吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

デトックス(解毒)の前のデコンタム(除染)の深刻。

2011年08月30日 | Weblog
 毎度の拙速だが2011年6月19日、わたくしはこのブログで2012年のテーマ”デトックス”(解毒)を提起した。ただいまの”除染”(デコンタム/略称吉澤)問題を飛ばしてしまっていた(デトックス;Detoxification / デコンタム;Decontamination )。まずは、”どうする放射性物質の除染”がいま最大の課題なのだ。

 2011年8月26日辞任(表明)会見をした菅直人首相は、翌27日福島県の佐藤知事を訪ね、放射線汚染土壌やがれきの中間貯蔵施設の県内設置を申し入れた。政府自身、この最終処分処方や施設場所などの構想もあいまいなのに、最終処分場ではないので中間保管貯蔵施設を同県内に設置してほしいとの上意なのだ。被災地元と国が調整しなければならない大きなテーマだ。

 このところ、除染除染という言葉がテレビや紙上を賑わすが、体外体内被曝除染に加え、放射性汚染物質は地域や生活のあらゆるところに散在する。家屋や建物やその部材、樹木や農作物や田畑の土壌、雨水や流水で運ばれた落ち葉やゴミおよびこれらが流れ込んだ河川や下水の汚泥など。下水溝や道路低地やいわゆるホットスポット除染から流れ込んだ汚水や汚泥は、各自治体などの下水処理場に入る。

 いまや敷地内保管が満杯だという各下水施設内汚泥焼却灰は、どこに行くのか。高圧洗浄除染で流れ込んだ汚水や汚泥は、その他のがれき同様脱水や焼却を経た中間貯蔵物になればなるほど、放射性濃度が高くなっている。とても、海や山奥や地球のどこかに廃棄埋め立てできるシロモノではない。分厚くとてもモレなどしないコンクリート囲いなどして埋めても、長いこれからの管理処方が付帯されなければならない。

 起こってしまった原子力発電所事故の放射能モレだが、将来に背負った責任は大きい。放射性物質の除染問題の深刻さを直視して、安心できる除染に取り組んでほしい。2011年の問題というより、これからずっと長くつづく大きな問題なのだ。ポスト菅政権の方々の取り組みをお願いする。(29日、文部科学省が、100km圏内の衝撃的な汚染マップを発表。除染を超える問題示唆。)
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大山(?)鳴動して鼠一匹の民主党にまた希望。

2011年08月29日 | Weblog
民主党の新しい代表が決まった。日本の新しい顔としての総理でもある。唯我独尊は釈迦にあらずと、思いつきの有言不実行を重ね、これをねじれ(国会)と周りのせいにし、”ひとりよがり”をリーダーシップと思い込み経過した450日。菅(首相)政権が頓挫勇退した。29日(月)、新代表が野田佳彦氏(54)に決まった。

一時は10人を超える候補が名乗る与党民主党の代表選。未曾有の国難に遭遇している日本の舵取り総理を全身で受けると、われもわれもと意欲する。最終的に8月27日(土)の告示に立候補したのは、海江田万里経済産業相(62)、前原誠司前外相(49)、野田佳彦財務相(54)、鹿野道彦農水相(69)、馬淵澄夫前国土交通相(51)の5人。

つい昨日までに取沙汰されていた候補者は、この5人と小沢鋭仁元環境相(57)、樽床伸二元国対委員長(52)、平岡秀夫総務副大臣(57)、平野博文元官房長官(62)と輿石東参院議員会長(75)や西岡武夫参院議長(75)の総勢11人だ。ただいまの与党民主党の姿の一端が見えよう。そして、土日を挟んだ3日後の2011年8月29日(月)、事実上のこの国のリーダー民主党代表が、民主党全国会議員395人で選出された。得票215票の野田佳彦(54)新代表だ。

