花は順番に咲く

2017年4月10日
僕の寄り道――花は順番に咲く

特養ホームで暮らす義母の居室から見える桜が満開になっていた。わずか一週間ぶりの訪問なのに窓外の景色が一変している。

小鳥たちの食糧支援になっていた柚子も干からびて残滓を枝先に見るだけとなった。花はまだだいぶ先である。

【柚子】

老人たちが静かに暮らす施設の庭で、木々が順番に花をつけている。

【カリン】

いちはやく咲いたカリンを追いかけるように芽吹いたヒメリンゴが、今週はもう花を咲かせていた。

【ヒメリンゴ】

ここで暮らし始めてから7回目の春を義母は迎えている。入所時に顔見知りになったお年寄りたちも姿を見かけなくなり、古顔を指折りかぞえても片手でたりてしまう。

木々の開花とは違い、人が世界から退出していく順番を言い当てることはむずかしい。けれどあと数年後、さらに数十回の桜開花を眺めたあとには、今この世界にいる人びとは自分も含めてほとんど姿を消してしまうわけで、人もまた花のように順番に咲いては散って行く。

早朝に目が覚めて今日の日記を開いたら
「9:45 大宮駅集合で K 夫妻と仙台まで T さんお見舞い」
と 2014 年のページに書かれていて、あの日ぎりぎり間に合った北の桜を思い出した。


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入学式

2017年4月5日
僕の寄り道――入学式

交差点を渡った向こうにある郵便ポストまで手紙を投函しに行ったら、今日は小学校が入学式だった。正門前に立って写真を撮っていると、校門をくぐっていくひとも、幼児を乗せた自転車で通りかかったひとも、通勤途中でスーツ姿の男女も、みんな立ち止まり携帯電話をかざして写真を撮っている。

 

満開の桜と、青空と、校門と、入学式の文字と、日の丸。そういうものがセットになった風景が人間にとらせる共通した行動がおもしろい。撮り終えると笑みを浮かべて立ち去る人が多く、たとえ日の丸掲揚と君が代斉唱の強要を嫌うひとであっても、やはり抑えがたい笑顔という無意識の衝動があるのではないかと思う。


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仰げば尊し

2017年4月5日
僕の寄り道――仰げば尊し

桜というと小学校正門と唱歌『仰げば尊し』をセットで思い出す。卒業式で『仰げば尊し』を歌い、桜の花をアレンジした校章がついた正門をくぐって母校をあとにしたからだ。

友人のブログによると最近の卒業式では『仰げば尊し』が歌われないのだという。教師への尊敬を押しつけているのが気に入らないという意見が理由のひとつにあるらしい。大人げない。

そんなことは当たり前のはなしで、自分が小学生であったときも「先生はこの歌を唄わせて自分を褒めてほしい、認めてほしいのだな、なんて図々しいんだろう」と思ったものだ。

そう思ったあと褒めてほしい、認めてほしいのは児童の側も同様、お互いさまで、児童は嫌な先生と、先生は嫌な児童と、今日を限りに良い顔をして別れ、無理に会わなくて済む決別の儀式が卒業なのだから、最後くらい相手の顔を立ててやろうと思ったものだ。

そう思ってサバサバした気持ちで卒業式に出たら、心にもないことを歌っている先生も自分たちも妙に哀れで、もう一段大人の階段を登り互いを思って泣けた。そういう極めて通過儀礼的な思い出が人生の糧になっている。唄うべき歌である


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ラジエターと湯湯婆

2017年4月4日
僕の寄り道――ラジエターと湯湯婆

食べて飲んで寝ると体内で熱が発生するので、人間の体は冷却放熱器、英語で言えばラジエターのような役目を果たしている。陰嚢を手にとって観察するととてもよくできている。

放熱が過剰になると体が冷えて寒いので布団をかぶって蓄熱し、蓄熱が過剰になると布団をはねのけて放熱し、そういう調整の繰り返しが人の寝相を悪くする。

体内の水分は蓄熱にも一役買っているようで、温まった水分を放出すると急激に体温が下がって身震いしてしまう。放尿がすなわち放熱にもなっているからだ。ゆえに夜中にトイレに立つことを「湯湯婆(ゆたんぽ)のお湯を抜いてくる」と言う人がいる。


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ナンセンス

2017年4月4日
僕の寄り道――ナンセンス

高校時代、晶文社から出ていた本に草森紳一『ナンセンスの練習』があり、小さな書店の本棚で何度も背文字を眺めながら、買おうか買うまいか手にとったり戻したりして悩んだ記憶がある。草森紳一はその後あれこれ読んだけれど『ナンセンスの練習』は未読のままになっている。

高校生ながら、そもそも「ナンセンスはことばで説明できないもの」であり、それが言葉になり本になっていること自体、なんだか胡散臭いと思われたからだし、立派な上製本を買うお金がなかったせいでもある。

