吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「フェアトレード(商品)」って何だ?貧しい国の人々の生活向上を約束するか?

2009年06月28日 | Weblog
 世の中、わからないことが多い。最近やたら言われる企業の社会的責任、CSRとか言われている一方、その社会的責任への投資などがSRIなどといわれ、その社会資産総額などで比較評価されたりしている。このように新しいコンセプトや言葉が、CSRやフェアトレードのようにできると必ずこれを評価したり認証したりする団体や法人などができる。

 公平や平等を目標にしているようだから、むやみに疑いや批判を挟むことが憚れる。格差の解消や弱者の救済を謳っている人々やNPOなどに疑念を抱いたりすれば、オマエは何をしている?とお叱りを受けそうだ。フェアトレードまたはフェアトレード商品とは、公平貿易や公正取引と直訳されるが、公正取引委員会の行動や規範やその認証などではない。

 どちらかといえば、世界の経済発展(北半球の繁栄)から取り残された中南米やアジア・アフリカなどの経済発展や生活レベルの向上を、主にこれらの南半球に暮らし働く生産者や労働者の生産活動やその購入取引などに、一定の助成や価格保障などをして、これらの人々への取引条件や支払いを有利にしてあげようとする仕組みや活動のことをフェアトレードといっている。出来るだけ高く買うことで、生産性の低さを補いこれらの生産者や労働者の生活レベルの向上を助成しようということなのだ。

 大変よい活動ではないかと思うのだが、たとえばこのことを日本の国民や消費者が認知していない(約60%の人が「知らない」、フランスなどは約70%の人が「知っている」などと)とか、アメリカやイギリスはフェアトレード製品の売上げ高が年間1000億円を超えているのに、日本は10億円ぐらいしかないとか言って、それなりのお役人などが騒ぐことが何を企てているのか見えて困る。

 そしてISOマークビジネスと同じく、FLOやIFATなる認証会社や団体が認証しラベル付与する(国際統一や公正と称する)フェアトレード・マークだ。低開発発展途上国の生産者や取引業者が不利にならないよう配慮し、フェアトレード最低価格以上の取引や継続的取引などを保障しているかどうかをチェック認証している機関が発行するのだから”必要といえば必要”なのだが、ここいらの思惑が先行しての企てなのかと疑う。

 ムハマド・ユヌス氏のグラミン銀行のソーシャル・ビジネスとこのCSRっぽいフェアトレード活動の違いをよく勉強したい。
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「はやりは低価格商品」という消費者市場

2009年06月27日 | Weblog
 とにかく"安い”ものがうける。ふだん100円から150円のペットボトル飲料が19円で売られたりする。”やめてくれ”と言いたくなる30円の靴下や99円のTシャツなどもある。来店者に対する景品なのか、”あきない”にしているのか、どのように商売になっているのか分からないものが多い。

 日経MJ新聞(6月17日)2009年上期ヒット商品番付の横綱や大関に出てくる商品は、文字通り”価格”を訴求しているものがほとんどだ。東の横綱になったプリウスやインサイト(ハイブリッド車)は、環境や温暖化ガス削減(低ガソリン消費)を訴求して時代的のように見えるが、実際は価格(含、公的助成)がウリだ。この東に対する西の横綱が「ファスト・ファッション」。フォーエバー、H&M、ユニクロなどの”ファスト・ファッション”衣料専門店だが、訴求はやはり価格。旬ファッションというよりいつものファッションだ。

 大関の990円ジーンズ(JU)やスーパー(IY)の下取りセールはともに"価格”訴求のマーケティングだ。関脇の”節約弁当”398円や299円の弁当と手作り弁当(持参)などが広く消費者に受容されたのも、円高ウォン安ではやった韓国ウォン旅行など(前頭)も価格が消費者受容を得た結果だ。関脇に入ったキリンビールのビールでないビール風味飲料(フリー)などは、例外だ。

 このような(低)価格訴求品は、ただ”価格が激安”ということだけで受容されたわけではない。安ければ”なんでも買う”わけではない。可処分所得が低く、何かを買うにはそれがいくら安いものでも、何かを我慢したり節約しなければ買えない。何かを我慢する(買わない)こと以上の"安さと価値”が認められなければならない。価格以上の価値が商品やサービスになければ買われないのだ。

