NHKで放映された「カンパニー~逆転のスワン~」(全8回、BSプレミアム)と「六畳間のピアノマン」(全4回、総合)を録画してまとめて見た。評価の高い原作、豪華なキャスティングとくれば、秀逸な内容になるのも当然か。まずは「カンパニー」から。
主人公の青柳(井ノ原快彦)はリストラ寸前のサラリーマンで、会社が出資するバレエ団(カンパニー)への出向を命じられる。次々襲いかかる難題を、トレーナーの瀬川由衣(倉科カナ)らとクリアし、崩壊の危機にあったカンパニーは熱い絆で結ばれていく。存在感が際立っていたのはプリンシパルを演じた宮尾俊太郎だ。世界的なダンサーだが、今後は俳優としても脚光を浴びるだろう。
「六畳間のピアノマン」はビリー・ジョエルの「ピアノマン」によって紡がれた者たちの出会いを描くオムニバスだ。ブラック企業に勤めていた3人の青年、そのうちのひとりを過労による事故で失った父親、シンガー・ソングライターを目指す女子高生、子供食堂を切り盛りする女性、そして3人の青年と縁があった居酒屋のバイト……。錚々たる役者が織り成す物語に胸が熱くなったが、悪魔と無垢の二面性を演じ切ったパワハラ上司役の原田泰造が光っていた。
新宿ピカデリーで「ターコイズの空の下で」(2021年、KENTARO監督)を見た。日本、モンゴル、フランス合作で、モンゴルを舞台に70年の時空を疾走するロードムービーだ。世界で最も人口密度が小さいモンゴルの広大で荒涼とした光景に圧倒された。監督はミュージシャンゆえ、モンゴルの民俗音楽がちりばめられていた。
冒頭で在日モンゴル人のアムラ(アムラ・バルジンヤム)が厩舎から馬を盗み出し、高速道路を駆け抜ける。逮捕されたアムラの身元引受人になったのは、病魔に侵されていた実業家の三郎(麿赤兒)だった。三郎は戦後、モンゴルで捕虜生活を送っていたが、看護師のスヴトと恋に落ちた。娘ツェルマが生まれたが日本に帰り、消息は手を尽くしてもわからなかった。
三郎の心配の種は甘やかされて育ち、自堕落な日々を送っている孫のタケシ(柳楽優弥)だ。今のままでは跡を継がすのは不可能と考え、あるミッションを与える。<モンゴルに渡り、アムラの協力の下、生き別れになった娘ツェルマを捜すこと>……。モンゴルに渡ったタケシはアムラが運転する中古バンでモンゴルを旅する。
柳楽といえば「誰も知らない」のデビューが鮮烈で、中村文則原作の「最後の命」(14年)も記憶に残っている。今年中に主演作が封切られる予定で、海外からも声が掛かるなどキャリアを着実に積んでいる。本作で演じたタケシも魅力的だった。奔放に生きてきたせいか、日本人らしい気遣いや堅苦しさと無縁なのだ。
風土や習慣が180度異なる土地にいち早く馴染んでいく。アムラとの距離が縮まっていくのを象徴的に示すのが連れションのシーンだ。最初はバンの陰に隠れるように用を足していたが、後半にはアムラと一緒に豪快に飛沫を飛ばしていた。コミュニケーションもジェスチャーでばっちりだ。
70年前の三郎の抑留生活、タケシの日本での放蕩三昧、アムラの恋人との思い出がカットバックしながらロードムービーは進行する。タケシは荒野にひとり置き去りにされるが、身重の遊牧民女性(ツェツゲ・ビャンバ)に助けられた。三郎とスヴト、タケシと遊牧民女性……。2組の出会いがオーバーラップする。
俺の年になると生き方を変えられないが、順応力のあるタケシはモンゴルで何かに気付いた。それは絆、多様性の尊重、自然との感応、世界を俯瞰で眺める視線、叫びたいほどの自由といったところか。オフィスに座ったタケシが見やる空の先、ターコイズの空の下で母子がゲルの前で佇んでいた。余韻が去らぬ暗示的なラストだった。
