本当に好きなものなんだろうと思う。
反対に、一目惚れのように電撃的に好きになったものは、
キライになる時もあっけないものなんじゃなかろうかと思う。
たとえばそれが料理であれば。
刺激の強いものであるほどインパクトも強く、
こんな美味いものがあったのか!とばかり、
しばらくはその店に通い詰めるだろう。
でも、飽きる。
それが恋であれば。
まあ、例を引くまでもなくわかりやすいわね。
電光石火でひっついた人、別れるのも早いですね。
それが恋の範疇であれば、それもまたひとつの形。
好きになったらくっついて、飽きたら次、てのもその人のスタイルだ。
でも結婚となると(基本的には)一生モノだし、
そうそう結婚と離婚をくり返すわけにもいくまい。
好きなところ(=自分に都合のいいところ)に夢中になること以上に、
嫌いなところ(=自分に都合の悪いところ)がないか、
あった時に耐えられるかも重要なのだろう。
仕事であれば。
憧れや待遇の良さだけで飛び込んだはいいが、
結局長続きしなかった、てのもよく聞く話。
やはり時間をかけてどういう仕事なのか、
それが自分にとってどう響くのか、
見極めることは大切だろう。
文句や理想を言い出したらきりがない。
結婚と同じように、安定と引き換えにどこかで自由を失うのが就職だ。
職種、賃金、労働時間数、休日、スキル、
何かを犠牲にしなければならない中で、
自分に不都合な条件の存在をどこまで許せるか。
あるいは別の何かで埋め合わせられるか。
その上で継続性の見込めるものこそ、本当に好きな仕事だと言えるだろう。
人間もまた。
本当に好きな人というのはそう言うもんだろう。
かえりみて僕はなかなか「一目惚れ」ということが少ない。
ないとは言わない。
バイクも小豆も一目惚れだ。
しかし、考えなしに飛びつくことはない。
本当にこれでいいか、ずっと仲良くやっていけるのか、
時間をかけて考える。
バイクの時は2ヶ月考えて、あれこれ比較してみて、
それでもやはり僕の中で魅力が色褪せなかったから、買った。
小豆の時も店で4~5時間くらい考えたんじゃなかったかな。
人間についても、そう。
初めからその人の能力や仕事を手放しに絶賛したり、
容姿だけで夢中になったりすることはない。
おお!と感嘆する、
アタマにドーナツ載っけたエンジェルいぶたろうの隣には
「今のところいい感じだけど、次はどうかな?」
「容れ物はキレイだけど、中身はどうかな?」
とささやいてくるデビルいぶたろう(with黒いフォーク)がいる。
だから、先のことまでは解らないけれど、
本当にいいものかどうかを見極めることというのはやはり大事で、
この点、僕は色んなものについてそういう視点(一生モノ感覚)
で選んでいるところがある。
そうやって選び抜いたからこそ、僕は「とっかえひっかえ」がない。
ひとついいものだと惚れ抜いたらずっとそれだ。
これはダメだと思ったらもうダメだ。
意外と職人ぽい。
ここで忘れちゃいけないのが、人は変化しうるということ。
イイヒトだと思っても年齢や立場や利害によって、変わる。
イヤナヤツだと思っても、経験やタイミングや関係性によって、変わる。
ここに目をふさいで全否定・全肯定の両極端に走るのは利口とは言えない。
まあ、中には評価の圏外まですっ飛んでしまう人間もいるけれど(笑)。
変化や成長の可能性は自分にも他人にも認める。
でも、それが確かな形で提示されない限り、評価は揺るがない。
そういう厳しい眼がないと、
この曖昧でいい加減で言い訳の多い、
ゆるゆるの日本社会に身も心も染まってしまう気がする。
好きになる時は、時間をかけよう。
反対に、一目惚れのように電撃的に好きになったものは、
キライになる時もあっけないものなんじゃなかろうかと思う。
たとえばそれが料理であれば。
刺激の強いものであるほどインパクトも強く、
こんな美味いものがあったのか!とばかり、
しばらくはその店に通い詰めるだろう。
でも、飽きる。
それが恋であれば。
まあ、例を引くまでもなくわかりやすいわね。
電光石火でひっついた人、別れるのも早いですね。
それが恋の範疇であれば、それもまたひとつの形。
好きになったらくっついて、飽きたら次、てのもその人のスタイルだ。
でも結婚となると(基本的には)一生モノだし、
そうそう結婚と離婚をくり返すわけにもいくまい。
好きなところ(=自分に都合のいいところ)に夢中になること以上に、
嫌いなところ(=自分に都合の悪いところ)がないか、
あった時に耐えられるかも重要なのだろう。
仕事であれば。
憧れや待遇の良さだけで飛び込んだはいいが、
結局長続きしなかった、てのもよく聞く話。
やはり時間をかけてどういう仕事なのか、
それが自分にとってどう響くのか、
見極めることは大切だろう。
文句や理想を言い出したらきりがない。
結婚と同じように、安定と引き換えにどこかで自由を失うのが就職だ。
職種、賃金、労働時間数、休日、スキル、
何かを犠牲にしなければならない中で、
自分に不都合な条件の存在をどこまで許せるか。
あるいは別の何かで埋め合わせられるか。
その上で継続性の見込めるものこそ、本当に好きな仕事だと言えるだろう。
人間もまた。
本当に好きな人というのはそう言うもんだろう。
かえりみて僕はなかなか「一目惚れ」ということが少ない。
ないとは言わない。
バイクも小豆も一目惚れだ。
しかし、考えなしに飛びつくことはない。
本当にこれでいいか、ずっと仲良くやっていけるのか、
時間をかけて考える。
バイクの時は2ヶ月考えて、あれこれ比較してみて、
それでもやはり僕の中で魅力が色褪せなかったから、買った。
小豆の時も店で4~5時間くらい考えたんじゃなかったかな。
人間についても、そう。
初めからその人の能力や仕事を手放しに絶賛したり、
容姿だけで夢中になったりすることはない。
おお!と感嘆する、
アタマにドーナツ載っけたエンジェルいぶたろうの隣には
「今のところいい感じだけど、次はどうかな?」
「容れ物はキレイだけど、中身はどうかな?」
とささやいてくるデビルいぶたろう(with黒いフォーク)がいる。
だから、先のことまでは解らないけれど、
本当にいいものかどうかを見極めることというのはやはり大事で、
この点、僕は色んなものについてそういう視点(一生モノ感覚)
で選んでいるところがある。
そうやって選び抜いたからこそ、僕は「とっかえひっかえ」がない。
ひとついいものだと惚れ抜いたらずっとそれだ。
これはダメだと思ったらもうダメだ。
意外と職人ぽい。
ここで忘れちゃいけないのが、人は変化しうるということ。
イイヒトだと思っても年齢や立場や利害によって、変わる。
イヤナヤツだと思っても、経験やタイミングや関係性によって、変わる。
ここに目をふさいで全否定・全肯定の両極端に走るのは利口とは言えない。
まあ、中には評価の圏外まですっ飛んでしまう人間もいるけれど(笑)。
変化や成長の可能性は自分にも他人にも認める。
でも、それが確かな形で提示されない限り、評価は揺るがない。
そういう厳しい眼がないと、
この曖昧でいい加減で言い訳の多い、
ゆるゆるの日本社会に身も心も染まってしまう気がする。
好きになる時は、時間をかけよう。