吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「ラストゲーム(最後の早慶戦)」を観ての今日の”教育”考

2008年08月30日 | Weblog
 特別することもない今日の休日の土曜日、涙涙の「ラストゲーム」(最後の早慶戦)をみて帰った(午後3時)。

 ”これが教育か”と感涙して帰り、今日の新聞の教育問題記事を読んだ。2008年8月29日、大分県教育委員会は、08年度に採用した小中学校、高校の教員118人のうち21人が不正合格だったとして、その採用を取り消したという。自分(大分県教育委員会)たちが採用して、不正合格採用だったのだというから呆れる。

 118人のうち21人が、得点の”かさ上げ”(不正)合格だということは、本来は合格していたであろう21人が”(合格)得点に至らず”(不正)不合格になっていたことになる。何と、118人(採用数)ベースに対して往復42人の”不正”があったことになる。異常な数だ。毎年毎年この程度の規模の不正をつづけ、受験者や子供たちと地域社会を欺いてきた罪は、大きい。

 昨日まで自分たちが教わっていた先生が、不正に採用された先生であったということを知った子供たちに何と説明するのか。子供たちや学校を通じて(真実を)知った親たちは、どのように子供たちに説明するのだろうか。

 同日発表された文部科学省の全国学力調査結果とあわせて、多くの問題を知った教育関係者や親たちは何を問題視するのだろうか。学力や教育の地域差、学校差、教え方差に、地域(県)の都道府県教育委員会の不正(非不正)格差がどのように影響していたのだろうかなどを知りたいと思ったりはしないだろうか。

 涙涙の感涙だけの「ラストゲーム」にもかかわらず、教育についての原点を厚く、深く教えてくれているようにこの映画が映るのは、少しかなしい。
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定額減税は、うれしいものですが。

2008年08月28日 | Weblog
 定額減税は、いつも嬉しいのイメージなのだが、このところそんな話をよく聞いたり、読んだりする。総選挙が近いのかなという感じもいままでと同じだ。政府の総合(緊急)経済対策は、いつも総選挙前に打ち出される。多くの場合、景気刺激対策としての「定額減税」が目玉になる。正直、うれしい、助かる。

 減税分を(赤字)国債発行をすることも”お決まり”だ。べらぼうな赤字国債を累積加算することも”ヨシ”としたりするが、正直この国の将来に多大な不安を抱く。いま、アラサーやアラフォーといわれて汗し、働いている人たちが還暦を迎えるころの日本を案ずるのだ。自分の世代がよければいいでは、あまりにも勝手だが、年末調整や期末3月の申告などで”還付金”がもらえたりすると、ついただほくそ笑んでしまう自分がコワイ。

 歴代の内閣が、景気後退で国民の支持を下げたときの延命策として、(総選挙)選挙対策として掲げる施策は、いつも総合(緊急)経済対策という補正予算。あわせて、財政健全化だが、赤字国債を発行して”財政健全化”はない。しかし、選挙民にとっても、政党(与党)にとっても響きよい言葉を並べなければ、選挙や支持率アップの目玉にはならない。

 いつの内閣でも、このところのいつの総合経済対策でも、大体5~6兆円規模の所得税や住民税の減税になるのも”お決まり”だ。定額だから、中所得者、低所得者に相対的に”アツイ”ように響く。選挙で票(数)を稼ぐには、手っ取り早いのかもしれない。あの構造改革は、どこに行ってしまうのかなのだ。

 即効性や一時的、限定的な施策が、すぐに効果を失くし、先行きの不安を増幅させるだけであることは誰も知っている。バラマキが、一時的で、後の財政赤字や不安を拡大させることは誰も知っている。派遣社員や非正規雇用でも”雇用”や労働に変わりはないという構造改革派のいい加減さも知っている。

 どのような展望で、どのような国づくりをし、どのように私たちの将来不安を払拭してくれるのかを示してほしい。政権与党も、対抗する野党も、ビジョンや展望を確信や納得できる数字やシナリオで示してほしい。
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反町ジャパン、星野ジャパンの敗退考

