電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【三四郎池】
【三四郎池】
自分の恥ずかしい勘違いを数え上げたら枚挙に暇が無くて、街を歩けばあちらこちらで恥ずかしい勘違いの記憶が呼び覚まされる。
東京大学構内に大きな池があって育徳園心字池、通称東大三四郎池という。
東大三四郎池
元和元年(1615)の大阪夏の陣の後、加賀藩前田家が幕府から現在の東京大学の敷地を賜った。
寛永3年(1626)前田家3代利常の時に、徳川3代将軍家光訪問の内命を受け、殿舎、庭園の造園にかかり完成までに3年を要した。
外様大名として誠意を示す必要があったためである。
このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池を心字池といった。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、誰言うとなく「三四郎池」と呼ばれるようになった。(文京区のサイトより)
東大構内に入って三四郎池を実際に見た後も、僕は長いことその池が映画やドラマで見た『姿三四郎』に登場するあの池だと思い込んでいた。
テレビで見た『姿三四郎』で最も印象深いのは竹脇無我が三四郎を演じたテレビドラマで公開は昭和45年である。
村田英雄が歌う主題歌が好きで「姿三四郎+竹脇無我+村田英雄」で記憶がワンセットになっている。けれど村田英雄が主題歌を歌った『姿三四郎』は倉岡伸太郎が主演したテレビドラマで昭和38年公開であり、ここでもまた勘違いをしている。
池の中の姿三四郎が見上げていたと勘違いしていた三四郎池上空
富田常雄原作の『姿三四郎』で、三四郎は柔道が上手くなるにつれて思い上がりによる私闘を繰り返し、柔道の氏である矢野正五郎に死ねといわれて蓮池に飛び込む。飛び込んだものの死ねなくて杭につかまっているシーンが印象的で、そのシーンを思い出すたびに東大三四郎池の中で震えながら杭につかまっている竹脇無我の姿が脳裏に浮かび、そこに村田英雄が歌う
♪人に勝つより 自分に勝てと 言われた言葉が胸にしむ
♪つらい修行と弱音を吐くな 月が笑うぞ三四郎
(作詞 関沢新一・作曲 安藤実規. 唄 村田英雄『姿三四郎』より)
という歌が重なるのだけれど、完全に間違った勘違いの思い出である。
姿三四郎ではなくカモとコイのいる三四郎池
そういういい加減な思い出を数え上げたら枚挙に暇が無い。
そしてそれをこうして日記に書き恥じながら訂正しつつ、「実は私も……」という人が現れると「(そうでしょう?)」と妙に嬉しかったりするのが、われながらせこいと思う。月が笑うぞ三四郎。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 1 月 20 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)
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