4月29日(昭和の日)、春の叙勲受章が発表された。自分が教わったり、尊敬したりする先生や先輩が叙勲受章したりしていると、ただ嬉しい。感激したりもする。
政府や国が人々に序列をつけたり、その人のキャリアに褒章インセンティブをつけたりする叙勲制度を疑問視している自分が、年のせいなのか、やたら抗議する心を失くしているのがコワイ。為政者や体制にとっては”治める”ために大変都合よく運営できる制度なのかも知れないが、ヒトの仕事や職業に序列をつける叙勲制度に意味が見出せない。
民間人対象という旭日章をセットし、ほとんどが国家公務員や国立大学や公共的職業などにエラク奉職した体制社会貢献者対象の瑞宝章が多い。多くが70歳のような70歳から80歳あたりが対象だから、今回仕打ちと批判された”後期高齢者”への弁解のようでもある。
仕事や職業による差別や序列に馴染まない”民間”対象の旭日章でさえ、大綬章、重光章、中綬章、小綬章から双光章や単光章まで、序列がある。このような制度や叙勲発表に、おおきな抵抗を覚えなくなってきた自分がイヤだ。
国民や消費者(川下)目線でモノゴトをなどと説いかけるながら、体制や上位からヒトを見る制度や習慣に抗議もできていない自分を責める。加齢現象などにしたくないのだ。叙勲制度などがない、そんな日本になってほしい。
政府や国が人々に序列をつけたり、その人のキャリアに褒章インセンティブをつけたりする叙勲制度を疑問視している自分が、年のせいなのか、やたら抗議する心を失くしているのがコワイ。為政者や体制にとっては”治める”ために大変都合よく運営できる制度なのかも知れないが、ヒトの仕事や職業に序列をつける叙勲制度に意味が見出せない。
民間人対象という旭日章をセットし、ほとんどが国家公務員や国立大学や公共的職業などにエラク奉職した体制社会貢献者対象の瑞宝章が多い。多くが70歳のような70歳から80歳あたりが対象だから、今回仕打ちと批判された”後期高齢者”への弁解のようでもある。
仕事や職業による差別や序列に馴染まない”民間”対象の旭日章でさえ、大綬章、重光章、中綬章、小綬章から双光章や単光章まで、序列がある。このような制度や叙勲発表に、おおきな抵抗を覚えなくなってきた自分がイヤだ。
国民や消費者(川下)目線でモノゴトをなどと説いかけるながら、体制や上位からヒトを見る制度や習慣に抗議もできていない自分を責める。加齢現象などにしたくないのだ。叙勲制度などがない、そんな日本になってほしい。