 ”安くつくる”こと、”安く仕入れる”こと、そして”安く売る”ことでお店や企業の繁盛や経営が約束されることはない。必要性や魅力をどのように商品化できるかがいまほど求められることはないと思う。
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菅家利和さん事件の教訓

2009年06月24日 | Weblog
 無実の菅家さんが無罪になって当然だが、このたびの足利事件の警察検察と裁判がわたしたちに教えてくれたことは大きく、たくさんある。市民参加の裁判員制度のスタートにあたってどうのこうのではない。

 科学や新聞報道などについて”考えさせられる”ことが多い。この事件についてのマスコミ新聞報道の経緯や歴史がまた、わたしたちに”新聞やメディア”の不公平や片手落ちを再認識させてくれた。逮捕され、一審無期懲役の判決がでれば、そのときその正義や一件落着よろしく報道する。そして、その後のフォローや検証などについては、”ちいさな”扱いで過ぎた。

 事件や逮捕や判決は、それ自身事実だ。新聞マスコミは、事実をただそのまま報道すればそれでいいのかという問いがわく。事実が、必ずしも真実や正義を示すものでないことは、今回の事件からも確かだ。わたくしたち大衆には、探索しても事実を見るのがせいぜいだ。とても真実にまで迫れない。そのための知識や科学を持ち合わせていない。

 わたしたちに不足する知識や科学や見識に近いところにいるのが、新聞やメディアや科学者たちだ。このようなフィールドにいる方々にこそ、警察や検察や裁判や体制側の行動を見張ったり、行為の真偽や正義などを検証していただけると信じて日々ただ働いているのが、国民や大衆だ。

 科学や科学的という言葉は、ちょっとアングルをかえれば”暴力”にもなる。今回の菅家さんの逮捕、裁判の命綱DNA鑑定は、科学捜査や科警研と一緒になって"科学(的)”という名に目くらましされた結果でもある。状況証拠があればあるほど、「科学」がそれを物件証拠化してしまう。ときに科学は、推定や予想を超えて、状況を事実化したりするという”ワルサ”をする。

 わたくしたちに出来ることは、私たちが肌で感じる直感や主観を大事にすることだ。一番真実に近いところにあるのが、一人ひとりの主観かもしれないと思うが、世は客観的検証ということを科学に求めている。
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つぎはぎ舗道(歩道)

2009年06月21日 | Weblog
 期末の3月は、いたるところの舗道が掘り返される。掘り返す舗道の(本)道路側に仮設の歩道がつくられる。巾1mぐらいの狭い板やゴムの上を歩いて通勤する。雨の日の出勤や退勤の混雑時は、足やカラダが苦労する。

 昨日下水工事で掘り返し埋められた舗道が、今日電話や電気の工事で掘り返し埋められる。ほんの5分程度の通勤舗道だから1km ぐらいの距離だと思うが、この3ヶ月ずっと工事だ。大抵帰宅の夜間に工事が開始されるのだが、翌朝は仮設歩道を歩かされる。昨日掘って埋められたヨコや先がまた今日掘り返される。埋められ仮設舗装される。凹凸のパッチワーク舗道が出来る。パッチワーク舗道が常態になる。

 ツギハギだらけの舗道は、文字通り工事が継ぎ接ぎされた結果なのだが、歩きにくい。きれいじゃない。近代的できれいなビルやショーウィンドウの側道が、継ぎ接ぎのお世辞にもキレイとは言えない舗道になる。半年も一年もツギハギ状態がつづく。パッチワーク舗道が常態になる。何とかならないかと思う。

 器用で、リフォームや補修・補正が得意な日本人の気質がそうさせるのか、ツギハギが習性になっているようだ。本質や全体像を棚上げし、忘れ、モノゴトを適当に考え、わかった気でイージーゴーイングする。時間や期間で拙速しても”直せばいい”とスタートする。わたしたちのライフスタイルだ。

 国会で翌年の予算を審議して議決する。一般会計予算なのだが、いつの間にか一般会計の規模を越えるような特別会計というものをつくる。一般会計が国会を通過するころにはもう”補正”が言われる。この補正予算も一次、二次と審議議決されるのだ。公共事業の入札だって似たようなものだ。落札業者が工事などを開始するころには、もう仕様変更が行われ価額が変わるのだ。継ぎ接ぎが習性なのだ。

 ツギハギ前の舗道がどんな道だったのかも忘れる。このツギハギが、いつどのようなデザインや姿に変わって現れるのかもわからない。ずっと、ツギハギがつづくような気もする。国の予算というかお金(税金)の使い方も、ツギハギで全体像が不透明にならないようにしてほしい。
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改正薬事法(2009.6/1)は、誰に益するのか?

