吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

きょう猫の日は、世界友情の日(国際友愛の日)

2015年02月22日 | Weblog
2月22日は、猫の日だという。ぞろ目の22日は、夫婦の日やその他いろいろの記念日になると思われるが、猫の日が特出している。犬との対比で、好き嫌いが喧噪されるが、人それぞれ猫犬それぞれでいいと思う。爪と牙をとられたネコ物語などから、ただ今の民主党や公明党などを心配するが、それ以上に戦後70年、55年体制より60年経っての自民党保守本流の見識が後退している今を嘆く。

いつも変わらない自然や四季の移ろいなども変わる異常気象や爆弾気候のこの頃だがこの60年、安定した平和日本の発展を支えた自民党保守本流の爪や牙はどこに行ったのか。自民党保守本流イコール=ハト派の谷垣さんなどの爪も、どうなっているのだろうか。

平和やハトと言えば、きょうは世界友情(国際友愛)の日。平和のシンボル鳩も時代の移りとともに変わる。平和過ぎての結果なのか、いつの間にかハトは公害のシンボルになっている。平和の使者とされていたハトが、駆除の対象になっている。平和の使者伝書鳩の帰巣本能が通信手段化したおかげで、ハトが軍用鳩になったりもした。

このように平和や自衛や安全などについての定義や憲法についての解釈なども時代とともに変わるらしいのだから、政党や政権の綱領や考えが変わるのは必然なのかも知れない。ただ、ふつうの安心や安全と平和を願うわたしたちにとっては、憲法や平和や安全などについての考えや解釈は不変であってほしい。
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羊雲遊ぶ青空雨水かな

2015年02月21日 | Weblog
雨水もあけた週末、とくに日誌することもないのだが、青空とその稜線で遊ぶまだら雲がきれいで、ついシャッターを切った。まだら雲は羊雲とも呼ばれる。


カタチや大きさも様々。文字通りのまだら雲。雨上がりの青空などで、すぐ生まれ、またすぐ消えたりする。場所を変えたり、流れたり、形や大きさを変える。青空にふわっと浮いた姿がいい。

そんな雲を日誌しておく。
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春節や 爆買い頼む 銀座かな

2015年02月20日 | Weblog
きょう(2/ 18)から中国台湾あたりの旧正月というより春節。ほぼ1~2週間の”国民の休日”を利用しての観光訪日客ターゲットの商戦たけなわ。日本の今は、彼らが見たこともない”雪景色”やスキーや温泉などへの観光ツアーが人気。

もちろん、東京ディズニーランドや大阪ユニバーサル・スタジオなどのレジャーランドやテーマパークも、中国や東南アジアからの観光客でにぎわう。中国客が爆買いに走る市場は、秋葉原、銀座、新宿渋谷などのデパートや免税店。東京周辺や地方観光地のアウトレット・モールなども、このインバウンド消費需要をアテにしている。

中華圏国の春節、タイのソンクラーン(旧正月)や端午節などの春シーズンにつづくシンガポールの独立記念日やインドネシアあたりの夏休みツアーをフォローするするように 中国台湾香港などの国慶節やクリスマスなど、季節ツアーは一年中ある需要だ。商機は、アキバ家電やブランド時計および福袋などのモノ円安需要に限られない。

このインバウンド市場、2014年約2兆円とも言われているが、東京オリンピックの2020年ごろには、4~5兆円と展望されている。さて、国内の消費需要市場は、どのようになるだろうか?
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雨水前の少し暖かい東京の一風景ー2015.2.14.(土)

2015年02月15日 | Weblog
たまの休日の土曜日。集まりがあって、ついで出勤した。地下鉄はガラ空き、のんびり座って30分、いつも通り麹町駅で下車。午前9時、事務所に入った。集まりの会場は、FM東京ビルの11階。ここから5~6分のところだから、2時間程度の雑用ができる。

このように”ついで”効率を求めると、いつも何もできない。きょうも同じ。適当に時間をつぶし11時過ぎ、事務所を出た。ぶらぶら10分も歩くことなく、東京FMの駐車場門口に着いた。エレベーターで11階の「ジェットストリーム」さんに到着。久しぶりだがよく知った友人たちが、すでに受付ロビーあたりに2~30人。

半蔵門FM東京11階からの眺望は、すばらしい。ふだんもよく歩く半蔵門辺りだが、高い場所から皇居方面を眺めたのは はじめて。180度展望する東京駅方面の景色は、大手町、丸の内、霞が関方面が一望でき、遠くには東京スカイツリーが見える。皇居を見下ろすようで恐縮するが、ビル群手前に広がる皇居の森やお堀の景色に感動する。

青森や新潟の寒波、暴風雪の報がウソのように暖かい晴天の東京は 半蔵門からの景色でした。久しぶりのホットな仲間50人ほどの集まりなのに、食事やオシャベリが上の空になるような、そんな緩んだランチ・パーティの3時間でした。
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温暖化が、寒暖差を大きくする?

