いぶろぐ

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単に僕がお酒が飲めないせいだろうけどね

2015-07-07 06:19:41 | 超・いぶたろう日記
飲み屋には人生が表れる、という。
カネ、夢、野望、恋、性欲、友情、裏切り、過去、未来。
そこには普段の肩書きや地位を離れた、
一個の人間たちの裸の心が集まるという。

…だから僕は、飲み屋が好きではない。
友達と集まってワイワイやる居酒屋なんてのは好きだけど。
あの、バーとかスナックとか、ああいう世界だね。
というか、正直キライだ。

裸の心の何がいいものか。
羞恥心も責任感もかなぐり捨てて、
剥き出しの欲望と見栄と同情と下心と甘えと言い訳と逃避をまぜこぜにして、
ベタベタくっついて、特別な仲間意識でひっついて。
そんなもん、人間の本質と言えるか。

カッコつけてないからそこに素の心がある?
バカ言ってんじゃねえ。
どんな服を選ぶか、どんな髪型やメイクを選ぶか、
どんなアクセサリを身につけて、どんな靴を履くのか。
そこまで含めて人間じゃないか。
やせ我慢して、カッコつけて、良く思われようとして、
ストレスやプレッシャーにも堪えて、
それでも頑張って社会の中で生きようともがく、
ナマの人間の姿じゃないか。

カッコつけなくてイイ、ガマンしなくてイイ、
真の人間性が表れる心の解放区?
他人の目も気にせずに、欲望に身を任せるのは、動物だろ。
人間の本性が動物だなんて、今日び小学生でも言わない屁理屈だよ。

夜の世界の住人を名乗る人々は、
一様にその空間の居心地の良さを説く。
そこには嘘がないのだという。
口先の嘘はあっても、それは寂しさが故のことで、
人間性には偽りがないのだという。

もう、それが嘘だけどね。
話し手も聞き手も酔っ払ってるのをイイことに、
浅薄な知識や偏った認識をもとに、
実に適当なことばかり並べ立てる。
何の責任もないから。
できもしない約束をし、席を同じくしただけの有名人を友達だと言い張る。
北朝鮮の国民の1000分の1にも満たない「苦労」を売りに、
伝道師を自称して「人生相談」を嬉しそうに請負い、
何もかも聞いてあげて、ときには説教の真似事までして、
たまにそれがお金になったりして。
でもま、お互い心の隙間を埋めに来てるだけだから、
埋まればそれで良し。

だから、彼らの勧めるものといったら、
「目立たないけど知る人ぞ知る、他のどこにもない素晴らしいもの」
という名のついたよくあるガラクタばかり。
裸が好きな割には、肩書きや能書きに弱く、
物事の本質を見抜けないからだろうな、と思う。

どんな経験を重ねたって、そこから本質的に学べてないんじゃ、
何にも変わらないし偉そうなこと言えないけどね。
「気分」だけ変わっていくら走ったって、
ずっとルームランナーの上じゃ、同じ場所のまんま。
しょうもない自分自身の姿にも目をつむっていれば、
いつでもどこにでも行けるけどね。たしかに。

まあ、人は誰しも自分が今居る世界を肯定することでしか自分自身を肯定できないものだ。
だからしょうがないとは思うけど、僕はそういう世界に交わりたくは、ないな。
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