2009年06月17日 | Weblog
 世の中には、理解できないことが多い。このたびの薬事法の改正なども、その典型のような気がする。もともと、病院の医薬や薬局のドラッグやファーマシー、薬事法でどうのこうのというが庶民にはよくわかならない。薬価や医薬分業やジェネリック医薬品など、クスリほど法律や規制やお役所のかかわりがヒドイ分野もない。何が、どうなって、どのように便利や得になったのか、安心になったのか、さっぱりわからない。

 病院がクスリ(薬価)で商売するのはケシカランと医薬分業になったが、最近増えたドラッグストアで病院で処方されたクスリを買ったりはしない。ほとんどいわゆる門前薬局なるファーマシーや院内で買う。ドラッグストアはクスリ屋かと思っていたら、クスリがいろいろたくさんあるミニSM(スーパー)だ。日用品、雑貨や化粧品などに加えふつうの食料品など、何でもある。

 今回の薬事法改正は、いわゆる規制緩和だという。いままで薬剤師しか販売できなかった大衆薬の大方(約9割)が、登録販売者を置けば”売れる”のだという。だから、スーパーやコンビニがOTCというクスリを売るようになるのだという。ドラッグストアなどの競合が激しくなり経営が大変だというが、ドラッグ/コンビニだか、ドラッグ/スパーだか、コンビニ/ドラッグだかわからない業態の店になったりして、むしろ経営が活発になりいいのかも知れない。

 それより、規制緩和と言って実は規制強化だと”怒っている”人々も多い。いままでインターネットでクスリを売っていた人々や通信販売で売っていた人々やこれを利用していた人々にとって、今回の分類第1類はもとより第2類や3類の一部のクスリなどが売ったり買ったり出来なくなるからだという。よく昔から通信販売で買っていた伝統薬や漢方薬などが”対面でないと”買えなくなるのだという。

 いつの時代でもそうだが、離島や僻地の人々やカラダが悪かったり、事情があって、クスリを買いに”いけない”人々がいることなど、霞ヶ関や大きなデスクでシゴト(?)している方々にわかるわけがないのだ。マスコミなどで、つよい指摘を受ければ、温情よろしく”緩和、改正省令”などを期限付きで出すのだ。

 そのうち、合理性を高めるだろうが、しばらくでも不便や不安があれば、みんなでお役所や政府にクレームを訴えつづけるしかないようだ。
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いつもの高校・クラス会は、隔月の囲碁の会

2009年06月15日 | Weblog
 6月13日(土)、上野囲碁センターに出向いた。西郷さんの東側土手の聚楽の隣だが、解体再開発に入っている所なのでいつまで利用できるかわからない。郷里の方から来る50年前のクラスメイト(茨城常陸太田や水戸、取手方面の友)も、東京地域に住むわたしたちも集まるには一番都合のいい場所だ。共通の趣味の囲碁ができる。

 わたしを例外にすると、50年前の高校3年5組のクラスメイトはみんな囲碁がウマイ。茨城県の囲碁のアマ・チャンを取ったことのある小祝君をはじめ、藤沢秀行さんから六段(?)か何かをいただいている井村君や財務省かどこかで囲碁ばかりやっていたほど上位の城石君。取手の鯉渕君や練馬の菊池君も矢切の安君などみんな二、三段ぐらいの腕前だ。やっと町の一級か初段かに届くかハテナのわたしが相手になれるレベルではないのだが、誘われていつも参加している。

 自分でもあきれるが、わたしは囲碁、将棋、麻雀、ゴルフ何でもやる。みんな”ヤル”とは言えないレベルなのだが、何でも付き合う。ヘタだ。理由がある。シゴトでも、学校でも、何でもそうなのだが、わたしは世に言う基礎や基本をちゃんとやってない。専門のマーケティングでもリサーチでも数学や統計をキチンとマスターしていない。絵や書道などもそうだ。要するに、すべて我流なのだ。

