電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【カレースタンド印度】
【カレースタンド印度】


(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 6 月 28 日の日記再掲)
店内に、カレーパウダーの缶が誇らしげに見えている店が減った。
僕はインド人が作るインド料理ではなく、日本人が作る日本の独自食であるカレーライスが大好きだし、日本のカレーライスが嫌いな他人に未だかつて出逢ったことがない。
カレーライスといえば外食ではなくて、お母さんが作った家庭のカレーライスが一番と言う友人も多い。カレーライスというのは手間と時間と材料に拘るほどに家庭の味から離れ、外食の味に近づいていく。黄色いカレーが飴色にかわり、狐色にかわり、茶色くなってこげ茶色になり、究極では墨のように黒くなっていく。そういう外食味のカレーライスが嫌いで、家庭の即席なカレーライスを供するような店が好きな友もいて、手間と時間と材料に拘ったカレーの店を紹介すると、
「あの店のカレーはヘンな味がする」
などと言い出すので、びっくりすることがある。
母もまたカレーライスが好きで、幼い頃は発売直後のインスタントカレーを買い込んできて、嬉々として即席カレーライスを作ってくれたものである。その母が、実は手間と時間と材料に拘ったカレーが嫌いで、かつて自分が作った即席カレーライスそのものでないと受けつけないことに気付いてびっくりした。
静岡県清水江尻東、JR 東海道本線清水駅にほど近い場所にある『カレースタンド印度』のカレーライスが大好きだ。昨年の今頃、食欲のない母に何とか昼食をとらせなくてはと思い、このお店に連れて行ったのだけれど、このとき母の口から生まれて初めて
「お母さんはむかし自分が作っていたようなカレーライスしか美味しいと思えない」
という驚愕の事実を聞いたのである。
「すみません、お口に合いませんでしたか?」
「いいえごめんなさい、このところ体調を崩しているものですから」
お店の女性主人に聞かれた母がそんな会話で取り繕う姿を目にし、こんな美味しいカレーライスを残したらバチが当たると思い、母の皿を取り上げて夢中でかっ込んだものだった。

来年の今頃、母はもうこの世にいないかもしれないと、医師からの告知を受けて覚悟していたのだけれど、母は今も元気であり、一人で月一回の清水帰省を楽しみにしている。
帰省中の母を迎えに降り立った雨の清水駅前。
もう一度ゆっくり『カレースタンド印度』のカレーが食べたくなって、一人でカウンターに腰掛け、辛口カレーライスを注文する。

昔ながらのカレーパウダーが匂い立つような黄色いカレーライスが好きで、そういうカレーライスを食べさせてくれる唯一の場所としてカレーパウダーの缶が誇らしげに見えている店であるカレースタンドが好きなのである。カレー粉が匂い立つ黄色いカレー(福神漬けより真っ赤な紅しょうがの合う奴)が食べられる店は急速に消えつつある。

『カレースタンド印度』も基本的にはそういうお店なのだと思うけれど、ちょっと違うのは昔ながらのカレースタンドのカレーライスに手間と時間と材料への拘りを加味した味わいになっていること。見せかけのあざとさではなくて、カレースタンドのカレーライスの美味しさを煎じ詰めればこういう味になるのか、と思わせるちゃんと昇華した味なのである。
地元でもグルメ雑誌などがあり、プチ東京のような店が増え、紹介されて行ってみると所詮地獄の生き残りレースをしている東京のレストランには敵わない寂しい味に出会うことが多いのだけれど、地域の大衆店の味というのは、ひょっとして東京の人気店の厨房から客に供したら、行列ができるほどに通用するのではないかと思わせる掘り出し物の味に出会うことが多い。
のんびり、ローカル線の旅をして JR 清水駅で途中下車し駅前界隈で昼食でも、などと友人に相談されたら、僕は海側に出て寿司をバカ食いするより、『カレースタンド印度』のカレーライスを食べるように薦めると思う。
積み上げられたカレーパウダー缶の映像を見るたびに、懐かしいカレー粉の匂いが胸に迫り、今日もまた港町への郷愁を誘う。
写真小上:6 月 25 日金曜日の清水駅前。激しい雨は峠を越していたけれどキオスクで傘を買った。
写真大上:『カレースタンド印度』の内外には C&B や S&B のカレーパウダー缶がいっぱい。
写真大下:辛口カレー。手間と時間をかけた濃い色をしているがくどくない。これなら二日酔いでも食べられ、それが僕の“美味しいカレーライス”の第1条件である。
写真小下: 『カレースタンド印度』店頭。この店は学生割引もある。
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