吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「知らない」から「わかって」よく付き合える。

2010年08月29日 | Weblog
 多くの人とお付き合いできるのは、嬉しい。楽しい。とくべつ、自分の悩みを愚痴ったり、相談したりすることは まずない。その日その日、そのときの相手と、成り行きで語らう。還暦を越えて、オシャベリしたり、シゴトをしたりする相手に女性が多くなった。

 ずっと努めてきたことだが、わたしは相手のトシや生まれ年を聞いたことがない。結婚しているかや恋人がいるかなども聞かない。プライバシーがどうのこうのではない。聞かれることがイヤだからでもない。知らないほうが、その人なりが理解できるからだ。

 ご家族のダレがどうしたなども聞かない。とくべつ、自分も言わないが、久しぶりに会った友にも、そのようなことは聞かない。知らないことの方が、その人とのお付き合いがよくできると思っているからだ。その人の周りを見すぎると、その人のホントの姿が見えなくなったりする。ふだんのその人を、そのまま知って会話したいといつも思っている。

 ご家族のことやシゴト場などの事情を知りすぎると、結構その人を誤解したりする。その人のシゴトぶりやその人の会話に、その場やそのときの感じで、そのままお付き合いすることが自分には合う。長くお付き合いできるように思う。

 おそらく、自分の孫ほどの若者から自分の親ぐらいのお年寄りの方まで、ふだんお付き合いしてもらっている方の年齢巾は広い。豆乳やヘルス&ビューティをテーマにしたシゴトが多いせいか、アラフォーあたりの女性や若者が多い。自分の子どもほどの年齢の方々だが、教わることが多い。何気なく教わっている。

 しばらくは、いまのままのお付き合いがつづくことを願ってやまない。

 
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少し戻って、この30年(1980~2010)を回顧。

2010年08月28日 | Weblog
 世の中の暮らしぶりや元気さは、5年周期ぐらいで変る。いま、ふぅっと回顧する1980年代は、昭和も終わる頃。オイル・ショックなどもあったが、世の中元気だった。世界の中の日本が元気だった。

 その頃アラフォーだった自分たちの世代や世の中を牽引していた団塊の世代が、”働き盛り”だった。まだ、日本の人口が、年100万人ほど増えていた時代だ。日本の国民総生産(GDP)は、80年代前半の5年で1.3倍に、後半の5年も1.35倍になっていた(1990年GDP、439兆円)。

 80年代の10年で約100兆円成長拡大したGDPだが、その後100兆円を上乗せするためには15年かかった。2005年のGDPは541兆円。その後の5年の2010年まで、日本はこれを維持するのがやっとだった。

 私たちの暮らしの素所得(可処分所得)の移り変わりは、もっと深刻だ。1980(昭和55)年頃、月平均31万円だった国民一人あたり可処分所得は、1.4倍強の1990年44万円になり、1995年には48万円になった。バブルの崩壊をもろに受けて、私たちの所得(平均可処分所得)は2000年の47万円が、2005年44万円、2009年44万円と、"維持”がやっとになった。

 ここ10年の消費支出合計額に占める食料費支出というかエンゲル係数も、2000年22%がその後の2009年まで年平均22%と、変っていない。GDPに占める家計消費支出額の割合も、2005年52%から変らず2009年も52%(285兆円/545兆円)だ。この5年、停滞感や閉塞感をつよく感ずる事由だ。

 この30年の前半の20年、日本の総人口は1億1700万人(1980年)から1億2700万人(2000年)と、1000万人増えた。一時は1億2800万人(2005年)まで増えた日本の人口は、その後漸減し、いま(2009年)では1億2700万人と10年前のそれに戻った。

 名目であれ国民総生産(GDP)や国民所得が増大して、そして人々の消費支出額が伸長している世の中は、元気だ。きょうの活力が希望や夢を生む。希望や夢のある世の中は、安心と平和を育む。
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与党の権力抗争や不安定が、政治迷走を延長させる