2010年6月8日発足した菅内閣は、迎えた参院選向けマニフェストにつづき消費税10%を言い、これを後退させ、社会保障との一体改革などと、強い経済・強い財政・強い社会保障のビジョンも示さず迷走。9月17日からの菅改造内閣後も小沢グループだ反小沢主流だと与党内は”一体化”出来ず、そして夢想もせずの311東日本大震災と福島第一原子力発電所の崩落事故に遭遇した。

それから5か月と20日経っても、復旧復興の兆しも道筋も見えず迎えた8月29日の与党民主党の代表選挙。OZAWA原点党と亜流民主党の争いの結果の新代表は、野田佳彦氏(54)だが、亜流などと言わせない新本流民主党をつくってほしい。非政党政治の不作為迷走などと言わせないと約束して欲しい。全員野球と言って、志を後退させないで、この国の復興と人々の生活第一を目指して欲しい。
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検査器や測定器ばかりが売れる世の中

2011年08月26日 | Weblog
 わたしの友人が青森発のNPO、命を大切にする心を育む『たすけっこの会』運動を推進している。2001年のあの悲惨な大阪は池田小学校の乱入殺傷事件を受けて発足した運動というから、もう10年を超える。全国の中学生たちが手作り組み立てをして作った防犯笛(呼子笛)を、小学生や幼稚園児に配る活動なのだが”こころ”は、子供たちの命を大切にする心を子供たちや人々に醸成する運動だ。

 感銘を受け、その運動NPO事務局をされている奈良さんとお付き合いするようになって以来、わたくしも応援団の一人に加えてもらっている。緊急に使うことがあってはならない防犯笛だが、この呼子笛がこれを作る奉仕会を通じ、これがプレゼントされる行為を経て、そして幼い子供たちがこれを首に下げられている姿を通して、命を大切にするココロが高まっていくことを願う。2010年12月11日(土)、青森市内の80人ほどの中学生(20校から参加)たちとの防犯笛つくりに参加させてもらって、もう一年近くになる。

 このような防犯笛などの機器グッズは、あって使うことがない世の中がいい。消火器や耐震グッズなども同じだが、それにしても最近は、何々器が多い。洗濯機や耕運機や洗浄機のような”機”ではなく、炊飯器やごますり器のような”器”なのだが、少々あまりイメージがよくない。探知器、測定器、検知器、検査器などだ。

 少し前は、地雷の探知器などの使用に心を痛めたものだが、福島原発事故以来放射線測定器や放射線検知器などがネット販売を賑わす。X線レントゲンやMRIなどはお世話になる検査器だが、最近はPCのウイルス検査が必須だ。事故のすぐあとの頃は、ガイガーカウンターや何とか放射線測定器で、マイクロシーベルトなどを測っていたようだが、このところは稲わらや肉などモノを対象にして放射線被曝を検出したりベクレルを計っている。放射線検知器とかベクレルモニターなどという。

 そろそろ防災の日(9月1日)。東日本大震災津波災害と福島第一原子力発電所事故は、わたくし達にいままで以上の”防災”関心と危機管理意識を高めてくれた。耐震や防災には何々グッズが奏功するのだろうが、襲う大津波や広がる放射線を防災するのは”グッズ”ではない。政治と人々の意識だ。

 
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流喪失地からの高台地移転もままならずで、自立復興もあるまいに・・・。

2011年08月21日 | Weblog
このたびの東日本大地震津波により流喪失した住宅地は、500km2 にも上るという。土地面積でみると、東京23区域(600km2)や横浜市域(400km2)に匹敵する大きさである。これらの地域にある住宅は、東京23区で440万戸、横浜市で160万戸だ。

このたびの311震災津波での流喪失地域にあった住宅一戸あたりの面積を仮に500m2 とすると、約100万戸の住宅(含、商工ビル)分の市街地などが流喪失したことになる。日本全国の住宅等の戸数を5000万戸とすると、2%に相当する。地方ローカル域なので、都会地や平均レベルよりは過疎で”半分ぐらい”としても、1%前後の50万戸強の宅地を流喪失したことになる。

