吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

政治迷走の2010年回顧

2010年12月30日 | Weblog
2010年(H22)、日本の政治は何をした。国会や政府は、何をした。小沢(氏)で始まり(1/15)小沢(氏)で終わった(12/28)民主党政治は、何だったのか。”政治とカネ”が政治の中心では、あまりにも悲しいではないか。

2010年1月15日、民主党小沢一郎氏の元秘書らが逮捕された。小沢氏の資金管理団体・陸山会の4億円土地取得資金の政治資金収支報告書不記載の政治資金規正法違反容疑だ。だが、この小沢氏の”政治とカネ”問題は、何かへの不記載での元秘書逮捕以上に、根が深い。

不動産屋顔負けの多額の土地取引。繰り返された政党結党解党時の政治資金処理。昨年夏の総選挙時に配られた4~5億円とも言われている選挙資金の出所などなど。虚偽記載や偽装を超える”政治トカネ”問題への説明や解明は、まだだ。

2010年2月4日、元秘書石川智裕衆議院議員が起訴されたものの、小沢氏は不起訴。そして、並走する民主党代表鳩山首相の”政治とカネ”問題。6月2日、ついに民主党鳩山首相が、小沢幹事長とともに引責退陣した。鳩山首相は、母親からの偽装献金虚偽記載(4/22、首相の元秘書有罪判決)や沖縄普天間飛行場辺野古移設迷走の責任をとったのだが、政治とカネ問題の主役小沢さんを道連れにした。

そして6月4日、菅直人首相が誕生した。草の根運動や野党時代から脱却できない菅首相の女房役・官房長官に学生運動出身の仙谷氏を起用したが、不確かなコンビネーションでの迷走がつづく。首相はご自分を仮免許などと言って、素人迷走内閣の自省もない。

2010年7月11日、菅首相率いる与党民主党は、参議院議員選挙で大敗。事前の消費税10%発言が敗因などと、国民大衆の真の民意すら分かっていない。コップの中の争いの民主党代表選(9/14)で、菅首相再選。小鳩両氏の完全退陣を思わせたが、実際は”逆”に作用した。小沢さん鳩山さんのヤル気は、高まるばかりだ。

2010年の夏の”猛暑”は、政治迷走に拍車をかけた。9月4日の尖閣中国漁船衝突問題や韓国延坪島砲撃の北朝鮮問題などでの”あいまい”迷走外交が、国内の政治迷走をも高めた。ロシア大統領の北方諸島や中国レアアースなど問題への対応も、アメリカ頼み以上の処方が浮かばない。そして、2010年は師走の12月に入った。

2010年12月28日、小沢氏が、通常国会での衆院政治倫理審査会への出席意向を表明した。だが、菅首相内閣は、2011年度の無策予算を閣議決定(12/24)するのが精一杯だ。とても、迷走が終わる気配は感じられない。2011年予算をめぐる通常国会からの2011年1月~3月、内閣と国会諸氏のご健闘を願う。
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朝日新聞(12/26朝刊)の”孤族”化考

2010年12月26日 | Weblog
2010年12月26日の朝日新聞朝刊が、”孤族”という造語で、近い将来の日本社会のテーマを提起した。古くて新しい時代的課題だ。

孤族という造語は、賛成できない。これまでの日本社会のキイ・ワードは、”個”だ。個人の自由や独立および個性化をめざした。パーソナルということで、共有してすむものまで個人個人が自分のものを持つことを指向した。個室という自分の部屋があることが豊かだと思った。

インディビジュアルといって個性や自分の好みを身につけることを、自由の頂上のように思った。教育も個性化を叫んだ。いつのまにか、自分勝手が自由のように錯覚していた。そして、プライベートやプライバシーが大手を振って歩く世の中になった。ネットワークや絆ということが、”個”を支えるテーマになった。

”孤”は、受動的だ。絆やかかわりがない。孤立イメージがつよい。みなしご(孤児)大人のような、そんな存在のようで、受け入れられない。その言葉に”族”という群れや絆イメージのある言葉をつけて造語した感覚が好きになれない。ただいまでさえ、家族という言葉は後退しているが、それでも言葉があたたかいからか、好んで使われる。