主人公の青柳(井ノ原快彦)はリストラ寸前のサラリーマンで、会社が出資するバレエ団(カンパニー)への出向を命じられる。次々襲いかかる難題を、トレーナーの瀬川由衣(倉科カナ)らとクリアし、崩壊の危機にあったカンパニーは熱い絆で結ばれていく。存在感が際立っていたのはプリンシパルを演じた宮尾俊太郎だ。世界的なダンサーだが、今後は俳優としても脚光を浴びるだろう。
「六畳間のピアノマン」はビリー・ジョエルの「ピアノマン」によって紡がれた者たちの出会いを描くオムニバスだ。ブラック企業に勤めていた3人の青年、そのうちのひとりを過労による事故で失った父親、シンガー・ソングライターを目指す女子高生、子供食堂を切り盛りする女性、そして3人の青年と縁があった居酒屋のバイト……。錚々たる役者が織り成す物語に胸が熱くなったが、悪魔と無垢の二面性を演じ切ったパワハラ上司役の原田泰造が光っていた。
新宿ピカデリーで「ターコイズの空の下で」(2021年、KENTARO監督)を見た。日本、モンゴル、フランス合作で、モンゴルを舞台に70年の時空を疾走するロードムービーだ。世界で最も人口密度が小さいモンゴルの広大で荒涼とした光景に圧倒された。監督はミュージシャンゆえ、モンゴルの民俗音楽がちりばめられていた。
冒頭で在日モンゴル人のアムラ(アムラ・バルジンヤム)が厩舎から馬を盗み出し、高速道路を駆け抜ける。逮捕されたアムラの身元引受人になったのは、病魔に侵されていた実業家の三郎(麿赤兒)だった。三郎は戦後、モンゴルで捕虜生活を送っていたが、看護師のスヴトと恋に落ちた。娘ツェルマが生まれたが日本に帰り、消息は手を尽くしてもわからなかった。
三郎の心配の種は甘やかされて育ち、自堕落な日々を送っている孫のタケシ(柳楽優弥)だ。今のままでは跡を継がすのは不可能と考え、あるミッションを与える。<モンゴルに渡り、アムラの協力の下、生き別れになった娘ツェルマを捜すこと>……。モンゴルに渡ったタケシはアムラが運転する中古バンでモンゴルを旅する。
柳楽といえば「誰も知らない」のデビューが鮮烈で、中村文則原作の「最後の命」(14年)も記憶に残っている。今年中に主演作が封切られる予定で、海外からも声が掛かるなどキャリアを着実に積んでいる。本作で演じたタケシも魅力的だった。奔放に生きてきたせいか、日本人らしい気遣いや堅苦しさと無縁なのだ。
風土や習慣が180度異なる土地にいち早く馴染んでいく。アムラとの距離が縮まっていくのを象徴的に示すのが連れションのシーンだ。最初はバンの陰に隠れるように用を足していたが、後半にはアムラと一緒に豪快に飛沫を飛ばしていた。コミュニケーションもジェスチャーでばっちりだ。
70年前の三郎の抑留生活、タケシの日本での放蕩三昧、アムラの恋人との思い出がカットバックしながらロードムービーは進行する。タケシは荒野にひとり置き去りにされるが、身重の遊牧民女性(ツェツゲ・ビャンバ)に助けられた。三郎とスヴト、タケシと遊牧民女性……。2組の出会いがオーバーラップする。
俺の年になると生き方を変えられないが、順応力のあるタケシはモンゴルで何かに気付いた。それは絆、多様性の尊重、自然との感応、世界を俯瞰で眺める視線、叫びたいほどの自由といったところか。オフィスに座ったタケシが見やる空の先、ターコイズの空の下で母子がゲルの前で佇んでいた。余韻が去らぬ暗示的なラストだった。