現実的には、元の住宅地がなく高台や少々離れた代替地に自立住宅を建てようととしている世帯は、10万世帯前後かもしれない。当面の希望申請は半分の5万戸ぐらいだろう。ところが昨日朝の朝日新聞によれば、これらの申請の大方はスンナリ運んではいないのだという。多くの高台や移転したい地域が農業振興地で、これを解除しなければ宅地化などトンデモナイのだという。

ところが、この解除は大変ムズカシイのだという。半年ぐらいの忍耐では、とてもそうは運ばないらしい。休耕田化や廃耕田化を防ぎ、幾分でも国の食糧自給率を高めるか維持するために施策された農業振興地域で、さんざん補助金をいただいていた農地が、簡単に宅地や企業の工場地などになってはお役所農水省の面目がなくなるということらしい。

復興大臣や復興庁ができたり、復興対策本部やいわゆる”特区”などができても、震災復興を”特別扱い”などできないらしい。この6月頃、解除転用申請をした方々の手続きだけで半年以上、それが通りそうかどうかがわかるのは、来年の春だという。それから、建築確認申請などになる。自立復興のスタートすら、どうしようもないこの程度の問題を解決できないのが政治らしい。

復興対策本部や復興特区などいうが、どっち向いて施策しているのかと思う。
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地上デジタルTV放送移行一ヵ月のテレビ視聴の感想

2011年08月17日 | Weblog
2011年7月24日の地上デジタルTV放送完全移行からそろそろ一ヵ月。何がどう変わったのかの印象がない。番組を視聴しながら、ニュースや情報をとることもできるよ。画像と一緒に文字情報にも触れられるよ。とにかく、高画質で高音質だよ。とにかく画面がキレイだよ。などと言われた実感もない。

番組や放送の内容が高品質になるというハナシはなかった。約束されたことではないのでガタガタ責める気持ちはないが、何とも放映番組の内容品質がオサムイ感じのこの頃だ。テレビ放送がBWからカラー放送になった頃のあのアナログ放送の番組品質感や感動がない。

毎回同じ展開の勧善懲悪番組「水戸黄門」が消えた。カラー・アナログ番組代表のこの番組を高品質の典型だなどというつもりはないが、ストーリーがアッチムイテホイの最近のドラマ番組よりはスッキリする。肩がこらない。興味のないモノ売り通販番組を延々やられるよりはよっぽどいい。

デジタルになって増えた番組の代表は、通販のそれのようだ。同じ在宅の中高年主婦層をターゲットにした韓流ドラマにも食傷を感じる。水戸黄門と同じだろうと責めるだろうが、”国籍”が違う。この通販や韓流ドラマについで多いのが、クイズやB級グルメならぬ食べもの番組かと思ったら、意外や番宣なども多い。

これら以外に目立つ番組といえば、スポーツ中継やドッキリ・サプライズ番組と芸能バラエティ番組などだ。高品質番組イコール文化教養番組などと思っているわけではないが、あまりにもグレード品質志向を忘れたこの頃のテレビ番組を見るに、地上デジタルの高画質、高音質や多重双方向性などイコール高品質とお思いなのではないかと疑う。

画像や音がないとさびしいと、BGM代わりの我が家の地上デジタルTVだ。何とか地上デジタルTVにふさわしいクオリティ番組を構想放映してほしいと願う。
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蔓、蔦、葛など蔓性雑草や落葉低木たちが、里山環境を攻める。

2011年08月15日 | Weblog
わたしのふるさとは、里山というより奥山に近い。山村というより農山村というのかも知れない。山間に麦やそばの畑もあるが、棚田といわれる景色のほうが多い。細かくカタチが不揃いの棚田が農作業しやすいように整備区画されたり、あやしげな畦道がなくなりクルマが通れる農道になったりして、だいぶ景色や風情が変わった。

人口減少の社会趨勢を先行したいわゆる過疎地域だ。65歳以上というより75歳以上の高齢者ばかりが居住している。限界集落にも近い。農業や林業を後継する若者がいない。この間の休耕田が廃耕田になる。廃耕田がしばらくすると、原野になる。先人たちが汗し泥して開墾した田畑が、雑草や蔦性低木が生い茂る原野になる。