2020年、2030年の日本社会の大きな問題は、人口減少であり、一人で暮らす人々や二人超高齢者住まいの人々への対策であろう。すなわち”孤族”に対する対策ということなのだろうが、世の中を暗くするこのような言葉を造語することもあるまい。

おそらく2020年、2030年ごろ、日本の全人口は1億人を割り込んでいよう。うち、いわゆる高齢者(65歳以上)は、4000万人と今にも2人に一人が高齢者ということになろう。高齢者の定義を75歳以上にしてもなお、2500万人と4人に一人が高齢者なのだ。

この2500万人(75歳以上)のうち、一人住まいの方が1000万人弱と、ただいま(2010年)の3倍から2倍になるのだ。残りの1500万人のうちの1000万人が二人世帯(500万)になるのだから、どのような”手当”が必要かがわかろう。

ちなみに、このころの子供(14歳以下)の数は、1500万人と75歳以上のお年寄りの数の半分ほどだ。10~20年後の超高齢社会日本への”手当”は、ただいまの急務な課題なのだ。
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きのうのタウン・ウォーキングから・・・

2010年12月23日 | Weblog
今朝、きのうの万歩計を覗いた。トータル歩数10757歩、PW7369歩だ。ふだんは8000歩PW5~6000歩だから、大分歩いていたことになる。あまり外歩きのないシゴト勤務の自分が、一日一万歩をカウントすることは少ない。

午前、平河町の事務所から四谷駅近くまでを往復。その後、事務所から近くの銀行を往復し、ランチを同様。午後、2~3時間のデスクワークの後二番町までを往復したのが22日の一日(昼)だ。トータル歩行時間1時間41分、7.7kmの歩行で、6.4EX 。歩行による消費カロリーは439Kcal と記録されている。

ふつうのウォーキングによる歩数と消費カロリーの基準は、30分3000歩100Kcal, 60分6000歩200Kcal,90分9000~10000歩300Kcal といわれているから、ほぼ標準の運動(量)をしたことになる。ちなみに、ウォーキングは時速6KMで4METS、ジョギングは時速8KMで8METS、時速10KMなら11METS が標準。わたしのふだん歩行は、時速4~5KMだから3~4METS程度と思われる。

このような普段のタウンウォークを紹介したのも、おととい筑波大大学院の研究生たちとの今年の忘年会をしたあとだからだ。彼らとは年に2度程度、埼玉ウォーキング協会との協働で、ウォーキングと中高齢者の体力測定研究などをしている。長いことウォーキングソックスを研究してきたナイガイのスタッフ諸君や埼玉あるけ通信の編集主幹をしている大澤宏さんも一緒だ。

いきおいウォーキングなどについての関心が高まるグループなのだ。ウォーキングはふつうに歩くこと、ジョギングはゆっくり走ることだが、結構両者の中間的なヒトや皇居周囲ランニングだか皇居周囲ジョギングだかわからないヒトも多い。厚労省の2006年の「健康づくり運動指針」からスタートしたEX(エクササイズ)ガイドがもっと普及し、皆さんがより”健康”を意識した暮らしをするようになればいいと思っている。
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”足りる”を知って暮らす

2010年12月20日 | Weblog
いかに顧客満足を高めるかは、最近の企業のヒトたちの目標だ。C S と言われている。近年の企業のマーケティングの目的でもある。モノ(商品)をつくる会社も、売る会社も、サービスを届ける会社も、それを通じてお客さまの満足を得ることが、その対価としての売り上げや利益になるのだと、最近気づいたのだ。

企業の最終的な目的は、半永久的な”存続”だ。だから、企業はつづく限りお客様の満足を得つづけなければならない。大変キツイことだ。持続可能的(サステナビリティ)な経営や活動などとノンビリしてはいられないのだ。政府や政治にこそ、もっともっとC S (国民生活満足)に敏感になってほしいと思う。

もっとも、この”満足”には、青天井的な性格がある。あきないではないが、飽くことを知らないのだ。ヒトの欲望とも言える。だから、人と人、企業と企業、国と国が、己の欲にまかせて戦ったりする。”ないもの”をほしがるのだ。周りが海で小さな国は、もっと広い土地を欲しがる。広大な国土だが海のない国は、広い海を欲しがる。中国の尖閣列島や東南アジアの海争いだ。