2015年02月12日 | Weblog
立春を過ぎての一週間が、ことのほか寒い。空気が冷たい。最低気温マイナス2℃、最高気温10℃、寒暖差12℃だという今日は、建国記念の日。神武天皇の即位記念なのか帝国憲法発布記念の日なのか、不確かだから建国記念日と言わず ”建国記念の日”としているらしい。

国の建国をいつにするかは、どこの国でも悩むらしい。いまの国の姿や体制ができた時期にするか、ずっと昔でもその国が国らしくできたころなのか、記念日を設定するその時の国のトップや政府は、悩ましいと思う。中国の国慶節や米国や多くの国の独立記念日など、当時の植民地や征服者からの解放などを記憶する日になっているようだ。

しかるに、このような日の多くが”国民の祝日”になって休日が多くなることは、大変喜ばしい。働くことが大好きな日本の人々にとっては、特にそう思う。一歩一歩近づいているような春だが、きょうは陽射しだけ。空気がホントに冷たい。高度5000メートルのマイナス45度の大寒気団が居座っているから らしい。

かように大きな寒暖差や立春頃の大寒波をもたらす犯人が”温暖化”だと聞くが、いつ二酸化炭素の排出量規制や緑を守る協定などが合意するのか。北や南、先進国や発展途上国などでどうのと対立している場合なのか。 そろそろ雨水。そろそろ雪解けしてほしい。春を知らせる一輪の花が待ち遠しい。
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現場(実態)知らずが、現場(対策)語る昨今

2015年02月07日 | Weblog
情報化や管理社会化がすすむと、現場が遠くなる。本社や本部やスタッフルームにいる者が、現場管理をし指示する。ちょっと見の画像や情報にふれて、すべて解った顔して指示する。対策する。そして、この度のマクドナルドのような結果を招く。

本日(2/7)のNHKは、週刊ニュース「深読み」の 血液が不足するー献血の課題・対策ーもこの類だ。このような番組を司会する小野文恵アナウンサーは献血をしたことがないという。それだけではない。この番組を司会する前に”一度献血に行ってみよう”と思わなかったのか?いそぎ、現場に触れてみようと思わなかったのか?

だからか、ただいまの不足現状や展望をインセンティブ不足問題に振る。ゲストの高田さん、安田さんなども一度も献血をしたことがないのだという。献血の実情に触れていないから、ポイント制やインセンティブなどに偏向した意見しか出ない。ためしてガッテンなどの司会などもされている小野さんだけに、もっと担当問題に真摯に取り組んでほしいと願う。

きょうの番組(深読み)で光ったのは、前園さん。地道に活動しておられるかたの発言は違う。”献血”を推進するには、一にも二にも広報活動。その工夫だ。たとえばお天気予報やマップではないが、「きょうの献血マップ」とか「血液不足予報」みたいな仕組みをつくり、発信したりするのはどうか? 少子化高齢化に逃げる時期ではない。
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「道徳」の教科化

2015年02月06日 | Weblog
”読む”から”考える”道徳にするのだという。道徳にかぎらず、”考える”学習や教育を指向することには、大賛成。いっそ道徳にかぎらず、ただいまの教育全体を”考える”教育に改革してほしい。文部科学省が検討しているのは、小中学校での道徳の”教科化”だ。いまの「道徳」教育が、”読むこと”中心になっているという指摘に対する反省からだという。

いまの世の中、おそらくこれまでの教育が”そうさせたのでは”という事件が多い。このところ多発している”19歳”殺傷事件。戦後4~50年の新制教育の両親の子供がいまの青少年。文字通りいまの青年や19歳は、ここ10年余の「道徳」教育の申し子なのだ。この間の道徳教育の結末というより、行き着くところ、共通一次やセンター試験になる正誤回答教育の結果ではないのか。考えるを避け、記憶するや正誤回答するというこの間の教育が招いた結果ではないのか。

記憶や正答表やマニュアルどおりに回答する態度は、社会に出てからますます助長する。指示されたり、職務分掌やマニュアルにある項目のみを、善悪や人への思いやりなどを考えることもなく、行動する。その結果きた”19歳”事件のこの頃ではないのか。かかる事件や”いじめ”などをなくすようにするために「誰にも公平に接する態度」を教えたいのだという。

「誰にも公平に接する態度」をどのように教え、どう考えさせて、「いじめをなくす」ようにしたいのか。誠実や節度などをどのように教え、どのように考えさせるのか。”これが誠実、これが非誠実”や”これが節度、これが非節度”などを、どのように教えるのか。文章項目化したり、正誤回答化したりして”評価”したりすることにならないか。

教材を読むことになっているという只今の「道徳」が、何故そうなっているのかを、よくよく分析検討してほしい。教える教師の資質やキャリアなどとの関係も考えてほしい。教育の現場品質の限界も考えてほしい。すべてを”教育”のせいにしてはならないと思うのだが、期待する。
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