2008年08月24日 | Weblog
 北京オリンピックの閉幕とあわせて、暑い2008年の夏が終わった。処暑を過ぎればいつもながらの秋の気配だ。

 オリンピックの中国について、オリンピック後の中国について議論百出だが、自分たちの東京オリンピックやその後をみれば、ただ時代や進歩が40年ほど遅くなっただけの中国だ。とやかく批判的にいうことを止め、ポストオリンピックの経済や国づくりの先輩としてのアドバイスあたりにしたほうがよさそうだ。

 北島康介の世界記録での2連覇の金メダルや女子ソフトボールの金メダルに、多くの国民が感激した。横文字になったとはいえお家芸の柔道のメダルや女子レスリングのメダルも、多くの人々のスポーツ関心を高めた。

 期待が高かっただけに落胆したのは、反町ジャパンや星野ジャパンなど典型的なチームスポーツの敗退だ。多くの人々はそれを遠慮がちに”監督のせいでもない。代表の選手諸君はよくやった”と口々に話す。組織や代表選考や強化や管理などの問題と、それ以上に日本の代表であるチームを反町ジャパンや星野ジャパンとおそらくは長嶋ジャパンと称して以来のマスコミの命名あたりがもたらした問題にフタをしている。

 タレンテッドな監督をタレンテッドに扱い、特別扱いをし、特別メニューの練習やチームづくりをさせ、中味のない期待だけを膨らませたのは、マスコミなのだ。不自由のないゆたかな国になったこの国のスポーツ振興をどのように考えるのか、プロ・アマにかかわらず文部省やスポーツ団体にかかわらず、多くの国民が参加して考えることが求められている。

 そこそこいいメダルをとった個人競技と、メダルにも届かなかった多くのチーム競技についてもそれぞれ分けて考えることが大切だ。オリンピック・スポーツと多くの人々が楽しむスポーツとどのような関係で広がるのか、考えてほしい。
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間違いと失敗ばかりのジコチューのやさしい親切

2008年08月23日 | Weblog
 「ABCホールは、どう行けばいいのでしょうか」「EBCホールは、その十字路を左に行き、2つ目の信号を渡ったところの左の建物です」。実はABCホールは、十字路を右に行った方向にあるのだ。逆だ。しばらくして、ABCホールとEBCホールと聞き間違えていることに気づいた。すでに後の祭りだった。

 「このように考えているのですが、やはりAでしょうか」「そうですね。Aも考えられますが、市場や消費者の受容性を考えると、Bだと思いますが」などと、確信と親切でアドバイスした一年後、他社のAが世の中の主流やブームになっていることも多い。

 控えめに外に出さないように、やさしさや親切に努めることをふだんのモットーにしている自分だが、これが世に言うアダになり「失敗や間違い」をヒトに与えてしまうことが多い。場所や駅や行く方向などを、ふだん行き交うヒトに尋ねられ、あやふやのままや確信してヒトに教え、これが間違っていたり、遠回りさせたりする結果になっていたりする。

 「下手な親切ややさしさは、ほどほどにしなさい」とよく親に言われ、そういう親の親切やおせっかいを見て育った自分には、「見ない、聞かない、知らない」ふりが出来ない。自分に出来ることならヒトのためになりたいと、余計なお世話に走る。気をつけようと思うが、ジコチューの性分がこれを止めない。

 自分を大事にしようと思うぐらいヒトに迷惑を掛けまいと思うのだが、浅いジコチューの親切屋の自分が勝手をする。出来るだけ余計なおせっかいや間違いや迷惑にならないよう心するが、今日も親切心がうごめく2008年夏でした。
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西濃運輸HG組合健保の解散が、伝播しないことを祈るが。

2008年08月21日 | Weblog
 5万人強の組合員を擁する大手企業健康保険組合が解散したという(朝日新聞、8月21日朝刊)。当組合健保加入者は、国が運営する政府管掌保険(社会保険庁)へ移行する。

 組合健康保険に加入している現役従業員たちの不安は大変なものだと思うが、このような事態の背因に多くの国民が抱く不安が増幅することを心配する。このたびの後期高齢者医療制度に伴う支援負担増がキッカケでもなさそうだ。前期高齢者納付金や退職者医療制度への支出負担が加重になったようだ。