他人事ではない。国土や耕作面積の狭い日本も、周りの海辺を埋め立てたり、アフリカや南米あたりの”土地”が確保(長期賃借)できないかなどと考える。あのロシアでさえ、あの中国や韓国でさえ、”ないもの”がほしくなるのだ。ひとえに、”足りる”を知らない人の集まりが国だからだ。国土などが”所与”で、それぞれに”制約”がセットされているのだと自戒してほしい。

国土が小さく、資源に限りがある国は、そのことを受け入れて政治し、暮らすことが大切だ。海のない国は、海の資源を陸資源と交換(貿易)して得られる暮らしで満足すればいい。簡単なことだが、国や人々の価値観を変えることが、いま一番求められているのだ。できれば自分だけでも、”足りる”を知って暮らせるようになりたい。
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ヒット商品(日経MJ)から見る2010年

2010年12月18日 | Weblog
2010年12月8日(水)の日経MJ新聞が、今年のヒット商品番付を発表した。毎年発表される番付であるが、どのような基準やモノサシで計測、評価されているのかは知らない。だが、この発表を楽しみにしているのも事実だ。

だいぶ昔から発表されている一種のランキング情報なのだが、20年経っているのか30年経っているのか知らない。そんなに長いこと時代を見てきたこの日経MJヒット商品番付に敬意と感謝を表したい。その年その年のヒット商品番付が、その年その年の世相やはやりを教えてくれた。時代を確認できた。

実際には、上期下期のそれもあるが、長く時代の推移をみるには、年度ごとの発表がいい。どのような区分で東西にわかれるのかもわからないが、横綱、大関、関脇、小結につづく前頭などのランキングで、約50品目ほどが選ばれる。ヒット商品というから”モノ”(商品)がランキングされるのかと思うとそうでもない。

今年(2010年)などは、半数以上がモノでなく”コト”だ。東の横綱スマートフォンや西の関脇LED電球などは商品だが、東の大関エコポイントや西の大関3Dおよび東の関脇猛暑特需などは、コトだ。それにしても、毎年このような”コト”が上位にランキングされる割合が高まっているのは、どうしてか。世の中や人々がモノ離れしてきているからなのだろうか。それとも、ヒットするモノ(商品)開発が低迷しているからなのだろうか。

食べるラー油、ビッグマックやトップナノックスなどのようないままでの商品が後退し、ipad やスマートフォンなどデジタルや情報機器が上位に入っているのが”時代”なのだろうか。羽田空港やはやぶさやせんとくんやエコポイントのような政府や自治体などのものが上位にきているのも、皮肉だ。

民間のマーケティング商品開発力が、より一層高くなることを期待している。景気経済の浮揚を願うばかりだ。(KY)
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月曜日は,黒い景色の東京風景

2010年12月13日 | Weblog
月曜日はとくに、クロが目立つ。喪服やフォーマルの日だからではない。最近の通勤スタイルを一言でいえば、クロ(黒)い景色だ。トラディショナルなスタイルでも、このところはやりのハニワ・ルックでも、色はクロだ。キュートでもキャリアでも、クロ基調なのだ。シゴトに通勤するオトコたちもクロだ。

スーツは、少々濃いチャコールグレイも入れると、9割はクロだ。スーツの上に着るコートやオーバーも9割は、クロ。OLやキャリアの女性の9割もクロ。ほとんどの女性のボトムやストッキングも、”クロ”だ。ついこの間まではやったクロでないカラーストッキングは、影をひそめた。

月曜日や週日の電車の中は、黒い景色が波打つ。自分の前に並ぶ7人掛けのイスは、全部か6人が黒い洋服だ。自分の周りを眺めれば、周りほとんどがクロだ。アタマではない。波打つ洋服の肩や全体の色が、黒一色なのだ。通勤の往復で眺める街路を行きかう人々も、上から下までクロだ。