水上バス操舵室脇のバロメーター

それが、自分がおじさんになってみたら「何だか胡散臭い」ことこそナンセンスを論ずる資格であるような気がしてきて、ついでに谷川俊太郎・和田誠『ナンセンスのカタログ』も注文した。どちらも古書なので送料込みで 357 円と 257 円だが、前者は平野甲賀の装丁であることも嬉しい。


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石をかぞえる

2017年4月1日
僕の寄り道――石をかぞえる

雑誌編集会議で清水帰省があったので、早めに出発して三保に寄り道した(3/31)。駿河湾に面した外海側の海岸で、波の音を録音してみたかったからで、そういうことを不意に思いつき、そういうひとり遊びが何歳になっても好きだ。

 水上バスでついた三保の内海側

三保の外海側海岸は丸い玉砂利ばかりで、波が寄せて返すたびにジャラジャラと硬い音を立てる。ここの海岸は波が右から左へと斜めに打ち寄せるので、ジャラジャラの音も右から左へと移動して聴こえる。

 

三保の外海へ通う道

リニア PCM のレコーダーで試し録りしてきたものをステレオ装置で再生してみたらやはりとても面白い。映像なしで音にだけ集中していると、ジャラジャラ音をたてている石の数が数えられそうな気がするのが不思議だ。

三保の外海側海岸

来月はウィンドジャマーすなわち風よけと三脚を持参してちゃんと録ってみようと思う。なぜそういうものが必要かというと三保の外海側は風があって風切り音が入ってしまうから、そしてレコーダーを手持ちして波打ち際に立っていると、時折寄せる大きな波に驚いて後ずさりする足音が録れてしまうからだ。

今回の試し録りでそういうことがわかったので次回はしっかり準備して出かける。

 

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かもめはかもめ

2017年3月31日
僕の寄り道――かもめはかもめ

清水駅みなと口に出ようとしたら改札から自由通路を通り、延伸された歩行者デッキよって江尻漁港の岸壁まで、産業道路を跨いで降りられるようになっていた。

最初からそうすれば良かったものを、どういう理由があったかは知らないけれど、もたもたすることで町の活性化に対し、長きにわたる多大な損失をもたらしてきたと思う。人は空を飛べないのだ。

仕事に疲れて窓辺に立てば小鳥や鳩やからすが飛ぶ姿を眺めて心癒される恵まれた環境にいる。それでも清水魚市場脇の低空を悠然と飛ぶかもめを間近で観ていると、かもめは翼で風をつかむ名人だなぁと改めて思う。

からすも好きで眺めていて飽きることがないけれど、岸壁に腰掛けてかもめをかまいながら、ぼんやり一日過ごしたらしあわせだろうなと思う。

 

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三保の掩体壕

2017年3月31日
僕の寄り道――三保の掩体壕

三保は本町より先に行くとからきし土地勘がなくなる。東西南北の方位はわかるけれど、公道、私道、農道についての知識がない。内海側の桟橋に水上バスがついて下船し、外海側の海岸目指して松林の中をひたすら東進した。そうしたらかならず海辺に出ることだけはわかる。

道の脇に古いコンクリート製の構造物が露出しており、これはもしかしたらと脇に回って下に降りたら、やはり第二次大戦中の掩体壕(えんたいごう)だった。

第二次世界大戦中に日本海軍が開発した特攻兵器震洋を格納しておくための掩体壕が三保には残っている。これは有名なものより小ぶりのようで、震洋のためではないにせよ、やはり掩体壕には違いないと思われる。

戦争の悲惨さを語り継ぐ負の文化遺産なのだけれど。特段保存の計画もないようで、粗悪なコンクリートから錆びた鉄筋が露出している。敗色が深まる世界文化遺産構成遺産の三保で、これを作った人たちはどんな気持ちだったのだろうと小石に触れてみた。

 

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江尻船溜まり時間つぶし

2017年3月31日
僕の寄り道――江尻船溜まり時間つぶし

静岡県清水。江尻桟橋 9 時 10 分発三保桟橋行きの水上バスに乗りそこねたので、次の 10 時 10 分発を待つあいだ、江尻船溜まりを散歩した。この町に住んでいた子ども時代は珍しくもなんともなく、見慣れすぎて意識に上ることもなかった光景がどれも新鮮に映る。

船尾に日の丸を掲げた水産庁の漁業取締船「ながと」が停泊していた。1998 年、清水湾内にあるカナサシ重工で竣工したこの船の総トン数は 499 トンで、500 トンクラスの船はこれくらいの大きさがある。

その先に串木野の第一共進丸が停泊していた。2001 年竣工のこの船も同じくカナサシ重工製で 399 トンある。久しぶりに大きなマグロがベルトコンベアで陸揚げされる風景を見た。

振り向いたら、庵原の山並みの向こうに南アルプスへ連なる山々が見え、まだしっかり冠雪していた。冬でもほとんど雪が舞うこともない温暖な港町だけれど、この岸壁からは雪山が見えたのだなとあらためて気づいた。

しばらく遠い山並みを眺めていたら、江尻桟橋に水上バスが接岸したのが見えたので急いで戻って乗船した。

 

 

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