吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「あきらめず、投げ出さず」修行しつづけることの大事

2020年01月29日 | Weblog
ときどき、高等学校の標語などに孔子の『一以貫之』をみる。禅語などでは「吾道一以貫之」(わが道は、一を以って之を貫く)と教える。”頑固一徹”をすすめているわけではない。孔子は、一の忠恕を以って万行を貫くことだと諭す。忠は「まごころ」のこと、恕は他者を「思いやる」心のこと。

要は、柔軟な心と謙虚な態度で、苦難・災難やいわゆる壁にあたっても調整や辛抱をして、その障壁や苦難を乗り越えて、その道を貫けば結局成果を得ることになるということ。この度の「令和二年初場所」優勝の徳勝龍(幕尻の幕内最高優勝)や十両(西13枚目28歳)照ノ富士の十両優勝が、その見本。

そういえば、今回優勝した徳勝龍は昭和61年生れの”花のロクイチ”組33歳。同じ花のロクイチ(33歳)には、長いこと「大関」を務め今回大関陥落になった豪栄道や三役を務めたこともある妙義龍(前頭1枚目5勝10敗)や勢(前頭15枚目8勝7敗)や、横綱を務め引退した稀勢の里のいま荒磯親方など、長くその道(相撲)を一以貫之し、”人”を成した関取が多い。

花のロクイチ組につづく”花のヨン組”(平成4年生れ)の活躍も目立った。御嶽海、北の富士やこの度序二段優勝した宇良や大奄美(十両)など。彼らに近い平成5~6年生れには、正代や遠藤もいる。すぐ後ろの平成6~7年生れの朝の山、輝、豊山などにも期待すること大だ。みなさん、怪我や災難を経験して長く一以貫之しておられる方々だ。ガンバッテください。
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廃墟,廃構,廃屋や荒れた無人家と耕作放棄地の増加

2020年01月23日 | Weblog
わたしの実家茨城県北の中山間地。一人留守居していた母が平成の終わりに逝去した実家は、ただいま無人家。廃屋にならぬうちに解体して、キレイな平地にしようと思っている。都会でも、郊外地や農地や中山間地でも、いまは10軒に1~2軒は、廃屋になっている。年々増える耕作放棄地や人の居ない荒れた廃屋が痛々しい。間伐や下刈り手入れも手抜きされている檜や杉林は、利用されない林道に山肌崖が崩れ、保水性も無くしている。


傷み激しいのは、農道や林道や市町村道に限らない。県道や国道など傷みの補修や整備なども間に合っていない。造成や竣工から50年以上も経った高速道や鉄道や橋梁などの老朽化も多い。傷みが激しい。都市や地方の上下水道の地中の道管や地上の電柱などの老朽化も目立つ。戦後の復興発展期から5~60年、バブル期から40年だから、あらゆる社会インフラが老朽化し、今にも廃構になろうとしている。


Googleで”廃墟”と検索すると約1,500万レコードもでる。”廃墟ホテルや廃墟施設”を検索すると、それぞれ600万や500万レコードもでる。ちなみに、「廃墟格付けランキング50」などを検索すると、一番多く50のうち20ぐらい出てくるのが「炭鉱や鉱山跡地や建物」(19)、つぎが、いわゆる陸軍基地工廠跡や発電所などの「跡地や遺構」(12)で、3番目が「リゾートホテル(旅館)や保養所などの宿泊施設」(11)および遊園地(6)や病院や学校など(2)などだ。


都会や観光地の廃墟は、オーナーや事業者などの破産や廃業によるビルやマンションの建物だけではない。自治体や国が管理運営していた小学校や病院や施設の老朽廃墟も多い。地方の人口流出や高齢者の逝去もあるが、人口減少や長く続く景気低迷を遠因とした住む人や利用者の居なくなって荒れた廃屋などが多いのだ。いますぐの手当てが急務になっている。遅すぎるが、国や自治体や関係機関の行動を期待する。オーナーシップや法律や所管がどうのと、先送りするな!
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「えんがわハウス」(常総市)の活動にエール信!

2020年01月20日 | Weblog
2020年1月19日(日)早朝6時のNHKテレビ「目撃!にっぽん"えんがわ"のある町で・・・」を見た。4年4か月ほど前の「鬼怒川堤防決壊による大水害」(2015年9月9~11日)後の復旧復興ままならずのこの間の住民の流出や外国人労働者やその家族の急増などによる古き町の人々の生活縁や繋がりの変化に危機感をいだいた町民とnpo活動家などが、”つながり”回復創生の拠点として創った「えんがわハウス」の活動紹介。


2020年9月の再びの台風19号中後の活動紹介が中心の番組ではあるが、4年前の鬼怒川堤防決壊の大災害とその復旧復興に関心を寄せる私はその水害前年の11月、堤防決壊濁流浸水被害の中心にあった水海道二高さんでちょっとした講義をさせていただいたご縁があった。一週間後見舞いに訪問してその悲惨な被災実情に接し、何もできずに戻ったことを想起している。


その常総市で「えんがわハウス」の設営と活動を始めたnpoの横田能洋氏とその意向に協賛し、ボランティア共働する町内会の人々と住民になった外国人の方々やえんがわハウスに参加されている外国人やその子どもたちにエールを贈ります。先の19号台風水害被災への義援は、故郷の地域にしかできていませんが、これからも常総市域の復旧復興に思いを寄せて過ごします。「えんがわハウス」ガンバレ!!
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映画「パラサイトー半地下の家族」観賞(2020.1.14)日記

