いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

時間をかけて好きになったものは

2007-05-31 01:18:47 | 似非哲学の部屋
本当に好きなものなんだろうと思う。
反対に、一目惚れのように電撃的に好きになったものは、
キライになる時もあっけないものなんじゃなかろうかと思う。

たとえばそれが料理であれば。
刺激の強いものであるほどインパクトも強く、
こんな美味いものがあったのか!とばかり、
しばらくはその店に通い詰めるだろう。
でも、飽きる。

それが恋であれば。
まあ、例を引くまでもなくわかりやすいわね。
電光石火でひっついた人、別れるのも早いですね。
それが恋の範疇であれば、それもまたひとつの形。
好きになったらくっついて、飽きたら次、てのもその人のスタイルだ。
でも結婚となると(基本的には)一生モノだし、
そうそう結婚と離婚をくり返すわけにもいくまい。
好きなところ(=自分に都合のいいところ)に夢中になること以上に、
嫌いなところ(=自分に都合の悪いところ)がないか、
あった時に耐えられるかも重要なのだろう。

仕事であれば。
憧れや待遇の良さだけで飛び込んだはいいが、
結局長続きしなかった、てのもよく聞く話。
やはり時間をかけてどういう仕事なのか、
それが自分にとってどう響くのか、
見極めることは大切だろう。
文句や理想を言い出したらきりがない。
結婚と同じように、安定と引き換えにどこかで自由を失うのが就職だ。
職種、賃金、労働時間数、休日、スキル、
何かを犠牲にしなければならない中で、
自分に不都合な条件の存在をどこまで許せるか。
あるいは別の何かで埋め合わせられるか。
その上で継続性の見込めるものこそ、本当に好きな仕事だと言えるだろう。
人間もまた。
本当に好きな人というのはそう言うもんだろう。

かえりみて僕はなかなか「一目惚れ」ということが少ない。
ないとは言わない。
バイクも小豆も一目惚れだ。
しかし、考えなしに飛びつくことはない。
本当にこれでいいか、ずっと仲良くやっていけるのか、
時間をかけて考える。
バイクの時は2ヶ月考えて、あれこれ比較してみて、
それでもやはり僕の中で魅力が色褪せなかったから、買った。
小豆の時も店で4~5時間くらい考えたんじゃなかったかな。
人間についても、そう。
初めからその人の能力や仕事を手放しに絶賛したり、
容姿だけで夢中になったりすることはない。
おお!と感嘆する、
アタマにドーナツ載っけたエンジェルいぶたろうの隣には
「今のところいい感じだけど、次はどうかな?」
「容れ物はキレイだけど、中身はどうかな?」
とささやいてくるデビルいぶたろう(with黒いフォーク)がいる。

だから、先のことまでは解らないけれど、
本当にいいものかどうかを見極めることというのはやはり大事で、
この点、僕は色んなものについてそういう視点(一生モノ感覚)
で選んでいるところがある。
そうやって選び抜いたからこそ、僕は「とっかえひっかえ」がない。
ひとついいものだと惚れ抜いたらずっとそれだ。
これはダメだと思ったらもうダメだ。
意外と職人ぽい。

ここで忘れちゃいけないのが、人は変化しうるということ。
イイヒトだと思っても年齢や立場や利害によって、変わる。
イヤナヤツだと思っても、経験やタイミングや関係性によって、変わる。
ここに目をふさいで全否定・全肯定の両極端に走るのは利口とは言えない。
まあ、中には評価の圏外まですっ飛んでしまう人間もいるけれど(笑)。
変化や成長の可能性は自分にも他人にも認める。
でも、それが確かな形で提示されない限り、評価は揺るがない。
そういう厳しい眼がないと、
この曖昧でいい加減で言い訳の多い、
ゆるゆるの日本社会に身も心も染まってしまう気がする。

好きになる時は、時間をかけよう。
Comments (2)
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