが、常識的で正論だ。原告が控えている部屋を避けた裏口帰りの舛添厚労相や原告との対面会話を一度も出来ない福田総理が、ともに哀れだ。厚生労働省の役人という官僚の静かな威嚇に腰が引けているのだ。

 このような2007年とその年末を総括した一年間の私的ブログ(日誌)小論100回分をまとめ、単行本にしたのが『不確かな日本ー虚偽社会を糺す』(武田出版、2008年1月15日発行、1300円税別)だ。年金受給者の著者(私)が、現役っぽく装い毎日仕事する合い間に綴った「吉澤兄一のブログ」のまとめ。同じ出版社から出した2006年分のブログをまとめ本にしたもののタイトルは『情報幼児国日本』(武田出版、2007年4月30日発行)だったが、今年(2007)はやや社会派色のつよいタイトルになった。

 この国の2007年の政治や社会がそうさせたのだ。「あるがままを、あるがままに見る」ことに努め、主観的に正直に綴ったブログをまとめたものだが、ブログやインターネットに馴染まない私と同じ年代の方々や高齢で小さな文字やPC画面を苦手にしている方々および自分より若く経験は浅いが将来への希望が豊かな方々など、多くの人々にご一読いただきたいと願い出版した。そのご報告ブログでした。

 メリークリスマス! すべての皆様に神のご加護がありますように!
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できそうなLOHASの第一歩に、自販機のない綺麗な景観の街。

2007年12月20日 | Weblog
 過剰な二酸化炭素CO2や(フロン)ガスなどによる温暖化が、地球を崩壊させる。その時期が目前だというのに、”便利”という魔物にとりつかれている人類。電気やガスが文明や文化の源であり、多種多様な”便利”を生み出してきたエネルギーだが、温暖化や地球温暖化ガスCO2の製造排出者だ。

 今朝(2007年12月20日)の朝日新聞「声」欄に寄せられた鈴木茂さん(横浜市、58歳)の”温暖化対策は、まず自販機で・・・”は傾聴に値する。身近で、便利至上主義を疑わない我々に出来そうな(?)すばらしい施策アイディアだ。”少しだけ不便を我慢すれば”温暖化による地球環境の悪化を遅らせることが出来そうだと提起している。賛成だ。

 これだけ24時間営業のコンビニやスーパーなどが身近にあるというのに、これらの店舗数の10倍以上もある飲み物やタバコを売っている自販機がある。街を汚し、街の景観を壊し、四六時中電気を消費し、温かい飲み物や冷たい飲み物や食べ物その他を用意している。便利この上ないが、24時間営業(これも不必要?)のセルフで買えるコンビニや駅ショップなどがあれば、自販機がなくても一向に不便を感じないと思うのは自分だけだろうか。

 タバコや飲料メーカーおよび自販機メーカーや設置者などに叱られそうだが、法律で禁止/規制することは、30年ほど前の規制(酒屋やタバコ自販機)時のことを思えばできない相談ではない。素敵な綺麗な街づくりや地球の持続可能性への希望をくれた鈴木茂さんに感謝し、ご紹介します。
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内も外も「先送り」症候群

2007年12月16日 | Weblog
 問題は課題化されなければ解決へ近づくこともできない。問題状況がますます悪化する。不作為の罪作りにもなる。このところの”先送り”の問題だ。

 「不都合な真実」のゴア(前)米国副大統領は、政府の不都合な”先送り”にもかかわらずノーベル平和賞をもらった。辞退すべきが、まともな感覚だ。京都議定書自身、その実行行動の先送り情況にある主催提案国日本も同罪だから、アメリカを責めることもできない。ポスト京都の枠組みを作ることを目的に激論(バリ島)されていた世界的な温暖化対策国際会議COP13も、目的とした数値目標”先送り”だ。

 核廃棄を中心課題とする北朝鮮問題(6カ国会議)も、イラク戦争後の(国際的)処理も、日本自衛隊のインド洋上給油問題もテロ特措法も、すべて”先送り”になっている。

 10年20年と”先送り”してきた年金(不照合未照合)問題や小さな政府歳出削減と財政再建問題なども、すべて先送りの連続。不作為という罪にさえ昇格している。C型肝炎(訴訟/救済)問題や和解問題も”先送り”している。先送り不作為のたびに死者が出ているというのに、罪も責任もない不思議だ。

 消費税増税や法人税を含む所得税の見直しなど、政府の財政再建や国債削減が急務にもかかわらず”先送り”している。地方への税源移譲や独立行政法人の削減も先送り状況だ。すべて、よく議論を重ね、着実に実行していくと言って”先送り”する。

 拙速でもいい、即断即決で”ヤル”為政者はいないのか。うまく行かないこともあろう。効果が出ない状況も出よう。レビューしたり、チェックして”ダメだ”と思ったらやり方を変えればいいぐらいの感覚はいけないのか。”不作為”こそ、失敗や責任が問われない最も確実な方法だと言い聞かせて公務員や政治家になったのですか。先送りが症候群化しないことを願う。
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ちょっと早いクリスマス・コンサート。