2020年01月15日 | Weblog
「パラサイトー半地下の家族」なる韓国(ポン・ジュノ監督)発の映画をみた(2020.1.14.イオンシネマ)。韓国文化や韓国社会を凝縮したような格差社会を風刺披露しているような映画。日本で社会問題視されたり、話題になる”パラサイト(シングル)”とは少々異なる。


ふだん「パラサイト」(Parasite)というと、共生の一種の寄生のこと。寄生虫や寄生植物など寄生生物をさすが、身近ではパラサイト・シングルをさすことことが多い。”学卒後もなお親と同居し、生活資金や生活条件などを親に依存している未婚者”だ。ふだんは、少し意味を広げて言う。親のフトコロや年金などを頼ったり頂いたりして、仕事や就職もせず自立せず引きこもり生活などをしている子供若者や成人をも指している(8050問題)。


パラサイトー半地下の家族は、意図は格差社会を描くことに傾注したのであろうが、半地下に居住する家族全員失業中の貧民家族を描いている。高台の高級邸宅に住むIT企業の社長家族の暮らしと半地下に暮らす貧民家族を対象的に描くことで、格差の実態を映画化したのだろう。ゆとりと優しさのあるヒトのいい富裕家とウソや詐欺を汗してアップ暮らしを工夫し、生きる貧民家族をコミカルに描く。


極端を比較することの意図はわかるが、貧民家族の苦労を詐欺や誤魔化しをコミカルに描いているところが印象に残る。ドタバタ喜劇的ではあるが、現代社会の病みや闇が笑いで描かれたのがよかった。韓国の実情を描いているようで、わが国やアメリカなども含めた資本主義社会の問題を提示している。是枝監督とは少し異なった描き方かもしれない。

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子育て上手なマスコット「じょうづるさん」フックの新年交流会日誌

2020年01月08日 | Weblog
フォーマルな集まりの名前は表記しないが、令和はじめての正月新年交流会(令和二年1月5日)。「じょうづるさん」は、子育て上手を訴求する常陸太田市のマスコット。故郷常陸太田市やじょうづるさんの広報を応援しようとする者同士の新年の交流会に参加した。前日(1/4)の叶わぬ私事のため、翌早朝7時半、有楽町線は成増駅よりの地下鉄で池袋経由JR上野駅に、午前8:30着。


9時発の常磐線「ひたち」まで大分あるのでコーヒーブレイクをと、カフェに入る。上野で乗車した「ひたち」は、10:15AM水戸駅に。10:22発の水郡線でJR上菅谷駅で下車。常陸太田駅への電車はないので駅前の市街を散策後、都合よく来たタクシーに乗り常陸太田市は、会場の「坂東太郎」さんに入る。まだ一時間近くも早い。


日程(1/5)や曜日などの関係か、本日の参加者はいつもの半分にもならないと、スタッフがいう。そんなこともありそうな気がするが、4~5人でも10人弱でもいい。久しぶりの市長さんや思いを同じにする参加者と、令和はじめての新年交流会ができることは、この上なく楽しい。80歳前後メンバーの会話やオシャベリだが、話や笑いの一つひとつが若い。「じょうづるさん」がそうさせているのかも知れない。


日帰りで来ていることをいうと、会終えん後スタッフの方がJR水戸駅まで送ってくださった。お蔭で、途中JR柏で下車するという「おかしな刑事」(監督)の梶間俊一さんと映画やドラマづくりのおかしなオシャベリをしながら帰京した。これも「じょうづるさん」や赤い帽子が似合う真っ黒い(炭カステラ)どら焼きのせいかも知れない。濃い緑茶にあうおいしいどら焼きでした。多謝。
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令和二年(2020)の初詣誌

2020年01月03日 | Weblog
令和元年(2019)が往き令和二年(2020)が明けた。二日日の今日は、毎年の初詣。幾分ゆっくりの屠蘇お節を仕舞い、午前9時半地下鉄の成増駅。副都心線に乗車、明治神宮前駅で降車。地下鉄千代田線のホームを通り、JR原宿駅口へ出る。


まだ、友人Mさんとの約束には三十分も早い。年越しした札納のお札を神宮原宿口大鳥居横の札納所に納め、待ち合わせの原宿駅周辺を散策。午前10時20分、友人M氏と合流。南門への大鳥居をくぐり、砂利道参道を神宮大神に向かう。


手水所でお水を使い、神宮南門から本殿広場に入る。すでに、人、人、人。大勢の参拝人の後尾に並び、賽銭を投げ入れ参拝。持ち合わせの百円玉を適当に掴み投げ賽銭したが、これで許されるのか心もとない。毎年いただく家内安全のお札に、幼児向きの健康祈願お守りを添えてもらい、拝礼し代々木門口を出る。


代々木門からJR代々木駅へ歩く線路沿いの細道は、ほとんど去年と同じ。ここ10年変容を見ない。JR代々木より山手線に乗車。毎年のコースだがJR池袋駅に出る。例年通りのそば処田中屋さんに入る。Mさんと二人、二日日のお屠蘇をいただき、令和二年の初詣を終える。ことしも、よろしくお願いします。

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