まずは訃報から。大林宣彦さんが亡くなった。享年82である。俺にとって〝彼方の巨匠〟で映画館では3作しか見ていない。最も記憶に残るのは「異人たちとの夏」(1988年)で、人目を憚らず号泣した記憶がある。「花筐/HANAGATAMI」(2017年)には安倍政権への強い警戒感が窺えた。反戦の思いを抱き続けた映像作家の死を悼みたい。
営業自粛でネットカフェ難民は行き場を失い、シングルマザーたちも悲鳴を上げている。貧困率が高い日本で<補償なき自粛>は国民を追い詰める。〝板子一枚下〟の地獄への恐怖、同調圧力や集団化を促す空気が精神を苛む。<心のロックダウン>を食い止める手段はなく、〝突破者〟に学んで気持ちを切り替えるしかない。例を挙げるなら、女性、労働者、弱者の側に立った伊藤野枝だ。
野枝は関東大震災の半月後、憲兵隊司令部で大杉、大杉の甥とともに惨殺された。短い半生に迫った「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」(2014年、栗原康著/岩波現代文庫)を読了する。著者の栗原はアナキズムに造詣の深い政治学者、いや、感性はそのままアナキストだ。ポップな筆致で綴られた本作は。野枝に送ったラブレターといっていい。
冒頭、栗原は野枝の墓を訪ねる。野枝の魂は封印されていた。妖怪のような扱いで、「二度と地上で暴れるな」という恐怖の表れといえるだろう。世紀が変わっても、故郷の人々は「あの淫乱女」と野枝を罵っていた。しかし、それは事実と異なる。親が決めた婚家を8日で出奔して辻潤と結婚し、その後、大杉栄の元に走る。一本気な純愛が野枝を突き動かしていた。
不明を恥じるしかないが、大杉、そして辻と野枝の関係を〝主客〟と見ていた。野枝はダダイストで翻訳家だった辻、アナキストの大杉と接することで思想的バックボーンを形成する。「青鞜」発行人で「元始、女性は太陽だった」で知られる平塚らいてうの影響も絶大だった。本作にはこの3人と野枝との経緯が詳細に描かれている。だが野枝は、驚くべきは吸収力で〝主〟に追いついていく。
17歳で論壇デビューを果たした野枝は28歳で召された時、3人の〝先生〟と匹敵する表現者だった。ジョン・レノンがヨーコ・オノにインスパイアされ「女は世界の奴隷か」を発表する60年前、野枝は女性解放、男女同権、買売春禁止を訴え、封建制度に刃を突き付ける。怒りと情熱を支えたのは自由への希求だった。
野枝は女性解放活動家、作家、編集者で、10年間で3男4女を産む。常に生活苦で、出奔したにもかかわらず、親族に愛嬌を振りまいて金を工面する。著者はこの調子の良さに呆れ、楽しんでいるが、野枝は子供のため、夫のために生きなくてはならず、官憲の弾圧にも耐えねばならなかったのだ。大杉と野枝は伝を頼って後藤新平を訪ねて金を無心し、300円(当時)をゲットする。懐の深さを示すエピソードとされるが、後藤は左翼人脈の一員だった。
面白いのは各章のタイトルだ。<貧乏に徹し、わがままに生きろ>、<夜逃げの哲学>、<ひとのセックスを笑うな、<ひとつになっても、ひとつになれないよ>、<無政府は事実だ>……。野枝の破天荒さ、楽天主義、攻撃性、波瀾万丈、情熱、ユーモア、ナイーブさを言い当てている。
野枝を惹きつけたのはミシン(機械)で、次のように記している。<みんな、それぞれの部分が一つ一つの個性をもち、使命をもって働いています。(中略)必要な連絡の部分を超してまで他の部分に働きかけることは決して許されてありません。そして、お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現われてくるのです>……。これは野枝の理想とする運動論、友情、恋愛の形を表現している。
<中心>、<上下>という概念を嫌う野枝は心底からアナキストであった。彼女を刺激したのは米騒動における主婦たちの闘いで、女性解放の曙と見做していた。現地のメーデーに参加出来ずフランスから帰国し、東京駅に降り立った大杉は、徹底的な取り締まりに逆らう800人もの出迎えを受けた。時代の寵児だったのだ。
アナキズムにシンパシーを抱いていたバートランド・ラッセル(後にノーベル文学賞受賞)は1921年に来日し、多くの活動家や文化人と交流した。そのラッセルは離日する際、「好ましいと思った日本人はたった一人。伊藤野枝という女性で、ある高名なアナキストと同棲していた」(趣旨)と語っている。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかない。
本作では惨殺事件の首謀者は甘粕大尉という〝定説〟を踏襲しているが、佐野眞一は「甘粕正彦 乱心の曠野」で<甘粕が命令体系を逸脱するはずはなく、無実でありながら罪を被った>と主張していた。本作と関係はないが、満州の実効支配者になった甘粕は、冷酷というパブリックイメージとは異なる貌を持っていたのではないか。
