【入江の明通寺】

【入江の明通寺】

 
 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 6 月 12 日の日記再掲

目と鼻の先のご近所でありながら、母が他界してからご無沙汰していた旧東海道沿いに住む友人の両親を訪ねた。おとうさんは亡き母と同い年である。

小一時間ほど話し込んで、
「これからこの近所にある浄土真宗の寺に行ってみようと思います」
と言ったら
「えっ、清水に浄土真宗の寺があるんですか」
と驚いておられた。

(2)明通寺(入江三丁目)
 創立は明応八年(一四九九)で、この時は西敬寺と言ったそうです。浄土真宗大谷派に属しますが、この宗派は古くは織田信長に激しく抵抗した、一向一揆で知られています。徳川家康の時代にも宗派の勢力が大きく、大変恐れられていました。家康が駿府に隠居したとき、静岡にある浄土真宗のお寺のみがなぜか怒りに触れ、夫々駿府を離れた土地へと難をさけ、このお寺も入江の地に西敬寺として創立されました。家康の死後、各寺院は静岡へと帰りましたが、堂宇がありましたので和尚の弟が寺を引き継ぎ、後に明通寺と名を変えたそうです。(入江まちづくり推進協議会コミュニティ委員会発行『入江の史跡めぐり』より)

ネットで知り合って時折メールをもらっていた 7 歳年下の男性と初めて会った。

彼は僕の通った高校の後輩という接点があるけれど、それよりも生まれたところが目と鼻の先、となり町である鶴舞町というだけで十分に共有する人生の交差点がある。

1972(昭和 47 )年、清水市立入江小学校創立百年を記念して生徒が校庭に人文字と校章を描いた際の航空写真を見せていただいた。

生まれ故郷を空から見るとこんな風に見えるのかということも興味深いけれど、カメラをぶら下げて清水の町を撮り歩いた高校生の自分がこの空の下にいた、ということにも深い感動がある。

■友人が見せてくれた航空写真を浜田町『かしの木亭』臨時スタジオにて撮影。明通寺の場所はここ。
Panasonic DMC-FX8

■主な目印を記入してみた。
Panasonic DMC-FX8

明通寺は国道 1 号線の五差路である大曲交差点からほど近い。

大曲から渋川にかけては、かつて工業地帯として工場の誘致が行われたという歴史があり今も鉄工所などの工場が多い。戦争中は当然執拗な爆撃を受け、大曲辺りの死者は次々に明通寺に運ばれたと清水市立入江小学校創立百年記念誌『入江の里』に書かれていた。

■静岡県清水元城町。国道 1 号線大曲交差点で交わる元城町と入江町の間の通りは「しらひげ神社通り」という。この通り沿いに白髭神社があるからで白髭神社というのはそもそも高麗神社・百済神社・新羅神社などと並んで古代朝鮮にちなむ神社であるといわれる。白髭神社の参道は清水三保にある御穂神社参道「神の道」と全く同じ方角、海上の道に向いている。
RICOH Caplio GX 

■明通寺はしらひげ神社通りに面している。
RICOH Caplio GX 

家康が浄土真宗を嫌った理由について司馬遼太郎の本にこんな記述がある。

 戦国期、本願寺の勢力は、近畿、中国、北陸、東海といった地方に広まりました。家康の二十歳のころに、家康が信頼していた部下のほとんどがお念仏――本願寺――のほうに走り、三河一向一揆が起こります。これは家康の一代の難事でした。(司馬遼太郎『以下無用のことながら』より)

天皇家に対抗するために天台宗と浄土宗を将軍家の二大菩提寺にした家康が浄土真宗を嫌ったのは当然のことだろう。

明通寺門前にこんなお言葉が掲示されていた。
「私たちは、自分の都合でしかものごとを見ることができません」
という文章の最後に「同朋会」と書かれていてなるほどなぁと思う。

■明通寺全景。
RICOH Caplio GX 

■同朋会のお知らせ。
RICOH Caplio GX 

親鸞の言葉に「御同行御同朋」があり、「同行」というのは兄弟姉妹、「同朋」とは友のことである。それらに「御」がつくのは「同行」も「同朋」も「如来から与えられたものであって私有物ではない」ということによる。これに基づいて信徒の教化と布教活動を目的とする信徒運動が「同朋会運動」なのである。

タテ社会日本の中で希有なヨコ社会実現をめざした宗派の寺が「清水のこの地域」にあることも「いろいろ」考え合わせると興味深い。

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