 囲碁をヤルには、まずは”定石”を例えば20や50知らなければいけない。最低限の勉強法なのだが、おそらく10から20ぐらいしか覚えていない。手筋や詰碁の勉強もちゃんとしていない。上手の人やプロの棋譜のトレースなどもやっていない。手抜きで我流のイメージと感じの何となくの囲碁なのだ。上野の囲碁の集まりに出ていつも反省する。何でもいい、ひとつぐらいちゃんとやろうと思うが、アフター囲碁の居酒屋反省会でもう忘れる。

 何事をやるにも”定石”は大事だ。”誰がやっても、こうすればこうなる”という基礎的理屈で囲碁の常識だ。思考したり行動したりする”効率”がよくなる。理論や教科書と同じく大切なのだが、横着な自分は定石や基本をキチンと習わない。お陰かどうかわからないが自己流で”考える”クセだけはついたようだが、もう一度理論や先人の知恵に謙虚になろうと思っている。そうなりたい。
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エコノ識者と違う下世話な景況感

2009年06月11日 | Weblog
 GMの破産法申請の内容や再建計画の見通しがいいためか、クライスラーの早期再建の見通しが立ったためか、アメリカ経済に対する楽観的展望が多い。日本経済についての日銀や政府の景況感や見通しも結構楽観的だ。

 現実は、アメリカも日本も庶民のサイフ具合がもろに出るGMSやスーパーやコンビニの売り上げや顧客の足は、大幅にダウンしている。日本もアメリカもだ。買い控えなどと見られる落ち込みや傾向ではない。

 米国金融大手の多くが、先の資本強化に得た公的資金返済へ向っていることやここ3、4ヶ月の金融株の好調や堅調がこのように楽観的な展望をさせるのだろうが、かなり危険な見方だ。金融関係の動向や展望は、結構不透明でゴマカシも入るからだ。26年ぶりに高い失業率9.4%(米国)をどのように見るかだが、これが高止まりしないという見通しが出来そうにない。9.4%には、今回のGM関係の倒産影響などは入っていないのだ。

 もっと深刻なのは、日本の小売りや消費者の購買状況の低迷や後退と同じく、米国の小売り売り上げがずっと低落しているからだ。月度の状況発表をやめたウォルマートはNAだが、この4月J.C.ペニーがー8.2%、GAP-11.0%、バナナリパブリックー14.0%、マシーズー9.1%、アメリカンアパレルー10.0%などと(在米友人メールより、6/8)、とても回復などの傾向は見られない。

 売り上げ低迷を打破できる材料はなく、消費者のフトコロの寒さからくる縮小するパイのシェア争いは、コモデティから高額商品まで広がり、流通企業の収益は日々ダウンしている。住宅ローンやクレジットカード・ローンの延滞や差し押さえなどは減る兆しを見せていない。市場が冷える夏をどう乗り切れるかもハテナの状況の米国は、日本の消費者市場や消費経済の傾向と同じく低落しているのだ。とても、この年末頃には回復上向きになる景気市場などとは、日本も米国もいえない情勢が妥当な見方だ。

景気の底支えや回復といって日米欧共同してすすめた流動性増強が、経済金融の内臓脂肪増になっている。このところのガソリン、穀物相場市場への内臓脂肪燃焼型の投機マネーにこそ警戒が求められる。急激なデフレ・バブルは、ハジケるのも急激だからだ。米国金融大手の公的資金返済や投機筋の台頭が、また経済の健康を損ねないよう監視することが大事だ。

 アメリカで9.875%の消費税(NY)が計画されている同じころ(6/10)、日本の政府(内閣府)も12%などの消費税試算を”骨太”に入れたりしている。景気経済が戻ったらなどといっていた消費税増税は、戻る戻らないに関係なく官僚や政府の手の内にあるようだ。上昇や回復を期待的に展望することは、すでに時代遅れなのだ。横ばいや減少展望のなかで、どのように経営し事業し政府するかを考えてほしい。

 
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「佐倉草ぶえの丘バラ園」は、小雨がリッチな気分をくれました。