2010年08月27日 | Weblog
 あきれてモノが言えないのは、ただいまの与党だ。政治を忘れた政局論争や政策や国民生活を忘れた党内抗争などの毎日。菅内閣は、閣内不一致を超えて、閣僚がそれぞれ思い付きを発言。大きく不安定を増す為替レイトや株価下落への対処も、不作為だ。

 ついこの間、政治とカネ問題で退席した小鳩政権の両雄が、もうオモテ舞台に出てきた。静かにしていてくださいという菅総理への敵意丸出しだ。無策なのか不作為なのかわからないが、迷走する菅総理を実質サポートするものがいない。閣僚も党幹部も、誰も菅総理を支え只今や近い将来の政治や日本への手立てを助けるものがいない。

 まだ決着がついていない政治とカネ問題の渦中にいる小沢さんを担ぐ人々。自分の迷走や不足を責め、政界引退までほのめかした鳩山さんのこのところのカムバック。菅総理を支持すると言ったり、小沢さんを支持するのが大義だと言ったり、相変わらずの変節を何とも思わない宇宙人が、このたびの政局の中心にいたりするのだから不思議だ。

 少し落ち着いて政治してくれれば、少々の”ねじれ”は乗り越えられるだろうに、策も知恵もない。ただいまの政権与党の”みなさん”をみれば、菅さんがやろうが小沢さんがやろうが五十歩百歩だ。ましてや、菅支持グループと小沢支持グループにでも"分裂”したら、それこそ只今の半分のチカラも出せないだろう。

 漂流よりましかと思った迷走だが、政治や政権の迷走がこれ以上つづいた日本はどのようになるのだろうか。このところの不況や経済危機をどのように乗り切れるのだろうか。この円高や株価下落に対する対処は、どのようにしてくれるのだろうか。自由主義だ、自由市場だと無策と、不作為を決め込んでいるのだろうか。

 これ以上の迷走は、やめてほしい。政治の施策やメッセージを発信してほしい。同じ歳費を税金からいただいている国会議員のみなさん、皆さんで責任を分担してください。閣僚の皆さんは菅総理とともに、一致した力強い方向を発信してください。
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赤染晶子さんの『乙女の密告』(文芸春秋)の痛快

2010年08月15日 | Weblog
 この14・15日の月遅れお盆の墓参りは、電車だ。スーパーひたちの往復は、文芸春秋9月特別号が友だ。この度(143回)の芥川賞受賞作『乙女の密告』が、一人旅を痛快にした。手前勝手な受けとめだが、芥川賞らしい”短編”だ。文章も、構成も素晴らしい。読みやすい。

 ずっと昔読んだような、そんな『アンネの日記』の復習にもなった。文字通りの短編だが、次を急がせる展開で痛快だ。自分が想像したこともない外国語大学の女子語学教室の雰囲気を教えてもらった。作者の赤染晶子さんの思考やアタマの中が伺えて、興味心を高めてくれた。

 何しろはじめの10行あたりの文章や流れが小気味いい。言葉や文章のセンスというか、味がいい。展開というか、登場させる人物のキャラと順序がいい。推理心を同調させる構成が素人の自分にフィットする。久しぶりに爽快な芥川賞文学に遭遇した。一気に読み終わってしまったが、一人夏のショートトリップを爽快にしてくれた。

 アンネ・フランクを密告したものが「私みか子」だというエンディングが痛快だ。バーチャル・リアリティ時代にぴったりの短編だ。口コミや風評・風聞の行き交う世の中ではあるが、真実だけが世の中を進めているのではないということを教えている。真実の禁断の果実は、乙女だけのものではなさそうだ。


 

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政府の予算(編成)大綱で計るしかない国や与党の覚悟だが。