2007年12月15日 | Weblog
 12月に入れば街は、クリスマス一色。その気になる。ことのほかあわただしい今年の師走の自分だが、たまたま時間を得た。12日、文京シビックホールでのクリスマス・コンサート東京吹奏楽団を聴きに出かけた。めったに吹奏楽のオーケストラを聴いたことがない。音楽音痴の自分は、吹奏楽団といっても高校生のブラスバンドぐらいしか思い浮かばない。

 自分が時々足を運ぶ音楽コンサートは、大抵オーケストラ管弦楽団だ。バイオリンやビィオラなどの弦楽器を前に、フルートやクラリネットなどの管楽器とティンバニやシンバルに代表される打楽器とピアノがあるオーケストラだ。よくわからないクラシックをゆったりリラックス気分で聞くには、このバランスがいい。とくにバイオリンがいい。

 自分には、初めての吹奏楽団だが、ウィンドオーケストラやシンフォニックバンドなどともいうらしい。いわゆるブラスバンド(金管楽器バンド)とは違うのだ。この12日の東吹(東京吹奏楽団)は、時任康文氏の指揮だ。自分になじむタイプではないが、音楽は楽しいものだと教えてくれる指揮者だ。

 喧騒や軽躁を避けて落ち着いたゆったりの瞬間を得るには、ピアノ四重奏や弦楽四重奏などがいいのかも知れないが、たまには今日のような吹奏楽団のオーケストラもいいものだ。気が晴れる。

 昼間の忙しくした疲れを吹き飛ばして帰宅した少し早めのクリスマス・コンサートでした。
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再配分政策が公平性を高めますように!

2007年12月12日 | Weblog
 いま日本は、格差社会。所得、資産、地域、暮らし、医療までみんな格差。富める者と貧しい者のレベル差が大きいのだ。一億総中流などは、遠い昔。何につけても、努力しなくても汗しなくても”リッチ”な人々と、努力しても汗しても少しも所得レベルや資産レベルが上がらない人々の両端に分かれる。それどころか、働く仕事や場所がない人や働く機会がない人たちも多い。

 所得格差を示すジニ係数は年々高くなり、10年前(1996)0.44だったものが現在(2006)0.54ぐらいになっている。10%分の人々が、貧富の両端に離れたということになる。税制面や社会保障面で所得(格差分)の再配分政策を行ってきてはいるが、その実効をみると0.44が0.36に、0.54が0.39になっただけだ。まだ格差は大きい(0.36が0.39に広がっている)。

 市場原理自由主義こそ公平のドクトリンだとするアメリカや、これを強めて政治した小泉日本は、経済活性や経済成長こそ結果として”豊かさと公平”をもたらすだろうと信じ、いわゆる構造改革をすすめた。結果、格差の拡大をもたらした。

 よく格差というと所得格差をいうが、実は根源的には資産(不動産や金融資産)格差が大きいのだ。働かなくても汗しなくても”ゆたかに暮らせる”人々と、働いても汗しても”貧しくしか暮らせない”人々に分かれる要因は、資産格差だ。

 所得再配分政策が、単に所得税(含、相続税)や消費税あるいは固定資産税あたりに照準をあてているようでは、格差解消にはつながらないのだ。年金(支給)や生活保護の対象の再検討だけでも不足だ。人々の公平な資産評価、土地や住宅および証券や金融資産を正確公平に評価し、これらの要素も含めて所得を再配分する総合的な政策を考えることが大事だ。

 高資産家の100万円と低資産家の100万円にかかる税率や社会保障負担額は違ってこそ、公平に近づくのだと思う。
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先週(12/1-12/7)で、国家公務員倫理週間は終わりました。

2007年12月10日 | Weblog
 国家公務員が職務上守るべき行動規範や倫理について規定した国家公務員倫理法や倫理規程というもの(ルール取り決め)があるのをご存知だろうか。多くの国民は国家公務員、なかでもキャリアや官僚と呼ばれる方々は”エライ”と思っているので、わざわざそのような法律や規程でルールや規律を定めなくても、常識的な規範や倫理に悖る行為をするような人はいるはずがないと思っている。

 12月1日から7日まで、運動的に決められた国家公務員倫理週間を前に起きた守屋前防衛省事務次官スキャンダル。キャリア国家公務員への国民の信頼を大きく失墜させた。つぎつぎに明るみに出た納入受理年金の着服横領などは、”倫理”外の詐欺横領の罪で裁かれる悪事だが、利害や利権がらみの国家(含、地方)公務員や政治家の倫理の低落は、目に余る。

 官僚や政治家とは誠に不思議な人種で、「自分たちの堕落や倫理はずれのスキャンダル」を正さなければ、国民の信頼を失うという危機に面したりすると、直ちに”自分たち種族を守る”行動にでる。自分たちで自分たちを監視する(偽装)審査会や委員会などをつくるのだ。自分たちの”天下り”場所をつくるのだ。国家公務員倫理審査会がそうだというのではないが。