最近といってもこの四半世紀の、蔓や蔦類の雑草や低灌木の繁殖はすごい。アレルゲンの一種ともいわれるブタ草やセイタカアワダチソウにもまいるが、蔓や蔦草の王者(クズ)葛の傍若無人ぶりは激しい。クズ(葛)は秋の七草の仲間でもあり、大変かわいらしい紫色の花をつける。根はくず粉や葛根蕩などになり、人々に大変喜ばれている。

しかし、葛蔦の傍若無人ぶりは、休耕田や廃耕田や手入れが回らない原野に限らない。JRローカル線の両側や高速道路の両側の土手や原野のクズの繁殖はヒドイ。線路や道路の環境整備の手が届かない土手や原野は、両サイドの山林や田畑からの手も届かない。届く届かないの問題というより、それらの山や畑や田圃は、すでに耕作の対象から外れているのだ。クズや蔦は、ドンドン繁殖するしかないのだ。

近い将来、これらの蔦や蔓性雑草に農業用地や林業山林が奪われる。似て異なるカラスウリやヘクソカズラなどのツル雑草が、里山や住宅地まで占拠するだろう。手入れしない自然や環境ほどコワイものはない。猛暑の夏に生茂るクズ(葛)とその仲間たちを、この国の環境省や農林水産省の方々は思い巡らしたことがおありだろうか。

放置や廃耕など、人手が入らなければ自然保持はできない。手入れしてもその付加価値に収入が伴わなければ、”人手”は入らないのだ。施策してほしい。
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ゼロ成長とゼロ金利ーどちらがニワトリ、どちらがタマゴ?

2011年08月12日 | Weblog
単純に疑問。ゼロ金利時代の銀行のビジネス・モデルが、わからない。長期化し、脱出イメージが見えないゼロ金利。日本だけかと思ったら、米国やスイスも、英国も実質ゼロ金利だ。1990年代後半の日本の超低金利時代は、超短かかった。1999年21世紀へのお土産のように、日本はゼロ金利に入った。

脱出できないまま、10年を過ぎた。この間のゼロ成長/Dエコノミーが、ゼロ金利を常態化したのか、ゼロ金利(政策)が結局、成長なき市場経済に行きつくのか、わたしにはわからない。景気経済の長期低迷を脱却したいと、低金利を超えたゼロ金利を政策化したのだろうに、ゼロ金利が期待に応えない。

企業の設備投資意欲や人々の消費意欲を高め、景気の浮揚と景気経済の下支えをしようとしたゼロ金利政策が効果しない。効果しないどころか、止められない。アリ地獄に入ったようにつづくゼロ金利なのだ。そして、ゼロ成長どころか右肩下がりすらイメージさせる”成長なき”経済社会がつづく。人口減少社会の宿命なのかとも思う。

モノ余り社会になって人々は”特別ほしいモノ”がない。去年と同じ程度の所得と消費に、さしたる不満がない。市場のパイ(サイズ)を既定する人口は減少傾向だ。このような市場経済における企業や財政の政策モデルがない。ゼロ金利が効果しないと分かって10年、何が景気経済に効果し景気経済を支えるのかが確かでない。ゼロ金利であっても借金して投資したり、購入したりする対象がなくなったのだろうか。

ゼロ金利が、消費する力を奪い、経済の活力を削ぎ、物価を下降させ、デフレ経済を長期化させているのだ。ゼロ金利が、景気回復やデフレ脱却に効果しないなら、何を政策すればいいのだろうか。長引くデフレとキャピタルロスと財政信頼を欠いたこの国の政策課題は大きい。

そして2011年8月9日、米国FRBは、2008年より始めた実質ゼロ金利政策を2013年半ばまで続けることを発表した。ジャパナイゼーションというのだそうだ。2013年、日本も米国も、ゼロ金利を脱却できる予兆はない。
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世界同時財政崩落OR逼迫恐慌