2010年08月12日 | Weblog
 予測や予想通りに進むのは、台風ぐらいだ。与党や政府の方針や覚悟ほどハッキリしないものはない。国づくりや国の姿が示されていないのだから、方向や針路についてチェックしようもない。革新リベラルを旗印にした民主党に”変化”と新しい国づくりを期待して選択された新政権が、迷走している。

 つい一昨年の不作為漂流の保守自民党政権と少しも変らない。後退の感すら見える。菅新政権が示した2011年度の予算大綱は、歳出予算71兆円とそのための国債発行額44兆円だ。鳩山政権やその前の自民党政権のそれと、どこが何がどう違うのか。景気経済の浮揚回復と成長力確保を先行させるのか、それとも税収増を消費税(増税)で確保することを呼び水にするのか読めない。

 米国経済の不透明さや円高傾向がもたらす輸出企業依存経済などは、依然デフレスパイラルを脱出できない日本経済の先行きを不透明にしている。この国の元気や希望を回復する処方箋は極めて難しいが、景気経済の回復とそのための成長力の創出は、国の予算編成から出発するしかない。大きな予算(規模)が、大きな政府でない方向で効果することを期待したい。

 このような困難状況にあっても、国の財政の健全化は急務だ。健全な財政の展望なくして、国や国民の希望はないからだ。100歳を超えたお年寄りや0歳の赤ん坊も含めた国民一人当たりの借金710万円の負担感は大きい。ただいまの900兆円が国民の総金融資産額1600兆円に近づき、超える日が目の前に来ていそうな気がする。この2011年度の国債発行額44兆円ぐらいが、全部国債の利払いになりそうな日もそう遠くはない。

 トータル5兆円のサイズ・ダウンぐらい組めないのか。予算71兆円を66兆円にし、国債44兆円を39兆円ぐらいに線引きできないのか。先に行った事業仕分けとつぎの事業仕分けを急ぎ、その廃止、削減、縮減の実行を2011年完全実行にし、天下り法人やその傘下などに埋蔵した埋蔵金を掘り起こし、国会議員と公務員の数を半減する施策を緊急実施し、予算や政府規模をサイズ・ダウンしてほしい。

 結局、面倒だし、既得権益や役人や地方などの抵抗も煩わしいので、いままでの延長線に乗って組むなどと投げ出さないでほしい。
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新しい環境に生きるために。

2010年08月11日 | Weblog
 世界中”異常”のようだ。ここ一ヶ月の日本の異常な暑さや時々現れるゲリラ豪雨に四苦八苦していたら、日本だけではないという。中国や東南アジアの豪雨や台風被害も甚大だという。ロシアはモスクワあたりの暑さも半端ではないというし、北欧や北米の天候も異常だという。南米には、豪雪被害が出ているらしい。

 地震や土砂崩れ災害も、あちこちで頻発している。どのような発生原因かわからないが、山林の火災も甚大だという。原油噴出災害など人災も多いが、天候や自然の怒りのような災害も多い。いままでに経験したことのない災害の頻発に戸惑うことしきりなのだ。豊かな国々も貧しい国々も、地球や天候の怒りに”なすすべ”がない。

 暮らし方や政治などの新しい環境への対応を”チェンジ”と言って登場したオバマ大統領も、チェンジをプロモートできないでもがく。一時は、変化症候群にかかったような日本の政治や政治家さんも目標が定まらず漂流していたが、このところの政府や与党の迷走は目にあまる。少子高齢化社会だからと一括せず、どのような成熟社会を目指すのか国の姿をイメージさせてほしい。

 国内の”格差”もいろいろな分野でひどいが、地球規模で眺めた格差のひどさは異常を超える。65億人の世界人口の8割約50億人が、一日(平均)10ドル以下で暮らしている。その半分の25億人近くが一日2ドル(170円)以下の暮らしなのだ。日本のように一日100ドル以上(平均)で暮らしている人口は10分の1の6億人にもならない。

