吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

バーチャルとリアルの錯誤か、模倣か。

2008年07月31日 | Weblog
 似たような犯罪やスキャンダルがつづく。長年オシドリで連れ添った夫婦や仲のよかった親子の突然の一方が一方を刺した、殺したの犯罪が多い。公務員や法人団体の使い込み横領や教育界まで広がった贈収賄などもマスコミを賑わす。スキャンダルや犯罪は、模倣や連鎖が一定期間つづくもののようだが、理由が解明されていない。遮断策もない。

 相変わらず昨年以上に連鎖する虚偽や偽装。中国産や外国産のうなぎや食肉や水産農産物の産地偽装なども多い。偽装関連コストのほうが収益を越えそうな考えられない偽装もある。国産国産と頑なに産地にだけこだわる理由もわからないが、これに偽装で対応、詐欺してしまう業者も業者だ。

 テレビや広告マスコミの”刷り込み”やアニメ・バーチャルものの影響も無視出来そうにない。人気や流行を創出し、視聴率や購読率を求めるメディア企業。自由競争原理市場社会だからと、自分たちを正当化する。反省もない。社会が平穏で安心できることが最も求められていいと思うのだが、いまだに発展や便利を至上のものだと思っているようだ。

 ストレスを増強させるような勝負番組やバーチャル番組。バラエティ番組化する報道番組や低俗化した番組などが、若者や子供少年にどのような影響を与えるのかなどまで映倫民放連任せのようだ。雨のように降る情報にどのような傘や雨具がいいのかわからないが、情報雨具を持たない若者や庶民は、ただ濡れて歩くだけなのだ。

 情報の影響が強くなっている情報化時代、多くの国民は情報不感症になっているのかもしれない。理由のない犯罪や理由の特定できない犯罪が多くなっていることを理由にして、理由や動機などの探求が弱まることを危惧する。不連続時代の"連続”現象を止めることを考えたい。
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虚偽と偽装のつぎが”エゴと偽善”とは、何としたことか。

2008年07月27日 | Weblog
 まだ読んでいない武田邦彦氏(中部大学)の『偽善エコロジー』(幻冬舎新書)を早く読んでみたい。世に言うエコ生活がLOHAS生活理念とは異なる生活のようだと思っていたからだ。”エコ”が”エゴ”らしいと疑っていたからだ。7月27日朝日新聞の14版に、この本の広告をみた。

 閣議や国会の皆さんのエコ・スタイルや28℃に設定したという部屋でウチワを使っているノーネクタイ姿の官僚役人をみて、「何とラフで、緊張感のない」ワーク・スタイルだろうと思っていた。28℃やノーネクタイが、どれだけ石油の使用量の節約に貢献し、どれほど地球温暖化の進行を食い止めることに貢献しているのか、わたしにはわからない。

 一人ひとりが少しづつでもCo2の排出を押さえ、エネルギーや石油の使用量を削減することの貢献と、2050年温暖化ガス半減の地球世界をリードしているG8の首脳たちの談合の成果とが、どうしても重ならないのだ。広大な熱帯雨林や森林を伐採し、トーモロコシやバイオエタノール用の植物を栽培し、膨大なエネルギーを使い、石油やガソリン代わりのバイオエタノールをつくることの有効性が理解できないのだ。

 小麦や大豆の見えない企てによる価格高騰も、原油価格の止むことを忘れたような高騰も、見えない手の企てか投機筋の危険な遊びごころによるように思える。バイオエタノールや原子力発電や風力・太陽光などの自然発電が、エコなのか地球のサステナビリティを高める方法なのか、解るように説明してほしい。

 石油や石炭などの化石燃料発電の廃棄物や原子力発電の最終廃棄物などの”行方”を、地球の深層地中や地球外の宇宙に埋葬することで”地球ゴミ”問題を解決できるのか教えてほしい。人類が吐き出すCo2が、地球の温暖化を進めている主犯なのか説明してほしい。

 われわれ人類は、本当に地球温暖化や環境破壊の真の原因を突き止めているのだろうか。もっと広く太陽や太陽エネルギーの変化や見えない宇宙の闇の異常や変化を把握できているのだろうか。地球の天候や環境の変化は、本当にCo2の増加が原因なのだろうか。科学に疎い自分にはわからない。解らないが、直感や感覚で現在の学者や政府や地球のリーダーたちの主張や発表を疑っている自分なのだ。

