COLKIDが日々の出来事を気軽に書き込む小さな日記です。
COLKID プチ日記
食道癌
LEICA X1
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食道癌が話題になっている。
僕の父親は食道癌を患い、手術を受けている。
祖母も食道癌で亡くなっており、Mrs.COLKIDは、あなたも死ぬ時は食道癌だわ・・などと言う。
父親が食道癌の手術を受けたのは、もう18年も前なので、最新の技術と比較すると少々古い話かもしれない。
食べ物が喉を通らない・・という症状が現れて、癌であることが発覚した。
毎年人間ドックを受けていたが、そちらには引っかからなかった。
病院の先生と家族そろって面談し、食道癌であると告知を受けた。
本人が精神的に極度に強い人で、何が起きても平然としており、さらには会社の経営という責任も背負っていたので、当然のようにいっしょに癌の告知を受けた。
先生が手術名を「食道切除・胃管作成」と書かれた。
まるで道路工事のようだ・・と思ったが、まさに道路工事のような手術であった。
後から聞いたが、何よりも体力を必要とする手術の為、担当医に若手のホープが選ばれたということであった。
手術は9時間におよび、その間、家族はセンターの待合室で静かに待った。
何組かの家族が待っていたが、一組、また一組と呼び出されて消えていき、最後は僕と母親だけが広い部屋に残された。
手術中に亡くなることもあるわけで、手術される当人は一番大変であろうが、家族にとっても、鈍い痛みにじっと耐えるような、辛く長い時間であった。
手術が終わり、手術着のままでマスクをした先生が、手術結果の説明をしてくれた。
切除された父の癌細胞が、まな板の上に乗せられていて、それを前に先生は説明を始めた。
極度の疲労の為、先生はふらふらで、机に体を寄りかかるようにして話している。
マスクの上からのぞく、光を帯びた鋭い目が印象的であった。
手術は、食道の患部を取り去り、胃をばらして管にして、無くなった食道の替わりに、喉元まで延ばしてつなげるというものであった。
新しい管は、もとの場所ではなく胸部の臓器の前側を通す為、食事の際にコツが必要になり、胃の入り口の弁が無くなってしまう為、食べ物が逆流しやすくなる・・といった影響が出るといわれた。
ばらされて管になった胃の部分が、ふたたび元のように膨らむことはほとんどなく、食物を滞留できない為、食事は少しずつゆっくりと食べるという習慣が必要になった。
またその手術の場合、声帯が傷つく可能性があり、父は少ししわがれただけで済んだが、隣のベッドにいた同じ病気の患者さんは、声が出なくなり家族と筆談していた。
長時間手術台にくくりつけられていたため、手術直後の父は体のあちこちが痛いと盛んに訴えた。
当初は横たえた体から何本もの管が出ていたが、それらが日々取れて無くなって行き、そのうちに病院の廊下を歩き回れるまでに回復した。
癌の種類によっては、手術の翌日に部屋を出て来客と仕事の打ち合わせをする人もいるほどで、回復の速度は人それぞれだった。
首相クラスの人が内密に特別室に入院し、手術を受けて数日滞在しただけで退院していった・・という噂も聞いた。
看護婦さんが驚くほどきれいな人で、最初に挨拶に部屋に入ってきた時は、思わず目が釘付けになった。
これは患者に生きる希望を与えるために、意図的にそういう人選をしているのだと気付いた。
病棟も、助かる人と助からない人に分けられていて、重症患者の病棟に行くと喫煙も許されており、専用室で異様な雰囲気でみなが集まり煙草を吸っていた。
父は退院後も順調に回復し、ついには防具をつけて剣道を教えるまでになった。
食べ物はゆっくり時間をかけて食べないと逆流してしまうが、家族全員が協力してそういう食事の環境を作り、やがて当人も慣れてその生活が当たり前になった。
父は5年後に今度は肺癌と診断されたが、それは癌の転移ではなく、食道癌とは関係のない新しい発症であった。
父は食道癌の手術から12年目に亡くなった。
亡くなる数日前まで会社で仕事をしていた。
与えられた12年間の命は、家族にとっても会社にとっても、例えようがないほど貴重なものであったと、今でも思っている。
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