30年以上前、帰省するたび両親の健忘ぶりに驚いた。「刑事コロンボ」を何度見ても感心している姿に、「ああはなりたくない」と心の中で呟いたが、同じ年齢に達した俺の方がもっと酷い。NHKのキラーコンテンツ「岩合光昭の世界のネコ歩き」は再放送、編集版を含めBS、Eテレで週に数本オンエアされる。チャンネルを合わせ、「この猫、確か?」と記憶を辿りつつ、癒やしと和みに浸ってしまう。
「十津川警部シリーズ」(渡瀬恒彦&伊東四朗)、「相棒」も中盤に差し掛かるまで結末を思い出せない。TBS系スカパーで発見した「隠蔽捜査」は杉本哲太&古田新太W主演の緊迫感ある警察ドラマだが、繰り返し楽しめそうだ。古田といえば「劇団☆新感線」の看板役者で、連続ドラマWの「闇の伴走者」、「闇の伴走者~編集長の条件」が記憶に残っている。
古田と先日、初めてスクリーンで接した。蒲郡を舞台にした「空白」(2021年、吉田恵輔監督)である。「隠蔽捜査」ではユーモアラスな警察官僚、「闇の伴走者」では博覧強記の漫画編集者、そして「空白」では熟練の漁師、添田充を自然体で演じていた。言動が荒っぽい添田は、弟子の龍馬(藤原季節)に厳しく接している。前妻の翔子(田畑智子)は再婚しており、添田は一人娘の花音(伊東蒼)と暮らしている。
「充さんが親父だったらキツイな」と龍馬の台詞にあるように、添田は花音に対し、頑固を通り越し不寛容で高圧的な態度を貫いている。花音は美術部に所属しているが、顧問の今井(趣里)に消極的な態度を注意されている。ちなみに趣里は水谷豊と伊藤蘭の娘という。
ある日、悲劇が起きる。花音が万引を疑われ、「スーパーアオヤギ」店長の青柳直人(松坂桃李)に腕を掴まれた。逃げ出した花音を青柳が追うが、不幸なアクシデントが重なり、トラックに引きずられた花音は無残な死を遂げた。絶望に囚われた添田は「娘が万引をするはずがない」と青柳を問い詰める。
刑事事件ではなく、学校にいじめはない。教師の対応にも過失はなかったが、添田は納得しない。誰も罰を受けていないが、人間としての罪はあるはず……そう考えた添田は青柳に迫る。ワイドショーは添田の暴力的な対応にスポットライトを当て、花音は本当に万引したのか、青柳の追跡は正しかったのかを視聴者に問う。前後を切り取った青柳の言葉が放映されたことで、スーパーアオヤギに閑古鳥が鳴く。
英題は「イントレランス」即ち不寛容だ。企画・製作担当の河村光庸はパンフレットに<我々は〝生きづらさ〟や〝閉塞感〟とも違う、「からっぽ=空白」な時代を生きているのではないでしょうか?>と一文を寄せている。添田は娘の死でぽっかり広がった空白に戦く。青柳は父が倒れた時にパチンコに興じていて携帯の着信を無視した。
青柳は添田に対峙出来るような自己を確立しておらず、〝からっぽ〟な自己に直面する。強弱、硬軟と好対照な添田と青柳に加え、歯車役を担っていたのが父の代からのバイト店員、草下部(寺島しのぶ)だ。草下部は「直人君は悪くない」と青柳を励まし、添田やメディアからの防波堤を買って出る。青柳への思いは母性愛と欲望の中間だろうが、青柳は<正義>を説く草下部に辟易する。草下部は社会活動、ボランティアに熱心だが、根底にあるのは恐らく孤独だ。
添田が自身を顧みるきっかけになるのは、花音とぶつかった車の運転手とその母(片岡礼子)だ。母娘によって、添田は来し方の不寛容に気付き、生き方に変化が表れる。翔子との確執は消え、龍馬とは疑似父子になる。青柳とも和解の道筋が見えた。ラストには花音との絆、<白い雲>が浮き彫りになる。
