いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

「焼畑」の後始末

2023-04-18 10:53:33 | 特選いぶたろう日記
「アフターコロナ」を語るにはそれでもまだ早いと思うのだが、3年経って少しずつ世の中が落ち着きを取り戻そうとしている中で、思うところあり。

専門家的にはどうなんでしょう、
これは収束に向かっていると言えるのだろうか。
2類から5類に変わったといっても、
感染がなくなったわけではないし、
ウイルスが弱体化したとも思えない。
報道しなくなった、
あるいはカウントさえしなくなるというだけで、「ある」ものを「ない」ことにする、
つまりは日本人の得意な「臭い物には蓋」に過ぎないのではないかと思えてしまう。

所詮は人間の集中力や我慢なんて3年も保たないのだろう。恋愛だって4年が限界だとかいう説を聞いたことがある。
いま思うとコロナは全世界的な災厄だったと同時に、ある種の人々には熱狂的なお祭りでもあった。
いかにもこの事態を予見していたかのように語る人、
「グレートリセット」に期待してる人、
感染拡大の真っ只中にあって「コロナ後の新世界」を夢見る人、いろいろだ。

彼らに共通しているのは、
「自分や自分の周りでは誰も死ななかった」というただの幸運に乗っかって、
実際に家族や友人を喪い、生活を脅かされている人のことなどお構いなしに、
自己承認欲求でしかない手前勝手な理想論を押しつけてきたことだ。
さらに言えば、誰もあの頃の、
「ぼくのかんがえたさいきょうのあふたーころな」放言について、
検証もしていなければ責任も取ろうとしていない。
彼らが期待したほどに劇的な変化もなく、
ぬるーっと戻ってくる強力な日常性バイアスのもと、
彼らは無言でしれーっとそこに溶け込んでいる。

だから、言ったのにな、と思う。
世の中のすべてをビジネスの契機としてとらえるものの見方は、いかにもやり手感があってもてはやされてもいるけれども、何のことはない、実際には競馬の予想屋と大差ない。
そこにまだ何らかの一貫した美学・哲学、あるいは覚悟があるのなら、
ひとつの世界も構築できようが、その場その場のインスタントな思いつきを、
さも独自の分析で、自分だけが見抜いた真相あるいは未来かのように語り、
「ぼくってすごいでしょ?」を触れ回るだけなのだから、
消費期限もまたスーパーの広告チラシなみに早い。

あの頃、混乱する世の中を尻目に、
意気揚々と自らの「慧眼」と「新世界」とを語っていた連中は、
みんな最初だけで、3年も保たず、
次々と口に糊するためのネタに移っていったじゃないか。
いまや、みーんなダンマリだ。
一方で、この間ずっと真面目に発信し続けてきた、
医師や研究者たちはどんな思いでいるだろう。

僕の周囲では感染はあったけれども、幸いにして重篤なことにはならなかった。
本当に幸運だったと思う。
だから、この程度の筆致で済んでいるけれども、
もし僕の家族や友人にコロナで亡くなった人がいたら、
僕はああした連中を心情的に許せなかっただろうなと思う。

つくづく思う、コロナのような人の生死に関わる問題について、
何らの覚悟も知識的裏づけも持ち合わせない人間が、
自らの知的アクセサリに利用したいばかりに、
勝手に「現状分析」や「未来の予見」なんかを放言するのは、
実にまったくロクデモナイことだと。

まったく、三浦瑠麗かおまえらは。
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