…という記事を書いている時点で破綻しているわけですが。
それにしても本当に書けなくて困っちゃう。
ここ1ヶ月、平均しても15時間労働だもんなあ。
6月なんてほとんど朝帰りでしたよ。
7月に入っても続行中だからやんなっちゃう。
で、休みの日はいつも何かしようと思うのだけど、
くたびれ果てて寝つぶしてしまうばかり。
書こうと思えば書けるのだろう(現にこうして書いている)が、
こういう心身ともに不健康な状況で記事を書いても、
やれ「疲れた」だの「忙しい」だの、
自分で振り返っても面白くない不格好な内容になるばかりだから、
いまいちその気になれない。
たまに書こうかな、と思い立つことはあるのだけど、
どうにも気分がのりきれていないから、
ささいなこと(それは主に誤変換だったりする)でぷつんと切れる。
いや、キレると言ってもキーボードクラッシャーじゃないですよ(笑)。
脱力しちゃうんだよね。気力が萎える。
かつて、末期癌に陥っても喋り続ける男と形容されたことを思えば、
ずいぶんとくたびれたものだな、と思う。
まあ、とは言っても書く方が面倒なだけで。
喋る方は相変わらずなんですけどね。
授業なんかでは元気にやってますよ。
昨日は中だるみでやる気のイマイチ出ない中2の連中に、
「中卒」のリスクを、主に初任給と生涯収入の視点から、
実に詳しく生々しく説明してやったところ、
その後の授業が締まる締まる(笑)。
こういうあたり、親父譲りのストーリーテラーだな、と思う。
書くことが僕はそもそもあまり苦にならなくて、
それこそ喋るのと同じくらい得意にしているのだけども、
最近はどうも面倒に思えていけないね。
書き出してみればそれなりに筆は進むものなんだけど。
ほら、一言で終わるつもりがもうこんなに(笑)。
いつか「メンドウはテキだ」という記事を書いたけど、
まったくもってその通りだな、と思う。
一つ一つがメンドウになっていく度に、
心がトシをとるのではないかな。
僕らくらいの年齢になると、実年齢をひた隠しにする人や、
肉体年齢をやたら気にする人なんかが出てくるけれど、
大事なのはやはり心の年齢だと思うよ。
心が若い人は年齢なんて感じさせないもん。
自信のない人ほど見た目やカッコにこだわって、
無定見に流行を追いかけたり、変な髪型にしたりするのかもしれないよね。
若い内はそのしょっぱさこそが個性だけど、
ある程度年齢を重ねたら上手に消化してモノにしないとね。
痛々しさと格好良さとは近いところにいて決して交わらないモノだと思う。
心は若々しくとまでは言わないまでも、変わらずにありたいものだね。
まあ、メンドクサイと思わずにいることではないかな、と思うけどね。
それがなかなかムズカしかったりもして。
責任を背負い込めば背負い込むほど、
メンドウの重みが違ってくるし、ややこしさも増すし、
なにより疲れて余裕がなくなってくる。
こんな不況の世の中じゃ余計にそうだよね。
みんなも大変だろうけど、どこかにささやかな理想をおいて、
面倒くさがらずにお互いがんばろうじゃないか。
何もかもメンドウクサイと思った時、一生が終わってしまう気もするしね。
やろうと思えば何かができる、現代の日本はまだまだそういう幸せな国。
だけど同時にバカがバカのまんまでも生きて行けちゃう国。
理想を携えるかどうかだけが、そこを塗り分けてくれるんだ。
悲しみすぎず、喜びすぎず、テンポ正しく握手をしようじゃないか(笑)。
更新が止まって久しいのに、
毎日大勢の人が来て下さっているのには恐縮です。
また気が向いたら書きますね。
・・・ちなみに、
写真は「念仏の鉄」の、モノマネです。
深夜に仕事がたまってくると、