 後期高齢者を線引きして切り離したとはいえ、退職者を含む高齢者関連負担は想定以上に多額の負担支出になるという。この負担増を保健料月収の8.1%ではまかなえない。10%程度に引き上げなければならないという。企業の収益も上がらない、雇用されている労働者の賃金も上がらないなかで、徴収する保険料率を上げることもできない。3すくみなのだ。

 全国の組合健保(約3000万人)の平均報酬月額37万円に対し、約3600万人が入っている政府管掌健保加入者の平均報酬月額は28万円だ。組合に対する国庫負担金は組合保健への負担金の25倍も多い政管健保への移行が増える様相に対し、国はどのように対処するのか。国の健康保険制度をどのように考えるのか。

 後期高齢者医療費の半分は、国が負担。前期高齢者医療費の大半は現役加入者の保健料で賄っている。組合保健が立ち行かない展望は、加速する高齢社会化が示している。高齢者3000万人時代。働いていない年金以外の収入のない高齢者が、本人たちの医療費や介護費を賄えないことは自明。現役世代が負担することになるのは当然なのだが、それを組合保健にのみオンブできる姿はすでにない。

 国の負担は、当然国庫や税金。ムダ削減は当然だが、現行の歳入でカバーできなさそうだという情況は多くの国民が知るところだ。消費税でいくのか、福祉税のようなカタチでいくのか、広く世論に問う作業を政府が率先してほしい。
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隣家隣人の関係の日中関係を憂う。

2008年08月15日 | Weblog
 この夏は、文字通り「北京オリンピック」の夏だった。”参加することに意義がある”と謳われたオリンピックだが、現実は国と国との繁栄や国威を示す様相が強まっている。東京オリンピックの日本と北京オリンピックの中国が示す国や国民の姿は、同じだ。

 国と国の垣根を越え、国と国の争いや関係を越えたスポーツ競技が、その垣根や関係を越えた良好な関係づくりに効果するというが、自分にはそれが実感できない。個人競技ばかりではないオリンピック競技での団体やチーム競技での”争い”や応援が示す国と国や国民と国民の姿にガッカリする。特に、サッカーやバレーボールなどのアウェイ者日本チームに向けられる中国の応援に見受けられる。

 決して忘れられない修復のできない関係なのかと思う日中、日北の好ましくない国と国や国民と国民の関係。日中や太平洋戦争における日本人の残虐殺戮行為は、どのような反省後悔や謝罪修復の行為をもってしても消すことができないものだったのだろうが、これを反日嫌日感のまま放置しては何が二国間や国際の関係改善外交なのかと思う。

 このような戦争や殺戮への恨みや復讐に加え、戦後の復興や経済発展に見られる相対的な発展と低迷が引き起こす羨望や妬みが、反日や嫌日感情を増幅させている。恨みや妬みの裏側の対抗者への”悪者”視感の存在が、理解→信頼→友情なる関係の修復や構築づくりの障害になっていると思われる。

 たまたま隣合って住むことになった住宅住民の関係と同じでは困る。隣家隣人のどうしようもない関係、本当に親しい良好なお隣さん関係か、どうしようもなく仲の悪い口も利かない挨拶もできない関係かの修復処方箋はない。靖国の問題やギョウザ事件の問題も、このところの日中の経済関係やオリンピックの問題も、その根っこに恨みや妬みや悪者視感からくる国民感情があり、その戦争や事件の世代伝承と抽象化による増幅があることを認識しなければならない。

 この北京オリンピックを終えた中国と日本の関係改善と、より高いレベルの良好で相互信頼をベースにする関係構築がすすむことを願う。
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日本一(最高)気温の高い陶磁器の町・多治見行きの真夏記

2008年08月12日 | Weblog
 岐阜の多治見か、埼玉の熊谷か、このところの最高気温。熊谷も多治見も、あるいはやはり夏の気温の高い甲府の共通しているところは、盆地という地形だが、昨日(2008年8月11日)名古屋から多治見に入り、それを実感した。岐阜県は日本の中心の地にあって夏の暑さを代表する地であるが、なかでも多治見市はその筆頭だ。灼熱の暑さだ。

 仕事仲間やこのところ親しくさせていただいているプランドパリの上村さんご夫妻たちの暮らす多治見行きを願ってやっと時間を得た2008年8月11日。名古屋を経て真夏の最高気温の町・多治見に入ったのは、その日の12時ちょうど。東京も暑いが、岐阜・多治見の暑さは、アツサが違う。

