電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
◉貧乏ゆすりと読書
2019年10月11日
◉貧乏ゆすりと読書


夜中に目を覚ますと横になったままスマホで電子書籍を読む癖があり、そういうことをしながら長年自分を観察していると、あれこれ効能もあるが弊害もある。
弊害としては睡眠の質が損なわれて日中の覚醒が阻害される気がする。午後になると眠くてたまらない。弊害のほうが気になるので目が覚めて本を読むときはちゃんと起きて椅子に座って読むことにした。寝転がって読むより起き上がって読むほうが疲れる。疲れるおかげで眠くなるので、眠くてたまらなくなるまで頑張り、限界だと思った時点でベッドに戻って二度寝している。この方が日中調子がいい。
起きて椅子に腰掛け、本を読むと貧乏ゆすりが出る。下肢ヘのうっ血を防ごうとする反射的な予防運動のようにも思え、そう思って自分を観察すると下肢が「気持ちいい」と言っている。英語ではジグリング( jiggle の現在分詞。…を軽く揺すぶる)といい、健康に資するという点で注目されているらしい。
それとは別に、貧乏ゆすりは読書の役に立っているようにも思える。ウィキペディアで貧乏ゆすりを引くと
●何もしないという行為は、心理学的に不安になる事が多いために、それを解消するために貧乏揺すりをして気を紛らわせる。
●貧乏揺すりをしている人は、たいていの場合において何かしらの欲求不満、ストレスを抱えていることが多い。
とある。どちらもこちらの思い込みを補強する意見としていい線いっていると思う。
装幀を担当した『内山節と読む 世界と日本の古典50冊』農文協刊ができあがって届いた
自分自身の観察によると貧乏ゆすりをしたほうが読書に身が入る。気が散らずに集中できる。人がいろいろなことを並行して処理するとき、貧乏ゆすりするために要する能力が、余計なことを考えようとする心の動きに割り当てられるそれを横取りしているんじゃないか、と思う。
心にとって考え事への集中と身体への集中は並列処理(マルチタスク)ではない。読書に集中しているつもりで、いつの間にか別の考え事に耽って、読書の中身が頭に入っていないことがある。聖徳太子以外の人間の限界である。そういう状態に気づいたときは、考え事に脱線した地点に戻って読み直している。貧乏ゆすりをしながら読書していると、その脱線が抑制されるように思うのだ。読書のプロセスが余計な考え事のプロセスにタスク切り替えされるのを阻止するように働いている。貧乏ゆすりは脱線防止装置である。
そう思って貧乏ゆすりしながら読書すると、下肢が刻むリズムが線路の響きのようで気持ちいい。貧乏ゆすりのリズムに合わせて僕たちの読書は続くよどこまでも。
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