裁けぬ悪をゴキゴキゴキとでもやってやりたくなります。
それにしても本当に書けなくて困っちゃう。
ここ1ヶ月、平均しても15時間労働だもんなあ。
6月なんてほとんど朝帰りでしたよ。
7月に入っても続行中だからやんなっちゃう。
で、休みの日はいつも何かしようと思うのだけど、
くたびれ果てて寝つぶしてしまうばかり。
書こうと思えば書けるのだろう(現にこうして書いている)が、
こういう心身ともに不健康な状況で記事を書いても、
やれ「疲れた」だの「忙しい」だの、
自分で振り返っても面白くない不格好な内容になるばかりだから、
いまいちその気になれない。
たまに書こうかな、と思い立つことはあるのだけど、
どうにも気分がのりきれていないから、
ささいなこと(それは主に誤変換だったりする)でぷつんと切れる。
いや、キレると言ってもキーボードクラッシャーじゃないですよ(笑)。
脱力しちゃうんだよね。気力が萎える。
かつて、末期癌に陥っても喋り続ける男と形容されたことを思えば、
ずいぶんとくたびれたものだな、と思う。
まあ、とは言っても書く方が面倒なだけで。
喋る方は相変わらずなんですけどね。
授業なんかでは元気にやってますよ。
昨日は中だるみでやる気のイマイチ出ない中2の連中に、
「中卒」のリスクを、主に初任給と生涯収入の視点から、
実に詳しく生々しく説明してやったところ、
その後の授業が締まる締まる(笑)。
こういうあたり、親父譲りのストーリーテラーだな、と思う。
書くことが僕はそもそもあまり苦にならなくて、
それこそ喋るのと同じくらい得意にしているのだけども、
最近はどうも面倒に思えていけないね。
書き出してみればそれなりに筆は進むものなんだけど。
ほら、一言で終わるつもりがもうこんなに(笑)。
いつか「メンドウはテキだ」という記事を書いたけど、
まったくもってその通りだな、と思う。
一つ一つがメンドウになっていく度に、
心がトシをとるのではないかな。
僕らくらいの年齢になると、実年齢をひた隠しにする人や、
肉体年齢をやたら気にする人なんかが出てくるけれど、
大事なのはやはり心の年齢だと思うよ。
心が若い人は年齢なんて感じさせないもん。
自信のない人ほど見た目やカッコにこだわって、
無定見に流行を追いかけたり、変な髪型にしたりするのかもしれないよね。
若い内はそのしょっぱさこそが個性だけど、
ある程度年齢を重ねたら上手に消化してモノにしないとね。
痛々しさと格好良さとは近いところにいて決して交わらないモノだと思う。
心は若々しくとまでは言わないまでも、変わらずにありたいものだね。
まあ、メンドクサイと思わずにいることではないかな、と思うけどね。
それがなかなかムズカしかったりもして。
責任を背負い込めば背負い込むほど、
メンドウの重みが違ってくるし、ややこしさも増すし、
なにより疲れて余裕がなくなってくる。
こんな不況の世の中じゃ余計にそうだよね。
みんなも大変だろうけど、どこかにささやかな理想をおいて、
面倒くさがらずにお互いがんばろうじゃないか。
何もかもメンドウクサイと思った時、一生が終わってしまう気もするしね。
やろうと思えば何かができる、現代の日本はまだまだそういう幸せな国。
だけど同時にバカがバカのまんまでも生きて行けちゃう国。
理想を携えるかどうかだけが、そこを塗り分けてくれるんだ。
悲しみすぎず、喜びすぎず、テンポ正しく握手をしようじゃないか(笑)。
更新が止まって久しいのに、
毎日大勢の人が来て下さっているのには恐縮です。
また気が向いたら書きますね。
・・・ちなみに、
写真は「念仏の鉄」の、モノマネです。
深夜に仕事がたまってくると、
裁けぬ悪をゴキゴキゴキとでもやってやりたくなります。