 なんとなく、いまの「エコ」をエゴや偽善エコロジーという方々の主張に頷いてしまうこの頃だが、昨年の虚偽と今年の偽装のあとが偽善ではやりきれないのだ。 
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家族の形態や住まい方が変わって、消費のカタチが変わっている。

2008年07月25日 | Weblog
 ますます増え続けている65歳以上のお年寄りがいる世帯の数。4700万の世帯のうち、65歳以上の家族がいる世帯は1850万。4割に迫ろうとしている。しかも、うち400万強が単独世帯で、夫婦のみの世帯が540万にものぼる。未婚の子供と住んでいる65歳以上の世帯も300万ある。

 一方、家族の数は人口総数が減少に入っているにもかかわらず、年々増加している。15年前(H2年)4000万だった世帯の数は、H17年4700万世帯になっている。増えた分そっくりが、65歳以上のお年寄りのいる世帯なのだ。年々減っている平均家族人数をみるまでもなく、核家族や一人子供の世帯も増えているのだ。消費や購入の単位(数)が小さくなってきているのだが、そうでもない現象も多くみられる。セダンの乗用車より、7人乗りのワンボックス車のほうが売れているのだ。

 世帯の形態というか”住まい方”が変わってきているのだ。暮らし方も変わると買い物や保有するものも変わろうというものだ。少し前 話にでた”スープの冷めない距離”に別々の世帯が住んで暮らしている情況が浮かぶ。インデペンデントにそれぞれの好みなどで持ち、買うものと共用したほうが便利で効率的なものと、分け持って、使い回しするものなど「保有、購入」形態が変わってきている。

 そういえば、お正月の”おせち料理”の食べ方や買い方にしても、ただ”買わなくなった””用意しなくなった”というつかまえ方では現象が見えていないのだ。お年寄りの親家庭で用意してもらい、そこに食べにいけば、子供家族はおせちを用意したり、買ったりしていないことになる。しかし、おせち料理を食べているのだ。逆もある。子供家庭が用意し、親がそこに食べにいくとお年寄りがお正月をしなくなったようにでる。買ったり、つくったりすることを分担することもある。

 小学生や子供のいない世帯(家庭)で、運動会用の弁当が作られたり、中学生の制服を買ったり、そのスカート丈を短く裁縫している70歳のおばぁさんがいても不思議ではないのだ。物質的に経済的に関われる近場に住みあっている親子別世帯や兄弟世帯やその他の世帯など、家族や家庭や住まい方のカタチの変化をみることが大切になってきているのだ。

 消費財や耐久家庭財を商っている企業だけではない。役所や地方自治体にあって税金やサービス業務を考えている方にも、念頭にいれてほしいことなのだ。
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企業防衛VS生活防衛、どちらが勝つか。

2008年07月22日 | Weblog
 経済や社会環境や市場環境は、年々というより日々変化している。物価と自分たちの所得バランスでの相対的な関係の影響は大きいが、それだけではない。景気や経済および家庭のライフステージなどと、周りの環境や周囲の人々の変化も影響する。何よりも、近い将来や遠い将来の家族や自分および世の中がどのようになるだろうかというイメージや展望により、今日の暮らし方や買い物が変わる。

 イオングループの岡田社長が、7月15日(火)の繊研新聞の取材記事に「変化に対応できないGMS」を語っている。消費者が、強い決意で生活防衛しているのに、GMS(総合小売業)は”そのこと”に対応できていないと自戒している。自分が号令をかけ、リードしてきた小売箇所の超大型化(モールやSC)への反省はない。物理的だけでなく、考え方や精神的に”古い”と言って時代(変化)対応できていないといっている。マーチャンダイジングや店舗(スペース)経営や業態を言っているが、もっと根幹的な経営構想みたいなところにおいて自分たちの"考えや経営観”に欠けた何かがあったということに触れていない。

 狭い国土の日本や超高齢化する人口構成および地球環境や世界の地勢の変化の展望やその速さについての見通しが甘かったことに気づいていない。気づいていても、その影響力の強さへの見方が低い。感度や感性において、一般消費者のほうがはるかに企業より高いレベルにあるということに気づいていない。事実や構造や数字で振り返ってみる企業とは違い、消費者は肌や感覚で自分の周囲環境や生活環境の変化方向を確かに見通す。