添田の台詞「どうして折り合いをつければ……」が印象的だった。人は誰しも近しい者の死に直面する。苦しくても、死者の記憶とともに生きていかなければならない。死と生、そして絆について考えるヒントを与えてくれる秀作だった。
「十津川警部シリーズ」(渡瀬恒彦&伊東四朗)、「相棒」も中盤に差し掛かるまで結末を思い出せない。TBS系スカパーで発見した「隠蔽捜査」は杉本哲太&古田新太W主演の緊迫感ある警察ドラマだが、繰り返し楽しめそうだ。古田といえば「劇団☆新感線」の看板役者で、連続ドラマWの「闇の伴走者」、「闇の伴走者~編集長の条件」が記憶に残っている。
古田と先日、初めてスクリーンで接した。蒲郡を舞台にした「空白」(2021年、吉田恵輔監督)である。「隠蔽捜査」ではユーモアラスな警察官僚、「闇の伴走者」では博覧強記の漫画編集者、そして「空白」では熟練の漁師、添田充を自然体で演じていた。言動が荒っぽい添田は、弟子の龍馬(藤原季節)に厳しく接している。前妻の翔子(田畑智子)は再婚しており、添田は一人娘の花音(伊東蒼)と暮らしている。
「充さんが親父だったらキツイな」と龍馬の台詞にあるように、添田は花音に対し、頑固を通り越し不寛容で高圧的な態度を貫いている。花音は美術部に所属しているが、顧問の今井(趣里)に消極的な態度を注意されている。ちなみに趣里は水谷豊と伊藤蘭の娘という。
ある日、悲劇が起きる。花音が万引を疑われ、「スーパーアオヤギ」店長の青柳直人(松坂桃李)に腕を掴まれた。逃げ出した花音を青柳が追うが、不幸なアクシデントが重なり、トラックに引きずられた花音は無残な死を遂げた。絶望に囚われた添田は「娘が万引をするはずがない」と青柳を問い詰める。
刑事事件ではなく、学校にいじめはない。教師の対応にも過失はなかったが、添田は納得しない。誰も罰を受けていないが、人間としての罪はあるはず……そう考えた添田は青柳に迫る。ワイドショーは添田の暴力的な対応にスポットライトを当て、花音は本当に万引したのか、青柳の追跡は正しかったのかを視聴者に問う。前後を切り取った青柳の言葉が放映されたことで、スーパーアオヤギに閑古鳥が鳴く。
英題は「イントレランス」即ち不寛容だ。企画・製作担当の河村光庸はパンフレットに<我々は〝生きづらさ〟や〝閉塞感〟とも違う、「からっぽ=空白」な時代を生きているのではないでしょうか?>と一文を寄せている。添田は娘の死でぽっかり広がった空白に戦く。青柳は父が倒れた時にパチンコに興じていて携帯の着信を無視した。
青柳は添田に対峙出来るような自己を確立しておらず、〝からっぽ〟な自己に直面する。強弱、硬軟と好対照な添田と青柳に加え、歯車役を担っていたのが父の代からのバイト店員、草下部(寺島しのぶ)だ。草下部は「直人君は悪くない」と青柳を励まし、添田やメディアからの防波堤を買って出る。青柳への思いは母性愛と欲望の中間だろうが、青柳は<正義>を説く草下部に辟易する。草下部は社会活動、ボランティアに熱心だが、根底にあるのは恐らく孤独だ。
添田が自身を顧みるきっかけになるのは、花音とぶつかった車の運転手とその母(片岡礼子)だ。母娘によって、添田は来し方の不寛容に気付き、生き方に変化が表れる。翔子との確執は消え、龍馬とは疑似父子になる。青柳とも和解の道筋が見えた。ラストには花音との絆、<白い雲>が浮き彫りになる。
添田の台詞「どうして折り合いをつければ……」が印象的だった。人は誰しも近しい者の死に直面する。苦しくても、死者の記憶とともに生きていかなければならない。死と生、そして絆について考えるヒントを与えてくれる秀作だった。