 東京でばかりお会いしていた大五さんの出迎えを得、彼のクルマでまずははじめての多治見のランチ。おいしそうなお店の多くがお休みの多治見は、どうも月曜日に休むお店が多いのだという。さっぱりとおいしい”うどん”のランチセットをいただき、まずは奥さんやスタッフの待つ上村陶磁器さんにお邪魔した。

 上村陶磁器の社長さんやプランドパリの澤田さん(大五さんの奥さん)や、たまたま訪れていたアートガーデンやフラワーガーデンのデザイナー古橋くみ子さんにお会いし、滝呂町の美術陶画家 大坪高明さんを訪ねた。皆さんすばらしいアーティストで、穏やかでやさしくナチュラルな人たちだ。

 大坪先生宅を辞し、可児市の花フェスタ記念公園に向ったが、大五さんのクルマのエアコンが不具合なのかと思うほどの道中の暑さ。午後3時半ごろ、そのコンクリートアスファルトに反射する暑さが痛い花フェスタ公園に着いた。世界のバラ園のバラたちが、灼熱の土にあって水が欲しいと悲痛な叫びをあげていた。細い石だたみを抜けてついた「ターシャの庭」に伊藤左紀子さんを訪ねた。自然、グリーン、ハーブ、お庭の草取り姿がやさしいグリーンアーチストだ。何かを教わった気がした。

 澤田さんのアンジェリカ(プランドパリ)でのオシャベリのあと、一緒に案内役をかってくれている森ちゃんを含め4人での夕食。食事のあとのジャズスナックのソルティドッグが今日一日の暑い多治見歩きを癒してくれた。翌日、まじめな仕事の打ち合わせをはじめてのプロフェッショナルさんたちとして、12日午後2時美濃太田から岐阜を経由して名古屋から午後五時東京に帰った。暑い真夏の岐阜は多治見行きでした。大五さん、澤田さんご馳走様でした。お世話になりました。
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2008年8月8日(888)のメモリアル

2008年08月10日 | Weblog
 ”8”連なりの2008年8月8日は、北京オリンピック開幕を記念する日。中国のお祭りムードは最高潮で、この日に出産しようとする若いママさんや夫婦に中国の病院や産科医や役所は、テンヤワンヤだという。しかるに、”888”は中国だけのメモリアルデーではなさそうだ。

 わが国の夏のイメージとして定着した全国高校野球選手権大会なる夏の甲子園と広島、長崎の原子力禁止廃絶世界大会。この2つは夏休みの月遅れお盆帰省と重なってのテレビ風景画だ。8月15日の終戦やお盆前の8月上旬は、希望と反省や悔しさと歓喜が交錯するシーズン。猛暑や灼熱という異常な気候が示す地球の温暖化、環境異常のほうが、深刻に思える2008年だ。

 第90回記念大会だという夏の甲子園の7日目~8日目は、ほぼ予想通りの強豪が勝ち進んでいるようだ。古豪や常勝校が勝ち進む魅力と何十年か振りや初出場の高校生球児の活躍も甲子園が魅了する雰囲気なのだが、北京オリンピックも同様の印象だ。

 一番先に決着がつくステージで敗れた(6位)重量挙げの三宅宏美選手には、ことのほか大きな拍手を送りたい。笑顔もなく寡黙に戦い連覇を逃したママさん柔道家の谷亮子選手の銅が、金以上に輝いて見えた。フォーマル水着で揺れた競泳だが、北島康介を別にした多くの日本の選手が決勝にすすめなかった。男子団体体操も大きく中国に先んじられた。厳戒態勢で臨んだ開幕の国家威信を演出したお祭りデモが目立った北京オリンピックの裏側地球で、また紛争を越えそうな戦争の気配だ。

 グルジア(国家)とそこからの分離独立を目指す南オセチア自治州の紛争にロシア軍が制圧参戦した。制圧や鎮静化といって後ろ盾する大国が、また戦火を広げようとしている。コソボ独立が旧ソ連黒海付近の非承認国家の分離独立運動なる紛争に拍車する気配なのだが、これがアフガンの世界のポリス・アメリカなどを刺激しないことを祈る。