 イケイケどんどんで造り続けたモールやSCが、社会保険や雇用保険でつくったグリーンピアなどと同じような運命にあることに気づかない。古い都会や市街地の店舗だけが”古い”のではない。郊外や地方のロードサイドや田園の真ん中につくった超大型で、超革新的な店舗ビルなどをして、解体も温泉やパチンコ&アミューズメントなどへの転換もままならないことに気づく日が近い。

 ここ10年、収入も所得も増えていない国民消費者の生活防衛についての知恵や行動の見方が、年々店舗拡大し、売り上げや収益を向上させてきた企業のそれらを上回ったのだ。よほど勉強し、レベルアップしていただかないと、企業は消費者に追いつかないのだ。
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同期情報社会における情報への接し方

2008年07月21日 | Weblog
 久しぶりに休日に事務所に出た。ささいな不注意で故障させたパソコンの修復や昨日買った新しいパソコンのインストールや初期設定をしたりするためだ。わたしのパソコン先生の息子にも協力してもらった。

 ところが、わたしの大部分の作業は書類や本やレポートなどの”片付け”になった。ほとんどが、破棄してゴミ捨てする作業だ。はじめたら終わりがない仕事になった。もともとパソコンに収納されているデータ書類やレポートなど、よく重複保存していたものだと呆れた。丸一日がかりで書棚やキャビネットおよび書類箱などのレポートや書類および書物が半減した。

 「考える」ことを仕事の中心にしようと考える自分だが、データや情報を「集める」こと、ただ集めファイルする安心に偏っていたのかも知れない。とにかく、対象や記録にかかわるモノゴトを「集める」ことに精力したフンボルトや牧野富太郎を尊敬してはいるが、最近はガウス(数学者)やダーウィンのように、ひたすら「考える」ことから普遍や真理に迫る行動に憧れていた。しかし、どうも自分は、前者タイプなのかもしれない。

 帰納法と演繹法のような真理へのアプローチ法についての好みなのか、信長か秀吉かといった生き方的なものなのか、そんなことを思って作業した休日だったが、今日的情報社会においては、情報は否応なしに”なんでも”入ってくる。いらない情報を捨て、必要最小限の情報を”わかりやすく”検索しやすくデータベース化することがコツなのだと思う。

 情報は、集めすぎるとゴミになる。「考える」ために情報は必要だが、「考える」ことを邪魔するのも情報だ。もう一度、「考える」ことにシフトしたいと思った休日の書類ゴミ整理の一日でした。
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”売れない”情況を抜け出そうと汗し、苦慮する商業者たちの後姿

2008年07月20日 | Weblog
 この一年、特に最近の”値上げ”はヒドイ。原油、ガソリン、食料、そして昨年以来つづく医療、介護、電気ガス、交通通信などの生活インフラの価格高騰のなか雇用従業員や一般国民の賃金や所得は伸びない。それどころか、フリーターや派遣社員の賃金は下がっているという。

 値上げが消費マインドを下げているというより、人々の所得が少しも上がっていない上に、将来のベターライフが展望できないことが、”買いたくても、買えない”情況をつくっているのだ。

 消費不振、販売低減に悩む企業や商店のここ4~5年の苦労は並大抵ではない。社員や従業員の賃金カットだけでは済まず、販売費や変動費の縮小に加え、設備や不動産を売却したりしている。販売促進や拡販施策の経費も出ない。”売れない"販売不振の情況だけがつづき、悪化している。

 原油や原料費の高騰も原因だが、このところの為替レート(ユーロ高など)の変化なども影響して、一時は小売景気を刺激していたブランドものの販売不振につづき、デパート、ファッション専門店、スーパー、商店街の販売は日々下落している。不振、低迷、下落している。

 加えて、規制緩和だ自由競争原理だとして進めてきた改革傾向に乗って開発され乱立してきたモールやSCといわれる郊外ショッピングセンターは、ただ近隣の商店街をシャッター通りにしただけで終わりそうだ。高齢者がクルマに乗れない、あんなに広大なエリアを買いまわりできないだけではない。子育てに追われる中年家族の主婦や二人若者家族の女性さえ、ショッピングカーはクルマでなく自転車なのだ。ガソリン価格だけが主犯ではない。

 食料品や衣料品の販売不振の深刻さはヒドイが、クルマや耐久消費財や住宅も、日用品やホームドラッグ商品も軒並み販売低迷だ。ひとり自転車の売れ行きがいいと聞いても喜ぶわけにはいかない。何とか販売促進しよう、拡販しようとすればするほど、費用やROI的には”アリ地獄”的なのだという。

