電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼雑司ヶ谷界隈
鬼子母神参道脇にある『関洋装店』。
窓際には年季の入った黒いミシンが置かれ
人台(じんだい)は作りかけのワンピースをまとい
暖かな光が溢れる店内では
高齢の住人が仕事をされていた。
東京に限らず、郷里静岡県清水でも、
きっと日本中どこでも、こういう穏やかな佇まいの
往時のハイカラさを残した店舗兼用住宅が
大切に使われながら残っていた昭和の時代があった。
▼中継車
代々木から歩いて帰る途中人通りの少ない路上に停まっていた日テレの車。
何かこの場所から中継でもあるのかと辺りを見回したが
ほとんどあたりに人の気配がない。
向こう側にまわったら中で男性が二人機器を操作していた。
「中継車だからどっかからの電波を中継しているだけなんだろう」
と思うことにしたけど、そんなもんなんだろうか。
▼宿坂上り下り
目白不動堂脇の石段を登り切った場所にはかつて観音堂があったが
戦災で焼けて今は金乗院(こんじょういん)の墓地になっている。
丸橋忠弥の墓の前に立って振り向くと夕暮れの気配が忍び寄り
わずかな高さを登っただけでこんなに視界がひらけることにも驚く。
この寺のすぐ近くで暮らしていた
由井正雪や丸橋忠弥はこの観音堂の高台に立ったことがあるのだろうか。
江戸時代なら江戸市中が一望の下に見渡せただろうと思う。
▼高田界隈
都電荒川線学習院下電停近くの踏切で路面電車の通過待ち。
学習院下電停にカメラを向け
踏切を電車が通過した瞬間にシャッターを切った。
早稲田発の都電が面影橋を過ぎ学習院下電停に向かう
昔ながらの風情を狙ったのだけれど
コンピュータに取り込んでみたら都電の側面は
サークルKサンクスの全面広告だったので都電に見えない。
▼高田馬場界隈
12月とかけてウルトラマンととく
その心は?
「シュワッス!」
12月とかけてウルトラマンととく
その心は?
「メリークリシュワッチ!」
だめだ……
▼大久保界隈
日本最大のコリア・タウンを抜け
かつて父親と泊まって母が激怒した簡易宿泊施設(ドヤ)のあったあたりも抜け
巨大な柳のある戸山公園内を歩いていたら地面の模様が気になり
通り過ぎてから刑事コロンボみたいに引き返して写真を撮った。
一面に同じ形のものを押しつけたような跡があり、
どう見ても鳥の足跡のように見えるのだけれど、
こんなに隙間なく一面に鳥の足跡がつくというのは
鳥がスパイクを履いて高校野球開会式でもしないと無理そうな気がする。
本当に鳥の足跡なのだろうか。
▼Love Minus Zero/No Limit
「LOVE ZERO」と描かれた落書きを見て
ボブディランの「Love Minus Zero/No Limit」を思い出したので
久しぶりに鼻歌で歌いながら歩いたが
英語の歌詞をほとんど忘れている・
道端にサボテンを置いているお宅があって
鼻歌の「Love Minus Zero/No Limit」に妙に合うので
写真を撮っていても可笑しくてたまらない。
右から2番目のサボテンにはもう
左端への移植候補が誕生していて
なんとなく「Love Minus Zero/No Limit」だなぁと思う。
▼怪道をゆく
怪しい道を散歩してこういう光景を見つけるのが好きだ。
このお店の方は毎日この竹箒で道を清掃し
終わると必ずこの場所に竹箒を立てかけるのだと思う。
立てかけただけでは手前に倒れてしまうといけないので
建物補強の鉄骨の隙間に差し込み、
差し込んだだけでは横にに倒れてしまうといけないので
ちょうどよいコンクリートブロックの出っ張りに
ちょこんと竹箒の端をのせておくことを思いついたのだろう。
いつこの方法を発見し、いつまでこの名案が伝承されていくのだろうと
近所に住み込んで観察してみたい衝動を感じる。
北区上十条1丁目にて。
▼中仙道の正雪
さまざまな事情で年末年始の帰省が難しくなったせいでもないけれど
郷里につながるものを見つけるとつい反応してしまう。
この店には日本酒の大酒飲みが集うようで
由比町にある神沢川酒造場の正雪を樽で飲んだらしい。
板橋区板橋四丁目にて。
▼ウヅ キ正宗
日本酒の名前には意表を突いた愉快なものがある。
インターネットで検索したら埼玉県鴻巣市にある酒蔵の銘柄で
そのラベルもまた意表を突くユニークなものだった。
▼師走の暦
店の屋号に「清水」とつくだけで愛着を感じてしまうけれど、
そうでなくても愛すべき佇まいのお店。
巣鴨地蔵通り商店街にある『清水畳店』店頭にも
来年のカレンダーが並べられていた。
▼湯たんぽ今昔
冬の寒い時期に帽子をかぶって暮らすことはとても健康のためによいらしい。
人生を長いこと続けているとたくさんの人に出会うので
最近は帽子店の前に立って陳列された帽子を見ると
それぞれの帽子をかぶっていた知り合いの顔が帽子の下に見えてしまう。
そして、それぞれの帽子を見ては
「あっ○○さん!」
と心の中で呟いてしまうので
その帽子をかぶった自分の姿が想像できない。
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