2009年06月07日 | Weblog
 5月、6月の晴れた日のバラ園をイメージしていたこの日6月6日(土)は、朝から入梅を思わせるシトシト小雨でした。JR日暮里、9時少し前の京成特急に乗り本日のデスティネーション京成佐倉駅に向った。バッタリお会いしたよく私のシゴトをアシスト&サポートしてくれている稲田さんも一緒だ。

 オシャベリしているうち佐倉着。少々待ち合わせに早かったので、駅南口ハズレのカフェでモーニング・コーヒーをとった。午前十時、そろった本日の同好のメンバー6人、2台のタクシーに分乗して佐倉草ぶえの丘バラ園に向った。先に到着していた岐阜・多治見の上村ご夫妻を交え、8人”バラ園”に入った。

 「モダーンローズ7つの香り」など、薔薇の香りをご専門にする蓬田勝之さんを囲む本日のメンバーは、先の上村(パルファミューゼジャパンKK社長)ご夫妻、女性の生活研究室を主宰するみかなぎさん、大田花き・花の生活研究所の三浦さん、美やコスメ分野のライター宇野さん、香料会社の鈴木さんや日暮里から一緒だった広報やPRのプロ稲田さんと根本さんにわたしを入れた9人だ。

 佐倉草ぶえの丘バラ園の理事長、前原克彦さん直々のご案内がいただけたのも蓬田さんと前原さんのリレーションがあったからだ。薔薇や植物の生態を知り尽くした前原さんのバラ園づくりの理念や姿勢が伺えるこの佐倉草ぶえの丘バラ園は、小雨のお天気が 余計みずみずしいバラの花やその香りを楽しませてくれた。

 日本のバラの父鈴木省三さんに師事し敬愛する前原さんのバラ園案内は、鈴木省三さん作品などのご紹介から始まった。世界のバラの原種や時代のながれに沿ったバラの歴史や品種改良の歴史をご解説いただいた。コレがキレイ、コレが好き、コレがかわいいぐらいしか分からない自分だが、何か知的な空気に満たされたようなそんな気分で2時間たっぷりの前原さんのバラ園案内を堪能した。多謝。

 バラ園のレストランで少し遅いランチをとった。それぞれが残した見学のフォローをとり、本日のメインの反省会へと一路京成佐倉より船橋に向った。そのあとの日誌はこれを省略したほうがよさそうだ。翌7日京成バラ園に立ち寄る上村ご夫妻と蓬田さんの3人を八千代台に残し、東京は渋谷廻りで午後12時帰宅した。
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値下げとPB化が、新価格戦略ではさむい。

2009年06月03日 | Weblog
 住宅や自動車まで”値下げ”なのだから、スーパーなどのコモデティ一斉値下げも時勢なのかと思うが、知恵や工夫のカケラも感じられない。ある大手GMSスーパーなどは、『反省』を大きく広告し『実行』をいう。もっともっと出来た価格ダウンを”しなかった”という反省らしい。

 いままでの官僚主義的組織の弊害が”いま”になったといって反省しているのだが、この言い方がお役所と同じで上から目線になっていることに気づいていない。ユニクロやしまむらや西松屋およびニトリなどの後塵を拝していることが”アセリ”になり見えなくなっているのだ。

 ニトリやユニクロは、専門店であるがゆえの価格価値マーケティングをし、これが消費者の支持を得ているのだが、GMSスーパーやコンビニエンスストアはコモデティのジェネラルマーチャンダイザーだ。専門店に来店する消費者とスーパーに来店する消費者では求めるものが違うのだが、そのことを深く探索していないのだ。

 ニトリにある小物やユニクロで売っている衣料品なども含め、家中のコモデティや冷蔵庫のなかの食品をすべて大手スーパーのプライベートブランドにしたいなどと思う消費者はいない。安い価格に口だけの"上質”を添えても、それを買おうとは思わないのだ。本当の”お値打ち価格”を掌握していないのだ。

 ダイソーやホームセンターを”安売り”と捉えているようでは、GMSスーパーの新価格戦略は遠いといえる。価格価値だけにとらわれず、消費者がGMSスーパーに”何を求めているのか”をもっともっと掘り下げて掴んでほしい。
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