吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

限られた地球だから、リニューアブル(再生可能)が大事なのだが・・・。

2011年06月26日 | Weblog
いま、一番優先され賛同されているコンセプトは、地球のサステナビリティ(持続可能性)だ。多くの国の政策や企業の優先されるコンセプトもSustainabilityだ。オリンピックのような国際的なイベントや国連のような機関のコンセプトも地球の持続可能性だ。

このSustainability(持続可能性)を、自分たちの都合にあわせ”Sustainable”(持続できる、存続できる、我慢できる)として使っている向きもあるが、大分感覚がちがう。主体が地球か自分かの違いだ。にもかかわらず最近は、サステイナブル(我慢できる)もなかなかいい線になってきているなと思うようになった。

化石燃料エネルギーや原子力発電エネルギーの代替として期待されてきた再生可能エネルギーがクローズアップされている。ヤメロ、ヤメロと四面楚歌の菅首相は、自分が中心になって再生可能エネルギーの定額買い取り法案まで成立させたいと言っている。第3次補正予算あたりを越えて一定のメドが先送りされている印象だ。

菅さんの使命感とやる気には敬服のかぎりだが、使命や責任のとらえ方はマチマチだ。やり遂げることだけが果たし方でもない。引くことや止めることも使命の果たし方なのだ。世の中や周りを見つつ自分の立ち位置を考えるバランス感覚が大事だと思うのだ。自然エネルギーや再生可能エネルギーの問題こそ、政官財国民全員がじっくり考えてコンセンサスを得て進めるべきテーマなのだ。オレがの感覚でゴーアヘッドするものではないだろう。

国民全体のコンセンサスを得てすすめるべく、テーマをリニューアブルにしてほしい。ちょっと立ち止まって”覚悟”のほどを確かめてほしい。ただ今はひとえに復興問題に集中してほしい。
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ハーフ&ハーフのポスト・アラカン(還暦後)人生

2011年06月23日 | Weblog
 モルトやストレートこそ、アルコールお酒のおいしい飲み方だと思っているのに、最近はどうも”ハーフ&ハーフ”が多い。ただ水で割るのでもない。ビールなど、ふつうのビールと黒ビールをハーフ&ハーフするだけでは飽き足らず、ワインなどで割ったりする。ワインも半分は、赤と白のハーフ&ハーフだったりする。白赤2:8ぐらいのロゼならわかるが、平気で半々する。

 こんな感じは、シゴトと遊びもそうだ。シゴトと遊びも、遊びとシゴトもハーフ&ハーフになる。自分の不真面目を嘆くが、多くの同期の友人がリタイアし、悠々自適しているのを見るからか、何にもフォーカスできていない。具合よく小さな団体の事務局のシゴトにありついているからかも知れない。いくつかの会社でいくつかのシゴトをさせてもらっているそのスタイルが、そのようにさせたのかも知れない。

 あまりほめられたライフスタイルではない。多くが中途半端になる。ここ一年半ほどわたくしは、そのような自分を忙しくし集中心を養うネライで、英会話のレッスンを受けている。ついこの間まで上智大学の4年生だったわたしの先生は、この9月からデンマーク大学の大学院にすすむ。自分の孫に近い彼女のレッスン(英語)はキビシイのだが、わたしのハーフ&ハーフ心が、半分遊びにふる。

 ・・を読んでいただけますか。お読みになりますか。読みましょうか。読まれましたか。と攻めたり、・・にサインしましょうか。サインなさりたいですか。サインしていただけますか。サインしてはどうですか。などと攻めてレッスンする。そのも、あれも、これも、The も a も、みんなゴッチャの自分にはキツイお勉強なのだが、もの忘れ防止、記憶力のアップや反射神経のトレーニングと思ってつづけてきた。

 このような場面も、この夏で終わる。つぎ何しようと思うのだが、遊びごころがアタマをもたげる。遊び感覚で、面白くなりそうなそんなハーフ&ハーフはないかと、懲りない自分にあきれる。
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いま、人類に求められているコンセプトは ”デトックス”。