 ”何かをやっている”ことを広く広報訴求告知するために、運動週間をつくる。この活動のための予算や広報するための予算を組む。交通安全週間や防火/防災週間など数えればキリがない。その手の国家公務員倫理週間なのだ。こういうキャンペーン週間は作らないより作ったほうがいいのかもしれないが、何かズレている役人や政治家だ。キャンペーンの告知パンフレットや標識ディスプレイあるいは広報広告活動などの経費もバカにならない。予算化し、予算(税金)をつかう。

 国民の疑惑や不信を招くような行為を防止するための自分たちを偽装するルールや規程など考えなくてもいい方に、国家公務員や政治家になって欲しいし、そのような倫理はずれが出るような組織や仕組みをそうならないようなそれに変えることを急いでほしい。
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国(政府)のタンス預金

2007年12月07日 | Weblog
 国にヘソクリがあるという。霞ヶ関埋蔵金という人もあるが、タンス預金だ。おおっぴらな”隠し金”は、はるかに想像を越える。

 国は、毎年毎年の歳入と歳出を考え、予算を立てる。歳出計画に不足する金額を、国債を発行して辻褄をあわせる。大きな(予想外の)災害などの復旧に特別な出費が嵩んだり、経済や景気が予想以上に後退したりして税収が減ると、補正予算を組む。だから、素人考えすると、まさか”隠し金”というようなタンス預金が政府にあるなどとは考えても見なかった。予算はいつも、入金(歳入)イコール出金(歳出)で、残高ゼロが常識だと思っていた。

 2007年12月7日の朝日新聞朝刊に要約掲載された「主な特別会計の積立金残高」は、16特別会計合計210兆8000億円。国家の歳出総額544兆円(一般会計80兆円、特別会計460兆円、政府関係機関4兆円)の4割近くにもなる。国債総額約800兆円(地方公債を含む)の4分の1に匹敵する。思わぬ出費や予想外の金利変動に遭遇した場合と称し、公的な”裏金づくり”をしてきたのだ。

 いわゆる「霞ヶ関埋蔵金」は、この約200兆円の10%20兆円あたりのお金を言っている。タンス預金が増えれば増えるほど、お金の流動性が低くなり、経済や景気が後退するのだ。政府というか国家が、景気の足を引っ張っていたのだ。

 政府や財務省は、これら以外の公的な外貨準備(外国為替)資金を100兆円規模で持っていながら、このくらいの特別会計積立金は必要にしてミニマムだと嘯く。国民一人ひとりの血税意識など全くない官僚王国日本なのだ。タンス預金を隠し、情報公開などをいう今時の役人や政治家なのだ。
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探検と冒険ー自分に出来ることは生活探検。

2007年12月02日 | Weblog
 約40年、自分の仕事は「生活探検」と言い聞かせ、自分なりに邁進してきた。それで何が出来、どの程度人々のお役に立ったかは心もとない。ただ、大学を出て直ぐ市場調査や社会調査を専門にする会社に就職しただけで、市場調査→社会調査→生活調査、そして市場探検から生活探検を専らにするようになった。

 生活探検を基軸にマーケティングを考えるようになったキッカケは、35年前発刊された「探検と冒険」(朝日新聞社、全8巻)であった。自分の知見、体力、気力ではとても”冒険家”にはなれないと思い、探検それも身近な社会やサブカルチャーと人々の生活の”探検家”になろうと決めたのだ。

 昨日週末の休みのウォーキング途中に立ち寄った植村直己(北極圏1万2千キロ)写真展に見た極寒の地グリーンランドや北極圏横断(犬そり)走破などは、文字通り”冒険”だ。キヘンではないケモノヘンだ。予め危険を承知して挑む挑戦(冒険)とは異なり、探検は、目的を探査して自らの目や肌で実地検証する仕事だ。そう言い聞かせて、自分の身の丈の”仕事”になりそうな探検、生活探検を志した。どちらかというと、ケモノヘンよりキヘンやノギヘンが好きな自分だからかもしれない。DNAがそうだからかもしれない。

 お陰さまで世の中の動きや流れに何とかついて来られたと感謝している。仕事の対象が、人々の生活だし、社会や市場および人々の行動でやや民俗学的だったことも続けられた理由だ。今和次郎や柳田國男の民俗学や今西錦司にあこがれた若い日の自分の興味の範囲だった。自分の足で赴き、自分の目や肌や感覚で対象を確かめることは、自分への真実検証(主観)インセンティブが高い。社会統計データや定量的な社会調査などの利用で世の中や人々のことを分析し、推量することも多いが、平均や%などのデータや客観性といわれるもので自分が納得できないことが多かったことも、”自分の目や肌や感覚”で確かめる作業に自分を向わせたのかもしれない。

 情報社会や高度情報化社会といわれる時代社会ですが、何と言っても自分が自分の目で見たことはそれ自身”事実や真実なのだ”と思うことを続けたい。自分のアタマで思考(主観)したことを丁寧に説明することが大切な時代になっていると思うのだ。
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