 「売るんじゃない、買ってもらう」のだと言っても、過去や経験や傾向といったトレンド回帰しか経験していない人たちに、学習経験に頼らず”考えろ、知恵を出せ”と言っても過酷にすぎる現状だ。政府や経済をリードしている賢者たちの力添えを期待するばかりで閉じる。
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結局、人類は文明というゴミに滅びるのか。

2008年07月17日 | Weblog
 ヒト以外の動物や生き物、山や野原の植物など自然と呼ばれる地球空間環境からみると、人間は存在自体が”ゴミ”なのかも知れない。地震や台風などの自然災害により流出する土砂や流倒木や住宅地にまで下りてきた熊やイノシシなどにお手上げ状態の自分たち人間は、これらが自らが蒔いた種の産物だということに気づきはじめた。

 動物がかわいいといって勝手に鹿などを餌づけし、その繁殖や横暴危害に手を焼いたり、たくさんの犬や猫をペット飼いし、あるヒトは増えすぎたペットを山野に放し、あるヒトはペットを残して先に死に、可哀相だと野良犬や猫を連れて飼い、ペットショップ以上に増えた犬や猫を保健所や自治体に投げ出す。生き物までゴミ化する人間様の勝手だ。

 年間5000万トンの排出(日本、04年)家庭ごみ。リサイクルだ、リユースだと3Rを叫ぶが、うち年間800万トンほどは結局”最終処分場”行きなのだ。家庭ゴミの10倍も排出(廃出)されているのが、いわゆる企業などの産業廃棄物だ。この5億トン(日本)の産廃物には、動物の糞尿や汚泥および瓦礫類7~8割なのだが、すべてが処分されるわけではない。生活や自然を損なわないからということで最終処分場に埋められるものが、毎年5000万トンほどになるのだ。

 このようにわれわれが”ゴミ”と視認できるような汚泥や瓦礫などだけがゴミではない。カドミュウムやPCBなどの化学物質に加えて大問題の原発ゴミ高レベル放射性廃棄物など”最終処分”の方法さえ確立されていないゴミも多い。中間処理や再処理はあくまで”中間”なのだ。ガラス固化体にしようが何にしようが、重装備よろしく地球(深土中)のなかに埋めるぐらいしか方策がないのだ。

 2050年地球温暖化ガス50%減や低炭素社会化が言われているが、地球がいま以上に住みやすく、人間と他の生き物がいま以上によい環境を共有し合える見通しはない。結局、人類は発展進歩文明という欲望をすて、文明というゴミが極小化するような生き方や価値観を共有するしか、地球とともに生き残る方法がないのだと思う。;
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みんなで決めたことをそのように”する”ことが民主主義と思っていたが。

2008年07月15日 | Weblog
 義務と権利、義務することが先で権利なのか、権利があっての義務なのかはわからないが、権利は主張するが義務をスルーする人が多い。議会制民主主義や代理制民主主義に慣れ、代理代表にお任せし、他人任せの無関心者が増えている。平和だからかも知れないが、体制や政治の腐敗や不作為の作為スキャンダルに、言ってはいるが他人事として過ごすイヤな風潮の世の中だ。

 情報知識社会の特徴なのか、”知ること”に対する関心が高い。知っても知っているとするだけ。不正やスキャンダルを糺そうとか直そうなどの行動はしない。直接であろうが代理であろうが、みんなで決めたことを、みんなで一人ひとりがそのようにすることが民主主義を守る基本だろうに、そういかない。ひとと同じような権利を確実に手にできることが、民主主義と思っているようだ。

 いま、直接民主主義の手本だった町内会や住民組合が機能しなくなっている。任意の団体に入るも入らないも自由。自分の暮らしで精一杯なのに、会長や役職を受ける人もいない。お掃除やゴミ出しなどを決めても、都合が悪いと参加もしないだけでなく、決められたようなゴミ出しもしない。

 町内会域の住民も変わった。賃貸マンションに1~2年居住して引っ越す人、オーナーでありながら他人にまた貸ししている人も多い。そのコミュニティに長く住む人が減っている。古い人と新しい人は、人種が違うのだ。ワンルームに限らずマンションは、もっと悲惨だ。まともに管理組合などが機能しているところは少ない。修繕費や維持改装費や大分先の改築まで考えた積立金を徴収し、貯えているといっている管理組合でも、そこが委託している管理会社の倒産や貯蓄預金の持ち逃げなどもある。管理費を未払いしている住民も多い。

