電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか








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静岡県清水市出身、東京都文京区在住、本の装丁専門のデザイナー石原雅彦による日々の記録。東京教育大学教育学部芸術学科最後の卒業生。
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【旧花菱百貨店ビル消滅】
【旧花菱百貨店ビル消滅】
9月30日朝。
清水で朝ご飯を外食したいと思い、ファミレスなどではないまともな食物を食べたかったら、江尻船溜まりに何軒かある食堂に行くのがよいと思う。
そこでは海に関した仕事をする人びとのために早朝からご飯を炊き、地魚を煮たり焼いたりしたものなどを用意して店を開けている。
同じように考える海に関した仕事をしていない人びとの姿も最近はよく見かけるようになった。
早起きして自転車を漕ぎ、千歳橋を渡り旧清水市役所脇を抜けようと思ったら、旧花菱百貨店のビル解体が進み、解体現場が見えていたので写真を撮影しておいた。
RICOH GR Digital
ここに花菱百貨店が開店した日の華やいだ景観は今も鮮やかに思い出すけれど、不思議なことに花菱百貨店が建つ前の町並みというのがどうしても思い出せない。
更地になった花菱百貨店跡地が何になるかについての噂も耳にするけれど、何らかの建物が建って、それが小学校高学年くらいの年頃にあたる清水の子どもたちは、かつてここに花菱百貨店のビルが建っていた町並み景観を、どうしても思い出せなくなる日が来るのかもしれない。
◉
コメント ( 7 ) | Trackback ( )
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清水の子供っちに夢を与えた「はなびし」に感謝
僕は花菱百貨店に見せて貰った夢の重心が地下にあります。
花菱の地下にはいろんな思い出がありました。
ほとんど更地になったこの場所の写真を撮りながら、ふと
「地下のあるビルの解体はどうやるんだろう。上層階を解体したあと地下を掘って基礎も含めて撤去するんだろうか?とするとこの下にはまだ地下階があるんだろうか……?」
などと考えていました。
あのへん、ずらーっと映画館とかパチンコ屋とかが並んでいたような気がします。自信ないけど。
記憶違いだったらごめんなさい。
花菱の包装紙の柄がなんとなく思いだされてきた。なんでそんなこと憶えているんだろう。
映画館やパチンコ屋は向かい側にも並びにもありましたね。ピンポ~ンです。
実家の片付けをしながら花菱の包装紙を探しているのですがなかなか出てきません。
実際にはあまり買い物をしなかったのかな。
僕の最後の買い物は花菱閉店売り尽くしで
とうとう9割引くらいになっても売れ残っていた
文具売り場の内田洋行製図器セットでした。
それで大学の課題を制作して卒業したのでした。
花菱に感謝です。
「清水市、花菱百貨店」で検索を掛けてこのブログに接触しました。
五年も昔に、このビルも消えてしまったんですね。
幼少の頃の想い出の場所がまた一つ消えてしまったのだと思うと残念です。
花菱百貨店の閉店セールでは、当時小学校の3-4年生ぐらいでしたが、もの凄い行列が出来ていたのを憶えています。
消えるはずがないと思っていましたが、帰省したときに、市内をあちこち撮り歩いておけば良かった。
映画館は花菱の並びに大映、向かい側に東映と東宝のがありました。
JR踏切近くにはオリオン座も。
何処かの筋に入ったところに、羽衣劇場という「大人向け」の箱もありましたっけ。
ピンク映画のポスターを横目で見ながら、足早に駆け抜けたこともあったよなと、しばし想い出に浸ってしまいました。
さつき通りには、当時路面電車も走っていて、其れに乗って映画を見に行き、外食するのが最高の贅沢でした。
子供の頃の、港祭りや七夕祭りでは、何処も人の波で、今思っても、どれだけの人が住んでいたのか不思議なくらいです。
清水が私の世界の全てだった、そんな幼かった頃をふと懐かしんでいます。
子ども時代の母が高橋本通に住んでいました。今も高橋在住の従兄が季刊清水取材に一肌脱いでくれ、昇太さんの実家にも行ってみました。あのあたりに住んでおられたのですね。
オリオン座の場所の記憶で年代がわかりますね。先代オリオン座のあったさつき通り沿いのビルが七夕豪雨で打撃を受けたとき僕は大学一年生でした。
季刊清水は中学時代の恩師がおそらく全巻持っていて個人的に電子化してみたい気持ちもありますが時間がとれません。公式にできるか編集会議で相談してみますね。
P.S.
Kinoptik Tegea 9.8mm f1.8 びっくりしました。
ご返事有り難うございます。
七夕豪雨の時は、確か小学4年でした。
江尻小のグラウンドが池のようになり驚いた事をお思い出します。
友人宅も随分と冠水しました。
母親が、江尻小近くにあった青果市場に勤務しており、経済的な被害が甚大であったこと等を思い出します。
私の実家は、丁度翔太さんのご実家(Tさん)の同じ地域にあります。
狭い筋向かいに、今は某食品会社の資材置き場兼駐輪場ですが、昔、製材所があり、その裏手の空き地にはおがくずが大量に放置されていて、カブトムシの幼虫が沢山捕れたことを思い出します。
季刊 清水のバックナンバーは数号、編集部より入手可能との知らせがありましたので、早速、取り寄せのメールをお送りさせていただきました。
戸田書店onlineでも、編集部にない号が1つ有りましたので、此方も取り寄せてみます。
「季刊 清水」の存在を知り、一部でも入手可能であった事は幸せでした。
其れも、此方のblogからのリンクが有ればこそです。
思いを馳せる故郷がある幸せを改めて感じる事が出来、感謝しております。
有り難うございました。
また、拙blogを御覧頂き、恐縮しております。
有り難うございます。