長くつづく大学生男女の就活が、街のクロ・スタイルを目立たさせているわけでもない。このところのサラリーマンのスーツもほとんどがクロ。会社や会社近くの公園や街路を歩く女性も、黒一色と言ってよい。なぜだか知らない。たまに、今日はカラーが目につくと思えば、週末か休みの日曜日だ。ハイキングかリゾートか知らないが、カジュアル・スタイルのような日だけ、”カラー”が少々目につくのだ。

少しほっとするのは、クロが一色ではないということだ。実にいろいろなクロがある。黒のグラデーションが、いいクロを演出しているのだ。本当は、もっともっと”クロ”に限らないカラード・ファッションを楽しんでほしいと思うのだが、クロの幅や特徴が広がってくれれば、それもいいかなと思う。安心できるみんなの色が、クロなのかもしれない。
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H22年12月11日の青森は横内中学校での「たすけっこの会」

2010年12月12日 | Weblog
2010年12月10日、ふだんと変わらないシゴトを終えて、沖縄から来られた久保田さん(KK.環境浄化センター社長)と一緒に、ごご6時近くの(新)東北新幹線「はやて」に乗った。KK.Y エンジニアリングの山田社長も一緒だ。

自分のブログでシゴト仲間や同行者の名前を開示したことはない自分だが、今回は自分なりのひとつのメモリアルということでご容赦願いたい。青森は横内中学校で開催される「たすけっこの会」の催しに参加するためだ。10年前、この会を立ち上げ、事務局長としてこの運動の推進に注力されている奈良哲紀さんやこの運動を支えてくださっている方々に早くお会いしたい。気持ちばかりがはやる。

東京駅を一路新青森駅に向かった新開通したばかりの「はやて」は、わたくしたちが乗った9号車でトラブった。10~15分もたたない社内で”大声”だ。多くの人々には周知された”禁煙”に、その根拠は何だとわめく乗客。車掌やスタッフがすでにもてあまし状態なのだ。乗客はすでに泥酔状態。大宮駅で乗り込んだ鉄道警察や大宮警察など10人ほども、その対応処方が見いだせない。その乗客さんに、ここ大宮で途中下車してもらった「はやて」が出発したのは、20分後だった。

新青森駅で出迎えを受け市内のホテルにチェックイン、ダウンタウンの居酒屋で奈良さんや「たすけっこの会」の里村会長や支援者の図司さんとお会いできたのは、すでに9時をすぎた夜だ。ほとんどがはじめてお会いした方々なのだが、なぜか10年ぐらいお付き合いしている仲間のような感じだ。

そして2010年12月11日、早めのホテル朝食を終えた私たちは、今回いろいろお世話してくれているスタッフの安田さんのクルマで今回の「たすけっこの会」の横内中学校に向かった。横内中学校の桜庭校長先生の案内などのあと午前9時、H22年度・命を大切にする心をはぐくむ「たすけっこ」運動の会がスタートした。約80人の市内中学校の生徒さんたちの作業に加えてもらって2~3時間、わたくしたちの擬じ参加が終わった。ありがとうございました。

この日から青森発のこのたすけっこの会は「日本たすけっこの会」に名称変更したという。約1万人の参加生徒さんとその作成配布10万~15万個の防犯笛がいまの母体というが、もっともっと参加生徒さんや支援参加者が増えて、いのちを大切にする心が広く育まれていくことを願う。(会の紹介;11月21日ブログ)

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日本の子供たちの”読解力”が向上したという(12月7日)

2010年12月09日 | Weblog
ピザはPISAでも国際学力調査だ。なぜここが主催しているのかわからないが、OECD(経済協力開発機構)が実施している国際的な学習到達度調査のことだ。各国の15歳児を対象にした国別の学力比較調査だ。

65の国や地域が参加している。2000年より調査を開始したらしいが、日本は回を追うごとに成績が下降していたのだが、4回目の今回にその低落傾向が止まったというのだ。2006年に比べ、数学的リテラシーが10位から9位に、科学的リテラシーが6位から5位にと上昇し、読解力が15位から8位に飛躍したという。