2011年06月19日 | Weblog
デトックス(解毒)は、何も人々のカラダ(健康回復)や食事(過食や偏食修復)でのみ、求められることではない。ココロ(ストレス)や地球(大気)などにも言える言葉だ。コンセプトだ。これまでの動物性偏向(肉)食や過食(カロリーオーバー)がもたらした汚れたカラダの掃除(解毒)は健康の第一歩だが、わたくしたちの病んだココロ(ストレス)も手当て(解毒)しなければならない。

ところがわたくしたちは、もっともっと大きな解毒(デトックス)が求められている実感を得た。このたびの福島第一原子力発電所事故による大気や土地や海および食べ物その他の放射能汚染不安だ。大きな地震津波(東日本大震災)の発生や地球のCO2増・温暖化などに対してのデトックス(キレイ回復)も大事だ。一人ひとりのカラダやココロのデトックス(大掃除)にあわせて、わたくしたちがやらなければならないシゴト(地球清掃作業)だ。

わたくしたちのカラダの掃除や解毒( Detoxification )には、ふたつの方法がある。ひとつは食べものを「食べないで掃除する」解毒で、ファスティング(Fasting)すなわち断食療法。もうひとつが、「食べてお掃除をする」解毒のデトックスで、最近傾向のマクロビオテックスなどだ。動物性(肉系)食品を中心にした食事生活を止め、穀物(白米より雑穀)や野菜や果物など草食系の食事を中心にすることをすすめている。

しかるに、洋食より和食化などの前に大事なのは、食事のインフラともいわれる”水”だ。人間の60%余りを構成しているといわれる”水”のキレイが侵されそうなただいまだ。放射能汚染などを心配せず、安全でおいしい水を思いっきり飲みたいという人々の希求は、いまや行動や生活に表れている。おいしいミネラル水素水や逆浸透膜による(放射性物質除去)浄水を提供するシゴトに関係する一人として意義を感じている。

つぎは、ココロ(ストレス)のデトックスだ。昨年立ち上げた「バラの香り」(ラボラトリー事業)が、この思いを現実化してくれると思っている。わたくしたちが深耕している上質な8種類のバラの香りが、多方面で人々のココロのデトックスに貢献してくれることを信じている。カラダとココロのデトックス元年!ー2011年。わたしのコンセプトにもなる。
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四十年前の同じ職場の同期会13人のランチ会

2011年06月17日 | Weblog
全員が古希(70歳)を過ぎての同期会、同時期会だ。隔月のランチ会で5年近くつづいている。夕方や夜の集まりは、足元がアブナイからだろう。ランチ会にしている。偶数月の下旬にしているのは、15日ごろの年金支給を考えてのことだ。とくべつ生活に困っているわけではないが、このような理由が”会”がつづいている理由かもしれない。

45年前(1965年)の昭和40年から昭和50年(1975年)ごろの間、机を並べたり、一緒に作業や出張をした仲間だ。新幹線や大阪万博と安田講堂事件が高い経済成長を刺激した時代。インフォーマルだが、毎回10人ぐらいは集まるのだが、来週はフルメンバー13人がランチに集う。その後のシゴトはバラバラだったが、ほとんどの者が現役をリタイアし、隠居的な生活をしている。特別することもないので、集まりやすいのかもしれない。

ほんの2~3人が70過ぎても働いているのだが、わたしもその一人だ。特に貧乏根性なのが、わたしかも知れない。休みの土・日などの自宅は、手持ちぶたさで、邪魔な丸太だ。間違って事務所出社し、片づけシゴトしたりしてしまう。シゴトバカになってはと、早朝ブログしたり週一の英会話レッスンをしたりして、自分を忙しくしている。

ときどきの国内海外を問わずの旅行や美術館めぐりぐらいはできそうだが、毎日というわけにも行くまい。マンション住まいだから、いじる庭もないし、絵を描いたり、陶芸などをする勇気もない。リタイアしたあとどないしようか、悩んでいる。こういう悩みを何気なく解決するヒントが得られるのも、このランチ会に出るわたしの理由になっている。

当時のミニスカートやらっかさんスカートのみゆき族はいないが、来週22日が待ち遠しい。赤白ワイン飲み放題の1800円ランチ会だ。
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611「脱原発」デモ(新宿)の感想