 共同で暮らすことや民主主義などについて教育を受けた大人世代にしてこうだ。義務や約束もしない人ほど権利や他人への要求が大きい。ここいら辺で、もっともっと自治や民主主義についての学校教育を再興してほしいと思っている。
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技術革新、技術立国というけれど。

2008年07月13日 | Weblog
 日本の高度工業化は、産学共同しての技術革新の成果だ。ポスト工業化の情報化社会を迎えても、国の技術革新や技術立国の方針はつづいた。理系の大学や専門高等学校に加えて政府系の技術開発法人が数多く設立され、発明協会や町の技術系工場が活躍した。

 しかるに、このところのハイテクやテクノロジーベンチャーの多くは、いわゆるIT系の企業で、ついこの間までの技術工業系が少ないような気がする。IT情報化時代やポスト工業化時代と言ってしまえばそれまでだが、国土や資源が狭少なわが国のより高い工業立国を希望する。

 世界的にみると、特許(工業所有権)の出願件数は、ここ10年で10倍に増えている。1990年ごろ170万件だった出願件数は、2002年には1400万件になっているのだ(うち、外国からの出願数は1300万件と93%)が、わが国の工業所有権の出願はこのところ低迷気味だ。

 1990年50万件、2000年45万件、2005年44万件とあまり増減がない。この特許・実用新案の内訳は、1990年特許37万、実用新案14万、2000年特許44万、実用新案10万、2005年特許43万、実用新案11万件となっている。意匠や商標をみると、1990年22万、2000年18万、2005年17万件とほとんど増減なしだ。むしろ、低減気味ともいえる。

 ハイテク、技術革新の10年や20年と言われている時代にして意外だが、外国からの出願件数は増加傾向にある(現在約15%)。一方、日本から外国への出願件数も約50万件と10倍にのぼる。

 この間(90年、00年、05年)の特許出願139万件に対する登録件数37万件27%や商標出願46万件に対する登録件数29万件63%をみると、登録率の低さが問題で、このところの商標(含、意匠)出願化傾斜になっているみられる。

 出願登録率の低さも問題だが、出願から登録までの時間の長さが技術寿命の短期化に追いついていないからではないかと憂う。特許出願の面倒さや特許技術価値寿命の短小化などが、ハイテク技術革新や技術立国を後退させるのではないかと心配している。どのようにして、発明家さんやハイテクエンジニアさんや町工場のノウハウ家さんなどの発想や創造性や革新意欲インセンティブを高めるかを考え、政策化してほしい。
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ハケンやフリーターは”職業”ではないのだが・・・

2008年07月12日 | Weblog
 あなたのお仕事(職業)は何ですかと聞くと、「フリーターをしています」とか「ハケンです」という答えを多く聞く。そう答えるしかないから”そう答える”のだろうが、その実情を嘆く。

 90年代年々高まってきた日本の完全失業率は、2002年の5.4%をピークとして年々漸減し、最近は4%レベルに安定(?)している。2~3%レベルを知っている自分には”改善や安定”には見えない。非改善がかくれている。

 10年前60%を越えていた女性の正規雇用従業員の割合(率)は、いま47%(05年47.5%、06年47.2%)レベルだ。10~15%も低減しているのだ。その分、パートやアルバイトが35%から40%に5%ほど増え、派遣(ハケン)が3~4%から13~14%に10%ほど増えているのが実情。

 完全失業率の改善で雇用従業員数(男女)がこの10年、4000万人から5000万人に約1000万人も増えているように見えるが、内訳をみるとパート&アルバイトが700万人から1100万人に400万人ほど増え、派遣や契約が150万人から550万人に400万人ほど増えているのだ。パートとハケンが増えただけの話なのだ。

 労働者(雇用従業員)の賃金もここ10年、大卒男子月20万円、高卒15万円、40~50代のパート女性月8~9万円は、増えも減りもしない。月(平均)5000円前後が増えたり減ったりしている情況の10年なのだ。この10年の生活インフラ(電気、ガス、水道、交通、通信、医療および税金など)は、その他の物価を尻目に大幅アップし、ここに来ての原油、ガソリン、食料品などの"値上げ”ラッシュだ。

 汗し、働く者の代表、ハケン(派遣)やフリーター(非正規時間労働)がどうのこうのを越えた労働や雇用状況なのだが、年金(高齢者)や介護や環境などの問題に隠されていい問題ではない。少々後手気味の経済景気賃金労働問題に対する政府の積極的な取り組みを希望する。
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