別稿(3月23日)で記した石牟礼道子と野枝に共通点を覚えた。それは〝狂い〟である。道子はひめやかな、野枝は燃えるような色調で、封建的な家族を否定している。道子は〝火宅の人〟だったが、野枝は意外に家族と密接だった。表現は対照的だが、素晴らしい2人の女性と知り合えて幸せだった。
営業自粛でネットカフェ難民は行き場を失い、シングルマザーたちも悲鳴を上げている。貧困率が高い日本で<補償なき自粛>は国民を追い詰める。〝板子一枚下〟の地獄への恐怖、同調圧力や集団化を促す空気が精神を苛む。<心のロックダウン>を食い止める手段はなく、〝突破者〟に学んで気持ちを切り替えるしかない。例を挙げるなら、女性、労働者、弱者の側に立った伊藤野枝だ。
野枝は関東大震災の半月後、憲兵隊司令部で大杉、大杉の甥とともに惨殺された。短い半生に迫った「村に火をつけ、白痴になれ~伊藤野枝伝」(2014年、栗原康著/岩波現代文庫)を読了する。著者の栗原はアナキズムに造詣の深い政治学者、いや、感性はそのままアナキストだ。ポップな筆致で綴られた本作は。野枝に送ったラブレターといっていい。
冒頭、栗原は野枝の墓を訪ねる。野枝の魂は封印されていた。妖怪のような扱いで、「二度と地上で暴れるな」という恐怖の表れといえるだろう。世紀が変わっても、故郷の人々は「あの淫乱女」と野枝を罵っていた。しかし、それは事実と異なる。親が決めた婚家を8日で出奔して辻潤と結婚し、その後、大杉栄の元に走る。一本気な純愛が野枝を突き動かしていた。
不明を恥じるしかないが、大杉、そして辻と野枝の関係を〝主客〟と見ていた。野枝はダダイストで翻訳家だった辻、アナキストの大杉と接することで思想的バックボーンを形成する。「青鞜」発行人で「元始、女性は太陽だった」で知られる平塚らいてうの影響も絶大だった。本作にはこの3人と野枝との経緯が詳細に描かれている。だが野枝は、驚くべきは吸収力で〝主〟に追いついていく。
17歳で論壇デビューを果たした野枝は28歳で召された時、3人の〝先生〟と匹敵する表現者だった。ジョン・レノンがヨーコ・オノにインスパイアされ「女は世界の奴隷か」を発表する60年前、野枝は女性解放、男女同権、買売春禁止を訴え、封建制度に刃を突き付ける。怒りと情熱を支えたのは自由への希求だった。
野枝は女性解放活動家、作家、編集者で、10年間で3男4女を産む。常に生活苦で、出奔したにもかかわらず、親族に愛嬌を振りまいて金を工面する。著者はこの調子の良さに呆れ、楽しんでいるが、野枝は子供のため、夫のために生きなくてはならず、官憲の弾圧にも耐えねばならなかったのだ。大杉と野枝は伝を頼って後藤新平を訪ねて金を無心し、300円(当時)をゲットする。懐の深さを示すエピソードとされるが、後藤は左翼人脈の一員だった。
面白いのは各章のタイトルだ。<貧乏に徹し、わがままに生きろ>、<夜逃げの哲学>、<ひとのセックスを笑うな、<ひとつになっても、ひとつになれないよ>、<無政府は事実だ>……。野枝の破天荒さ、楽天主義、攻撃性、波瀾万丈、情熱、ユーモア、ナイーブさを言い当てている。
野枝を惹きつけたのはミシン(機械)で、次のように記している。<みんな、それぞれの部分が一つ一つの個性をもち、使命をもって働いています。(中略)必要な連絡の部分を超してまで他の部分に働きかけることは決して許されてありません。そして、お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現われてくるのです>……。これは野枝の理想とする運動論、友情、恋愛の形を表現している。
<中心>、<上下>という概念を嫌う野枝は心底からアナキストであった。彼女を刺激したのは米騒動における主婦たちの闘いで、女性解放の曙と見做していた。現地のメーデーに参加出来ずフランスから帰国し、東京駅に降り立った大杉は、徹底的な取り締まりに逆らう800人もの出迎えを受けた。時代の寵児だったのだ。
アナキズムにシンパシーを抱いていたバートランド・ラッセル(後にノーベル文学賞受賞)は1921年に来日し、多くの活動家や文化人と交流した。そのラッセルは離日する際、「好ましいと思った日本人はたった一人。伊藤野枝という女性で、ある高名なアナキストと同棲していた」(趣旨)と語っている。大杉と野枝は成立3年後、<中心>と<上下>に縛られたロシア革命を批判している。鋭い洞察に感嘆するしかない。
本作では惨殺事件の首謀者は甘粕大尉という〝定説〟を踏襲しているが、佐野眞一は「甘粕正彦 乱心の曠野」で<甘粕が命令体系を逸脱するはずはなく、無実でありながら罪を被った>と主張していた。本作と関係はないが、満州の実効支配者になった甘粕は、冷酷というパブリックイメージとは異なる貌を持っていたのではないか。
別稿(3月23日)で記した石牟礼道子と野枝に共通点を覚えた。それは〝狂い〟である。道子はひめやかな、野枝は燃えるような色調で、封建的な家族を否定している。道子は〝火宅の人〟だったが、野枝は意外に家族と密接だった。表現は対照的だが、素晴らしい2人の女性と知り合えて幸せだった。