2011年06月12日 | Weblog
約半世紀前の安保闘争デモかと思った(2011)6.11の新宿東口の群集だ。庶民の良識健在を見せる今日の脱原発デモの印象だ。あれ(311)から3か月に見せたふつうの人々の主張的行動に拍手を送りたい。

たぶんに昨日(6/9)のスペインにおける村上春樹さんのスピーチが影響したのだろうが、世界(地球)は狭いと実感した。村上さんが受賞したカターニャ国際賞がどのようなものかも知らない自分で恥ずかしいが、村上さんのスピーチに感動した。ひたすら効率と便利だけを追い求め「ノー核」を忘れた私たち日本人が恥ずかしい。

経済やビジネスの世界にいた私の50年余は、暗黙に原子力発電を受容してきた。核兵器と平和利用の原子力を、良識者のふりして”区別視”してきた。こういう私たちが、このたびの福島第一原子力発電所の事故災害を招いたのだと思う。何とも身が縮まる思いだ。

311から3か月、アッという間の90日だったと思うのは、外野にいた私たちだと思われる。被災し避難所暮らしを余儀なくされていらっしゃる方々には“長い”90日だったのではないかと思う。

まだまだ復旧のメドさえ見えないただいま、政府は5年10年先への復興基本法案はできたようだが、まだその裏打ちとしての復興債や財源(税改正)および第2次補正予算がどうのこうのと、政権政局の争いに明け暮れている。急ぎのガレキ処理には”手”がつかず、仮設住宅さえ6万戸の希望予定にまだ10%もできていない。着工戸数でさえ4万戸で、未着工の2万戸はその土地すら確保できていない。

3万人の県外避難も含め約10万人の避難所暮らしの方を考えれば、各自治体の首長さんが訴える”雇用の確保”こそ、急ぎの課題だと思う。70歳の事業者も30歳の会社員も同時に失職し、いまシゴトや就職先を探している。被災を、”働いて”越えようとしている人々に職場を用意することを急いでほしい。

このような中で駆け付け、集まって”脱原発”のデモに参加された方々に、敬意を払う。ありがとうございました。
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放射線量ー測定観測ごっこ世情

2011年06月10日 | Weblog
東電や政府の観測モニタリング・ポストでは、不足だ。不満だ。ホットポイントが漏れている。自治体や町会だけにも任せられない。結局は自分で測定、確認しなければ安心できない。いまや、風潮や不安が風評や不満と不信を生み、自分のことは自分で守らなければという空気が広がる。

自治体の行政や政府は、常に広がりやレベルを確かめたく、モニタリングし、計測する。地域全体や目的的対象の放射線量を測定し、その傾向や動向を把握する。被災をミニマムにし、避難や注意指示を発するためだ。ひとり、誰かさんを守るためではない。不安に思う人やチェック不足を訴える人が出る。情報の値やレベルや量が、パニックを引き起こしたりすることの心配もするのが、行政や測定をしている側だ。

 毎日のように発表されるマイクロシーベルトやベクレルという数字が、自分や地域にどのように影響するかも知らない。放射線量やマイクロシーベルトが、何処で何を対象に計測されたものかも知らない。数字や値が、何かおそろしいモノに映る。大気なのか何か樹木やその葉っぱなのか、身の丈ぐらいの高さで計られた値なのか、何百メーターの高さなのかも知らない。

 空気、土、土壌、家、屋根、雨どい、庭や校庭、家の中、水、水道、下水、雨水や海水、そして街路や自分たちが触れるモノなど、観測や測定対象物は、限りない。野菜や家畜や田んぼだけではない。土1kgあたりベクレルや地面から1メートルのマイクロシーベルト/h などの値と、年間や瞬時の限度放射線量などを教えてもらっても、それを得て、どのように行動していいのかわからない。

 モニタリング・カメラだって、防犯カメラもあれば監視カメラもある。ときには、ストーカー・カメラっぽいものもある。公の観測点、個人の観測点、目的的観測点もあれば継続的観測点もあるだろうモニタリング・ポストだ。「ここよりもここだろう」などと思う人が大勢いる。不安と不信が、自分にカウンターや測定器を買って持たせる。その機器の精度や品質も知らないのだが、それでいろんなホット・ポイントを測る。

 そんな風潮をやめろともいえない政治や世情が、ただいまの日本だ。一億人全員が、毎日ガイガー・カウンターでガーガーやって暮らす明日を思いたくない。
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万物の命の元、”水”・・・この夏は水を飲もう!