まことに喜ばしい限りなのだが、正直”大した変化”ではなさそうだ。これら3部門通して1位だったのは、初参加の上海。どの部門においても、ベスト5に入った香港やシンガポールと、2部門に顔を出しているフィンランドや韓国を見るに、いまの東南アジアあたりの勉強熱や勢いを感じる。

学力が回復したとか、低落傾向が止まり、上昇に転じたなどと喜べる状況ではなさそうだ。2003年、大幅ダウンに危機感をいだいて取り組んだ読解力順位向上活動が結実したなどと手前味噌を言っている文科省には、もっと厳しくとらえてほしいと思う。

もっと大事なことは、このような”比較”や”競争”調査を、目的や活用がハッキリしないOECDなどが所管していることの事業仕訳だ。文科省とOECDと政府が一緒になって考え、この有益性が説明できるようにしてほしい。
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師走というに、毎日が忘年会。

2010年12月04日 | Weblog
ヒトはなぜ忘年会をするのか?ことし一年を回顧反省するのか?一年交流してきた仲間や友との懇親を高めたいのか?ただ、毎年同じようにことしも忘年会をする。声がかかれば、乗る。おかげで12月は、ほぼ毎日が忘年会になる。

そんなに忘れたい一年だったのかと振り返れば、逆だ。世の中や政治まわりでは、それはそれは”忘れたい”ことばかりでしたが、自分まわりはなかなかメモリアルな一年だったような気がする。”忘年”したくないことが多いのに忘年会ばかりする。理念も生き方も、ライフスタイルもない姿で、今年も過ぎた。

昨年2009年の「ことしの漢字」は、新でした。前年(2008)の変に希望を添えた新だったような気がしていたが、ひとつも希望的な新は見られなかった。この10月15日私が上梓した今年の本(「2010日本の迷走」湘南社)のタイトルは、”迷走”だった。新をさがして”迷”に過ぎたのかもしれない。そういう意味では、忘年したい2010年だった。

昨日も一昨日も身近な仲間との居酒屋忘年会だったが、きょうはこれから箱根仙郷楼に向かう。40年~45年ほど前のシゴト仲間10人ほどの忘年会だ。2か月に一回のランチ会の仲間の忘年会なのだから、笑われるかもしれない。一泊して帰ると、来週も月曜、火曜とシゴト仲間との忘年会がつづく。いいトシをして何という日々だと反省しながら、今年の12月も惰性で暮らす。
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ツイッター政府のツイッター政治

2010年12月03日 | Weblog
お考えがわからない。どのような構想や展望で、そのような施策になったのかがわからない。どうして、そのようにするのかわからない。理念やビジョンが見えないにしても、そのようにする皆さんの思考過程の開示がない。思考過程の開示の仕方がわからないために、ツイッター政治をしているのかもしれない。

ご自分のアタマのなかを表現できないために、ツイッターを指向するのかもしれない。政治家さんのツイッター反対なのだが、わかってもらえそうもない。不得意を後ろにして、適当に何かを発信できるからだろうが、やめてほしい。スキ・キライや中傷合戦だけで政治しないでください。

 高速度道路、普通車上限料金2000円改訂も、3歳までの子供手当て2万円などもどのようなお考えで、どのように討議して、どのような展望でそのようにしたのかハテナだ。何か委員会か審議会があって、このような意見書が出て、これを内閣でこのように討議し、決定したということがわからない。尖閣の対処やビデオでも、誰が、どのような法律や考えで、あのように遅滞迷走したのかもわからない。

 突然出て、突然発表されたり、内閣の決定発表なのか、大臣の個人的な気持ちなのかもゴッチャだ。内閣政府の発表や決心なのか、与党民主党のそれなのか、1人の国会議員のご意見なのかもわからない。これらの発表さえ、ツイッター的で、内閣や政府の政治の方向とのすり合わせが添付されてない。思いつきやスキ・キライを、ただ言うことが政治主導だとお思いなのかもしれない。

 小さな部分費用だけを事業仕分けして、もう仕分けは限界までやった風を装う。ご自分たちの歳費や費用にも届かない。大きな特別会計やひとつふたつの大きな独法すらなくせない。もうやるところまでやったので、あとは消費税でも上げるしかないと思っている。よくよく、反省し、政治革新をしてください。
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