吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

カタカナ(複合)汚染

2011年07月24日 | Weblog
35年から40年前、日本は高度経済成長の真っただ中にあった。そのような時期、有吉佐和子さんの『複合汚染』が連載(朝日新聞)され、出版(新潮社)された。うすうす抱いていた”工業化成長”の不安と影を、ずばり小説にして世に問うた有吉佐和子さんに、感嘆した。

チッソ水俣病や森永ミルクヒ素混入事件などが前触れだったが、まだ実感していないホルムアルデヒトやアスベストに加え、界面活性剤やトリハロメタンおよび化学工場などと河川や海および土壌などの汚染不安を指摘した小説だった。チッソ水俣病の訴訟裁判が決着するのは、それから半世紀後のつい最近だ。

そして、このたびの福島第一原子力発電所の震災津波水素爆発による放射能汚染だ。当初は、ヨウ素(131)など昔からのチッソやヒ素などの延長イメージで喧噪だったが、キツイ攻撃は”カタカナ”で来た。プルトニウムとセシウム(131)だ。前者がウラン(濃縮)に準ずる化学毒性だといえば、後者はコバルト同位体ストロンチウム並みの毒性だとかいう。

チッソ、ヒ素、カドミウム、アスベスト、エイズウイルス(HIV)、ヨウ素、セシウムと、カタカナに攻められた21世紀初頭だ。チルノブイリやスリーマイル島で不安された言葉も、ストロンチウムやコバルトとアルファ線やガンマー線だった。カタカナ複合汚染の図だ。

ヒト免疫不全ウイルスHIVかと思ったウイルスが、最近はもっぱらコンピューターに入る。インターネットはIT社会のインフラだが、これが、コンピューターウイルスという他細胞で自己複製して悪さするウイルス(プログラム)に脅かされている。

同居(免疫)するのか、戦いを挑み殲滅させるのか、カタカナたちに選択を迫られる人類なのだ。
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