2011年06月06日 | Weblog
東日本大震災と福島第一原子力発電所事故災害が教えた”水”の大切さ。いまさらの感もあろう。電気、ガス、水道などのライフラインの崩壊時、真っ先に人々が求めたものは”水”だ。料理や家事や洗濯など生活に欠かせない水だが、何といっても飲料水が”いのち”だ。

この夏多くの人々が心配しているのは、暑さと電力不足。エアコンなどの電力使用レベルを下げなければならない生活やスーパークールビズばかりが騒がれているが、酷暑炎天下での熱中症への対処も大変心配される。2000年代に入り、なぜか急増加傾向の熱中症(日本)だからだ。毎年、熱中症で死亡する人が500~1000人もいる。お年寄りや赤ちゃんが多いが、若い人や中年の人の熱中症での死亡も多い。

熱中症への対策の基本は、水すなわち水分の摂取。お水をこまめに摂ることだ。ビールやジュースではない。おいしい水が一番なのだ。人のカラダの約60%は、水で構成されているといわれる。夜寝ていても、昼間動かないでいても、人のカラダから”水”が放出されている。汗や尿などで失われるカラダからの水は、一日平均2.5リッターもある。2.5リッターの水分を補って、”維持”なのだ。

日々の食事(3食やおやつ)から摂取できる水分は、約1~1.5リッター。飲み水で1.5リッターほど摂らなければならない。夏の暑さや水分補給を考えれば、 2リッター前後の水を飲むことが”目安”だ。コップにして、10杯程度の夏一日の飲料水になろう。500mlのペットボトルで4本、350mlのペットボトルだと6本ということになる。

この水を市販のペットボトルのミネラルウォーターで買って飲むと一日約500円ぐらいになる。配達されるガロンボトル水で考えても、200円近くになる。いのちのインフラコストとはいえ、結構家計を圧迫する。東京都などのおいしく安い水道の水をおいしく飲むことがいい。

そのような賢い水の飲み方がトレンドになりそうなこの夏の予感。2010年、わたしは水道の水を安全においしく飲んでいただくシゴトにかかわるようになった。311や福島が動機ではないが、同期したことは何かのめぐり合わせだと甘受している。
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潔さと克己をお忘れの方々を憂う

2011年06月05日 | Weblog
2011年6月2日、3日は、日本の政治家のみなさんの武士道忘れを知らされた。どちらの方の言い分がどうのはどうでもいい。一定のメドが付いた時点で責任を若い人たちに継いでいただきたいとご自分の退陣をほのめかした菅首相の言葉や覚悟のほどが、一定のメド(時期)と合わせ取沙汰された。

かって、国外に移すと言って、そうでなかった(普天間移設)り、やめる(議員)と言って覆ったりと軽口した鳩山前総理に”ウソ”呼ばりされたり、ペテン師呼ばりされているのが、ただいまの総理菅首相だ。ウソやダマシや虚偽や詭弁で議論遊びしているのが日本の国会なのだ。道理や見識や約束など、どこか遠い国に置き忘れた姿が悲しい。

武士道は、日本人が世界に誇れる”こころ”だが、この度の東北に見るふつうの国民や市町村の首長などには残るものの、政治家の皆さんには昔のことになったようだ。菅首相の何かへの執着と我欲は、文字通り潔しとしていない。武士道の”克己”をよくおさらいしてほしい。”公”に仕えることはどのように自分を律して、克己することなのかをご自分で考えてほしい。

”公”を忘れ、永田町のあいまいとてげてげ会議のお遊びをシゴトや政治をしていると錯覚されている。与党お年寄りの皆さんや国家の危機にただ反対しかできない野党幹部のみなさんは、そろって政治の世界から身を引いてください。どのくらいの方がつぎの選挙でリタイアするか、みなさんの潔さを見極めたいと思っている。