2011年08月08日 | Weblog
ムーディーズに並ぶS&P格付け会社が、米国国債の格下げを発表した。世界の基軸通貨ドルの信頼が崩壊した。世界経済をリードするには、信認性が低いということだろう。必ずしも信認できない米ドルを、長いこと取り繕って基軸通貨風をサポートしてきた日本や欧州先進国も同罪のように思う。

他人の心配などできない日本だが、米国の赤字借金は14.6兆ドル1140兆円だ。日本のそれの900兆円(国+地方)をみれば、まだその上限枠を増やしてもいいように思うが、民間や格付け会社や野党(共和党)の見方は厳しい。米国の国債GDP比は90%だが、日本のそれは220%とあのギリシャより高い。

1400兆円という膨大な国民の貯蓄があるからと言い訳しているが、GDPの2倍を超えては、遠くない文字通りのデフォルト(債務不履行)に至るのではないか。向う10年、20年は、人口減少右肩上がらずの社会だ。ただいまも苦しい今日のアラフォーあたりの方々に、あまりにも荷重ではないか。

根本は、すでにその信頼が失墜した米ドルをどのような協議で、これからの基軸通貨役にして行くのか。世界の通貨基軸をどのようにしていくのか。米ドル、円、ユーロ、元など協調&バランスで世界金融を回していくのか。G7、G8先進諸国の協調が、幾重にも急がれるということだろう。

円高、ドル安を止めたいといって財政出動することは、たとえ強い協調が得られたとしても、一時の慰めに終わるだろう。結局、国の赤字国債増になり、自国のの通貨信頼を低下させ、財政金融危機を招来することになるからだ。ますます重要になる国家間の連携と国際協調なのだ。

記録:8月8日ニューヨーク株式・ダウ工業平均前週比634ドル安(△5.5%)。8月9日東証・日経平均440円安(△4.8%)。最近1か月の下落率;ニューヨークダウ平均△9.6%。東証、日経平均△10.3%。英ロンドン(FTSE100)△12.4%。
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むかしと山村ロケ地の私のふるさと。

2011年08月03日 | Weblog
 わたしのふるさとは、茨城は常陸太田市という田舎。むかしは常陸の国といわれた茨城の県北は、もうすぐ福島。緑濃い山村が自分の育ったところだが、街に出るにしたがい緑が広がり田園風景になる。街に近い山は里山というらしい。

 最近、テレビや映画で見覚えのある風景をよく見る。自分が小さい頃感じた里山や森林の風景だったり、田園や古びれた農家だったりする。ときどき、木造り二階づくりの小学校校舎だったりする。どうやら、映画『HAZAN』以後かもしれない。よく茨城が、映画のロケ地になるようになった頃からだ。。

 どちらかというとHAZAN(波山)は、その名のとおり茨城は県央の筑波山界隈の風景だが、県西部の緑や山々で、風景が東部太平洋側と少し違う。ピタッときたのは、やはり最近の『ディア・ドクター』だ。映画では、思い切り山深い山村田舎になっているが、あの田舎農道の曲がる山村が、自分のふるさとだ。夜のバイクは、田んぼや小川に突っ込みそうだ。

 鶴瓶演ずる優秀なニセ医者がバレる上菅谷の駅(水郡線)のあたりは、自分にとっては街場だ。この水郡線も最近よく映画に出る。典型的なローカルJR線で、ディーゼル電車だ。この水郡線をかなりの県北まで行ったローカル観光地大子裏手の生瀬は、『桜田門外ノ変』の関鉄之助が最後匿われていた山村だ。むかしの山村の風景が濃く、郷愁を感じた。

 水郡線終点郡山の手前の大子はこの沿線では町だが、典型的な田舎農山村の環境にある。NHK朝ドラ『おひさま』の信州(?)のあの見慣れた小学校がある町だ。もっと山奥の村の分教場が、わたしのふるさと。小学校4年生までを複式学級で過ごした。いまは、もうない。
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