電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉武蔵國豊島郡衙跡を歩く
2018年8月3日
僕の寄り道――◉武蔵國豊島郡衙跡を歩く
律令制下における郡の役所を郡衙(ぐんが)という。北区西ヶ原の御殿前遺跡あたりが武蔵國豊島郡衙の跡とされている。
菊池山哉(さんさい)について書かれた評伝(前田速夫『余田歩き菊池山哉の人と学問』晶文社)を読んでいたら、彼に武蔵國豊島郡衙についての論考があることを知った。
国会図書館に行けば読めるだろうかと検索していたら、最近の発掘調査成果に基づく遺構全体の見取り図を見つけたので、現在の地図に重ね合わせてみた。
律令制下で国造りを急いだ道と、それ以降にひらかれて現代に名残りをとどめる道とは、道の経路決めの基本となる合理的な考えに違いがあるので、現代の道と重なり合わない意外な場所から道の遺構が出てくる。
豊島郡衙跡の南端は官道だった鎌倉街道と接しており、ありがたいことにその道は現在もちゃんと残っている。郡衙のあった当時の道を今も歩けるという意味で貴重なのではないかと思う。
学生時代の四年間をこの郡衙(正倉院=倉庫)南側に沿った官道脇のアパートで暮らしていたので、その場所の現代地図に郡衙跡の見取り図を重ねてみたくなったのだ。そしてぴったり重ね合わてみたら、あらためてその場所を歩いてみたくなった。
地図左上から右下へ向かう道路が岩槻街道。四角い二重線で囲まれた大きな矩形が豊島郡衙。東京メトロ南北線西ヶ原駅で下車して岩槻街道に出たあたり。赤い丸が現在地で矢印がカメラを向けた方向。右側が「花と森の東京病院」で敷地が豊島郡衙南東角にかかっている。画面左端、楔のようなビル左に沿って斜めに入って行く道が鎌倉街道になる。
国立印刷局東京工場前。ここでお金が作られており、敷地は豊島郡衙の中にある。
右の茶色い建物は警視庁滝野川警察署。左、道路中央に見えるのが国指定史跡西ヶ原一里塚。一里塚もかつての豊島郡衙内にあるわけだ。
中央の建物が警視庁滝野川警察署、左手の鳥居が七社神社入り口で、このあたりが豊島郡衙の北西端になる。
鎌倉街道の Y 字路。道の向こう側が豊島郡衙。当時はどんな景色だったのだろう。この左手のアパートに学生をしながら住んでいた。鎌倉街道沿いの銭湯に通い、向かいのパン屋で買い食いをし、 Y 字路を入ってすぐ左の『楽勝軒』でラーメンを食べていた。
滝野川体育館テニスコート越しに見る国立印刷局東京工場。あのあたりに豊島郡衙の正倉群が建ち並んでいた。
古 代 よ り 襷 を つ な ぐ 蝉 の 声
(2018/08/02)
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