子、仔、児や小、吾、故などはすべて「こ」と読まれる。ときには、”しょう”や”お”や”し”などとも読まれる。股や胡も「こ」だが、この胡ほどいろいろ読まれ”あいまい”な文字は少ない。当て字読みは別にすると音訓なしに”こ”と読む。意味なし便利冠詞なのかも知れない。
胡乱や胡散のように”う”などとも読まれるが、胡弓や高胡などのように「こ」と読む。もともと胡は、西胡のことのようだが、唐のような中国からみると”遠い西の方にある西胡”やそこいら辺を(西)胡といったようだ。そこから”異文化や異国や西の方の遠い地域”を意味するようになったらしい。
そうは言っても”意味あいまい”というか、付いても付かなくてもいいような「胡」なのだが、わが国における訓読み的当て字が余計解らなくしているようだ。胡桃(ことう→くるみ)や胡菜(こさい→あぶらな)などや胡椒や胡麻、胡蝶や胡粉などはわかっても、胡蒜や胡瓜や胡坐などになるとわからなくなる。
蝶や蜂はどこから来たのか知らないが、胡蝶や胡蜂などと言われる。西の方から来たのかも知れない。中国でいう西の方とは、いまのモンゴルあたりなのか、もっと西のほうなのか知らないが、東胡が唐やいまの中国あたりをさしていたとの説明はみない。意味のない冠詞が、意味あるコミュニケーションの役割をしていたのかも知れない。
胡乱や胡散のように”う”などとも読まれるが、胡弓や高胡などのように「こ」と読む。もともと胡は、西胡のことのようだが、唐のような中国からみると”遠い西の方にある西胡”やそこいら辺を(西)胡といったようだ。そこから”異文化や異国や西の方の遠い地域”を意味するようになったらしい。
そうは言っても”意味あいまい”というか、付いても付かなくてもいいような「胡」なのだが、わが国における訓読み的当て字が余計解らなくしているようだ。胡桃(ことう→くるみ)や胡菜(こさい→あぶらな)などや胡椒や胡麻、胡蝶や胡粉などはわかっても、胡蒜や胡瓜や胡坐などになるとわからなくなる。
蝶や蜂はどこから来たのか知らないが、胡蝶や胡蜂などと言われる。西の方から来たのかも知れない。中国でいう西の方とは、いまのモンゴルあたりなのか、もっと西のほうなのか知らないが、東胡が唐やいまの中国あたりをさしていたとの説明はみない。意味のない冠詞が、意味あるコミュニケーションの役割をしていたのかも知れない。