菅首相の退陣を一つの契機にしてほしい。むかし、自民党が村山さんを担いだ
コトの逆を考えてほしい。新しい民主党のみなさんにお願いする。
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55年体制で経過した自分抄史③

2011年06月03日 | Weblog
③ 何かにつけ2007(平成19)年は、自分の転換の年。満65歳、高齢者の仲間入りだ。年金もフルにいただくようになった。わたしが小さな団体の事務局(日本豆乳協会)に勤め出したのも、この年だ。

 2007年2月18日、第1回東京マラソンが開催された。わたしの恩師西野義雄先生が出場し、完走された。もうすぐ80歳になろうとしていた。それまで、ボストンやハワイ・マラソンにも出場し、最多出場のニューヨークシティ・マラソンでは、年代の部4連覇の実績(70代)だ。この東京マラソンも、3時間50分台で完走された。その恩師は、もういない(2010年4月ご逝去)。

 この年(2007)7月の参議院選挙で自民党が大敗、与党が過半数割れした。変化の兆しを前に保守しようと、その後の自民党は一年未満の総理を輩出して2009年の8月30日(衆議院総選挙)を迎えるのだが、その間の安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の超短期政権は、つぎの民主党政権になっても引き継がれた。

 格差問題やネットカフェ難民や日比谷の年越し派遣村などが世情を象徴してむかえた2009(平成21)年8月30日(総選挙)。保守自民党が大敗、民主党が単独過半数を得て圧勝した。さんざんコンクリートと仲良くしてきた小沢一郎・民主党が、「コンクリートから人へ」などと言って鳩山由紀夫新首相を担いだ。

 相変わらずの口の軽さやパフォマンス政治の鳩山首相もそれまでの自民党短期首相と同じく、一年定期でバトンを菅首相に繋いだ。市民運動並みの思いつきや軽口の菅首相は、歴史上最大級の国の危機、東日本大震災福島原発事故災害への対応でも、大きく失点した。ムラ社会の崩落も近そうな民主党が土壇場でとどまった(6/2)が、ただ政治コップの中の喧噪に終わった(2011年6月3日)。

 お手並み拝見と言っていられないこのごろを、どう過ごそうか悩むところだが、55年体制下のこれまでの日本に自分史を重ねて、このブログを綴じる。

 
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55年体制で経過した自分抄史②

2011年06月02日 | Weblog
② 戦後を忘れようとしていた1974(昭和49)年、小野田元陸軍少尉がフィリピンはルパング島から帰還した。長嶋茂雄(巨人軍)が引退した年だ。オイルショックと狂乱物価が、文芸春秋(立花隆)の田中角栄研究の金脈をエスカレートさせた。

 ロッキード事件(1976)やノーパン喫茶と写真誌『FOCUS』〔新潮社)の創刊などが、昭和50年代後半(1980年代)を表象した。わたしが、一時のマネー(高報酬)を求めて外資系の会社に入った頃だ。昭和天皇がご逝去(1989)され、中国の天安門事件や日本の消費税(3%)とともに、”平成”がスタートした。

 成田離婚(海外旅行ブーム裏)やローカル新幹線が、サッカー(ドーハの悲劇)やイタ飯や中食ブームを誘発した。ポスト貴乃花のコギャルやガングロなどのころ、田中角栄が亡くなった(1993)。非自民非共産8党会派の細川護煕首相が誕生したり、新生党の羽田孜内閣などその後の”一年未満”内閣や首相誕生のハシリは、1990年代平成ヒトケタ時代だった。

 小沢一郎が闊歩した時代とも言える。宇多田ヒカル(First Love)や自自公連立の小渕恵三首相が、二千円札やナスダック(発足)で世紀末(1999)を演出した。

 アメリカで9.11(ニューヨーク世界貿易センタービル)同時多発テロが起こった頃、日本は小泉純一郎(自民党)政権が”自民党をぶっ壊す”と言って誕生した。聖域なき構造改革を掲げた変化しそうな日本がスタートした。北朝鮮(拉致)問題やイラク戦争と勝ち組/負け組で過ぎたわたしのアラカン時代は、平成10年2000年ヒトケタの時代だった。

(つづきは、あした)
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