 この日本にしても、働く場所もなく住む家もない人々がたくさんいる。100歳以上のお年寄りも好き好んで”所在不明”になったわけではない。家族関係やコミュニティや絆が崩れたということを理由にするのは”恵まれた人々”だ。行政や政治と行政に携わる公務員や政治をしている政治家に、このような情況や変化に思いをめぐらす気質が欠けていることが、原因の元のような気がする。

 いままでに経験したことのない環境や世界にあって、いままでと違った価値基準の中にあって、どのようにバランスしてみんなで生きて暮らすのかを考えて欲しいと、政治家の皆さんや高級官僚の皆さんに振るだけでは酷な気がする。自分もささやかだが、シェアしたいと思う。
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400万人の働かない人々(公務員)に税金を払いつづける日本国民

2010年08月07日 | Weblog
 このたびの超高齢者所在不明事件は、働かない公務員の一部を露呈させた。高齢化社会の進行が激しいと、自分たちの福祉行政が追いつかないことの言い訳をするが、日本の公務員は約400万人もいる。100歳以上の超高齢者は、現在約4万人だ。このようなことをいうと、地方公務員はうち300万人で、住民サービスや住民福祉に携わっている地方公務員は、うち100万人もいないと言われるかも知れない。

 当初、所在不明の100歳以上の高齢者10~20人ほど見つかったと言われていたのが、2日もたたないうちに6~70人に増えた。100歳以上に限ってこうだ。90歳や政府がいう後期高齢者の75歳以上などにしたら何人の所在不明者がでるのか。このような事態を招いたのは、地方自治体の公務員の数が足りないからだなどという。全国4万人という100歳以上の人々、多そうに見えるが一つの地方自治体単位でみると10から100人ぐらいになるのだ。目の届く数だ。小さな自治体でも3~4人の住民サービス担当が(平均)20人の超高齢者を見たり、確かめたりすればいいのだ。何が調査のためのスタッフが足りないだ。

 先ほど日本の地方自治体も含む公務員の数を約400万人といったが、実は一人住まいのお年寄り(65歳以上)の人口も約400万人なのだ。65歳以上の人口総数(3000万人強)の1割に近い。ただいま4万人の100歳以上の人口も、10年前は1万人、30年前はたったの1000人だったのだ。多い多いといっても毎年にしてみれば、たかだか何人というほどの増加なのだ。ひとりひとり確認し、目の届く福祉やお世話をしようとすれば、今日のような所在不明など出るわけがないのに、プライバシーや個人情報保護法などをタテに、自分たちの不作為や怠慢を塗布しようとする。

 毎年の住民登録人口調査や日々の住民の移動や登録、選挙人名簿の更新、健康保険料や年金保険料などの徴収、年金の支給や保険の請求などや税金市民税徴収事務などに加え、高齢者の介護福祉などをしている自治体だが、個人情報保護(法)などがあってヨコの連繋はできないのだという。何という言い訳ばかりに終始する行政や公務員達かと思う。この際、政治に不作為を棚上げしてほしいと願う。
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最長寿者、超高齢者を(行方)不明にする政治と自治体行政

2010年08月04日 | Weblog
 113歳で地域最高齢と表彰されたり、はやしたりした高齢者が”不明”だという。「いるのか/いないのか」「どこに行ったのか」「どうしているのか」不明だという。20年から25年も不明だとも言われる。地域の自治体は、このような人々を”最高齢者”や高齢者として表彰したりしてきたらしい。住民票など名簿などだけで、このような”何か”をしてきているのだ。

 いそぎ、東京都や地域の自治体が、最高齢者や100歳以上の高齢者のチェックをはじめた。年金の受給をうけている高齢者などの100歳以上や地域の最高齢者やそのお宅に電話を入れたらしい。電話が通じなかった人や所在がハッキリしなかった人があらわれたらしい。昨日の毎日新聞がいうには、100歳以上不明者が18人いたという。テレビ朝日は、10人の不明者がいたという。わが家あたりでは、”90歳あたりを超高齢者として全国的にチェックしてみると、これらの10倍200人ぐらいの不明が見つかるのではないか”というハナシが行き交う。