 2008年8月8日が、夢と希望と地球の持続可能性を高める出発の日になってほしいと願う。そんなメモリアルな一日でした。

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衣料品市場の大不況考。

2008年08月07日 | Weblog
 いわゆるアパレル衣料品市場の不振がひどい。販売が不振だ、低迷しているの状況を越えている。大恐慌の雰囲気なのだ。食料品の原料高、値上げと販売低迷どころの騒ぎではない。

 そこそこの好決算は、ユニクロぐらいで、デパートやGMS(大手総合スーパー)などの不振は目を覆うばかりだ。「しまむら」のような常勝専門店やストリートのアパレル専門店の販売も低迷している。

 ここ10年近くの日本経済の後退や低迷を背負った格好だが、景気後退や消費者支出の抑制は、いつも衣料品や実用品からその影響を受ける。ストック(家庭在庫)が多い衣料品に比べ、食料品は”在庫”できないから、今日も明日も何かを買って”食べなければならない”からだ。

 10年前の購入支出額100に対し、ただいま2007年、食料品が95ぐらいなのに対し被服・履物は67と大幅に低い(総務省、家計調査)。身の回り品や家具・家事用品もそれぞれ83や80と低い。水道・光熱、交通・通信、や保健・医療などは、100を大きく上回っている。生活インフラや食料品は、デイリーに支出していかなければ”買い置き”やストックがないので、抑制はするものの買わなければならないが、タンスやクローゼットや衣裳箱にたくさんの買い置きが眠っている衣料品などは、少々の期間”買わなくても”間に合うのだ。

 はやりやトレンドファッションがなくても、定番で無難なものがあれば”それで”ガマンできる。価格を抑え、無難でそこそこの品物を品揃えし、特売販促で時を稼いできた多くのスーパーや専門店は、”ガマンできる”カテゴリーをMD(品揃え)し、消費者の指向やニーズに応えたと思い、実際はズレていたのだ。”ガマンできない”ちょっと無理しても欲しい分野や特性を掴み損ねたのだ。

 きょう欲しいもの、いまの時期ほしいもの、ガマンできないものを探し、その欲しいものやどうしても買いたいものを探したり、商品化やMDしたりしなかったことが、”いま”を招来したのだ。ちょっと背伸びや無理しても”欲しくなるもの”を探し、これを商品にし、消費者に問いかけることが、いままで以上に大事になってきている時期だと言える。
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サステナビリティ(持続可能な)のためのバイオミミクリー。

2008年08月04日 | Weblog
 ドイツや環境問題取り組み先進国で多く使われている言葉に、バイオミミクリー(Biomimicry)という言葉があると、わたしのバーチャル・フレンドlacocco(らこっこ)さんが教えてくれた。レオナルド・デカプリオ演出ナビの「THE11th HOUR」で、よく紹介されていると教えてくれたが、わたしはまだその映画をみていない。

 バイオテクノロジー(Biotechnology)一辺倒の日本の環境問題取り組みにアドバイスしてくれているのだが、バイオテクノロジーイコール遺伝子工学操作とお考えのようだ。確かに生物のDNA操作が過ぎると、生物や自然の生態系が破壊され、持続可能な環境要件が損なわれる不安は拭えませんが、遺伝子工学や操作のみがバイオテクノロジーではないだろうと思う。

 バイオミミクリーという”自然を模倣する超現代的な技術やそのコンセプト”は、バイオマスやエコ(エコロジー)とも折り合っている考え。再生可能な生物由来の有機性資源を微生物の働きをもって得ようとするバイオマスや日本のエコを代表する3R(リサイクル、リユース、リデゥース)も、結局は現存の生態系維持を最終目標にした持続可能な環境を目指していると思うからだ。

 そうは言っても、遺伝子工学やDNA生物学やハイテクなど進んでいる(ハイテク)とされるサイエンスに頼る環境問題の解決に警鐘を寄せてくれた若い(?)”らこっこ”さんにエールを贈りたいと思っている。言葉(バイオミミクリー)が流布していなくても、概念や考え方(Sustainablity)が静かに浸透していってくれれば、それがいい方向になると思うのです。
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