 高齢者のひとり住まいが年々増える。100歳を超えた高齢者の子どもは70から80歳を超えて、やはり一人住まいかも知れない。すでに亡くなっているかも知れない。そろそろつぎの高齢者になるお孫さんなども、遠く離れて暮らしているのかも知れない。キズナやつながりや縁者などないのかも知れない。地域や隣近所の交流やコミュニケーションが大切だなどと言ってエアコンの効いた部屋で行政するお役人が浮かぶ。

 毎年だが、多くの自治体が超高齢者表彰やその発表をしている。本人確認や訪問確認ができなくても、書面表彰や発表をしてきたらしい。本人が病気や痴呆症などで”出られない”ので、スルーしても仕方ないらしい。時代が”バーチャル”だから、時代風なのかもしらないが、せめてバーチャル・リアリティにしてほしい。足と汗で”確かめて”ほしい。そんな確認姿勢が、結局やさしい行政や政治になるのではあるまいか。

 10年も20年も”死亡届け”が出ないという行政をやめてほしい。5年や10年も健康保険を使っていなかったり、病院にかかっていないような100歳や90歳の高齢者はいないと思うのだが、その程度の確認ぐらいしてほしい。お願いする。
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一泊二日の立山黒部走破の旅

2010年08月01日 | Weblog
 2010年7月30日(金)朝6時前地下鉄ーJRで新宿西口に向う。すでに仕度して待つ仲間たち25人で一路黒部立山方面に向うバス旅行は、フニックス会。なかなかユニークでアットホームなグループの”会”だ。人をひきつけてリーダーシップのある会長と何かみんなで楽しめる集まりや旅行をと考えている名幹事あってのこのフニックス会は、会員の資格や制約はない。老若男女シゴトや性格を問わない。

 快晴の関越→北陸道のバスの中のにぎやかさは居眠りさせない。高速道を走るバスから見る夏の緑が濃い。朝日ICから一般道を経て黒部峡谷鉄道は宇奈月駅に着いたのはすでに12時を廻っていたが、”完全走破”のためにはここで食事はとれない。すぐに特別予約のトロッコ列車に乗った。峡谷の絶景を一時間強楽しみながら本日の終着・欅平駅に着いた。遅い食事が特別のウマサだが、足湯や峡谷の散策を楽しみトロッコ列車バスを経て宿泊宴会ヤドのホテル金太郎温泉に入った。

 翌日の朝も早い。5時起床、夕べからで3度目の温泉風呂もショートにして6時10分朝食。6時45分にはすでにバスで一路立山に向っていた。8時立山駅に着きケーブルカーで美女平経由弥陀ヶ原に着いたのは午前9時だ。いろいろな高山植物を観察したり、デジカメしたりの散策をしてまたバスで標高2450mの室堂に向った。室堂は、立山黒部アルペンルートのハイライト。摂氏13度の室堂高原の真夏散策もいいが、ここから観る立山の山岳景観はすばらしい。雲の下に残る山々の積雪がまぶしい。

 立山トロリーバスで大観峰経由ロープウェイで黒部平に着いたのは午後2時前。ここから観る山々と真下に展開する黒部湖までの景色を残像にロープウェイで黒部湖黒部ダムへ。黒部ダムの雄大な景色や放水の霧水を浴びながら最終の記念撮影をして、今回の立山黒部アルペンルート完全走破の旅の終着駅・扇沢駅(長野県側)に着いたのは午後4時過ぎ。待機してくれていたバスが、大町ー安曇野ー諏訪を経由して中央高速道→新宿に着いたのは午後9時でした。一人ひとりご紹介もできなかったフニックス会のみなさん、ありがとうございました。
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