酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「人間小唄」~人間の業を掘り下げる町田康の力業

2019-07-02 22:34:02 | 読書
 〝グッドマナー〟と対極の俺だが、スマホを手にしながら松屋やすき家で食べている姿にイライラしてしまう。音楽を聴きながらなんてもっての外だが、注意しても逆ギレされるのがオチだろう。学生だった40年前、マナーについて考えさせられる経験をした。

 「愛情ラーメンって店で新聞読みながら食ってたら、店のオヤジに叱られた」……。仕事先でこんな話をしたら、「私も行きました」と当時、江古田に住んでいた同世代のTさんが話に加わってくる。老夫婦が切り盛りしていた愛情ラーメンは貧乏学生御用達で、ラーメンとチャーハンのセットが200円前後。友人は食べ残して怒られたという。オヤジにとって薄利多売はモットーでありプライドだった。

 俺は人生の3分の1、20年を江古田で過ごした。Tさんと江古田話で盛り上がったためか、苦く酸っぱい青春時代の思い出が蘇り、寝付けない夜が続いている。♪ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて 迷い道くねくね(「迷い道」)ではないが、幾つも曲がり角を間違えた俺は、今も青春の曠野を彷徨っている。

 町田康の小説を読むと、鋭いナイフで全身を刻まれ、血が迸る感覚を覚える。梅雨時で饐えた俺の肉体を「人間小唄」(2010年、講談社文庫)が洗ってくれた。主人公の小角の名は役小角にちなんでいる。役小角は呪術を操る修験者で、本作の小角も〝涅槃物質〟が立ち篭める空間で糺田両奴を操った。相棒の美少女は新未無で、名は体を表すというが、中身は空洞だ。暴力的な小角だが、未無には遠慮がち。女性に弱いのが、町田ワールドの男たちの特徴だ。  

 「人間小唄」の底に流れるのは<正義>、いや<自分勝手な正義>と<憤怒>だ。フェイク、紛い物が幅を利かす世間を小角は許せない。ターゲットに選ばれたのが作家の糺田両奴だ。小角が送った短歌をネタにした一文を発表し、作者(小角)の人間性まで酷評する。滅びゆく日本語と軽佻浮薄な風潮を刷新するための革命……というのは建前で、小角は糺田両奴を潰すため、異空間に監禁し、三つの宿題を課した。

 その一、短歌を作ること。その二、ラーメンと餃子の店を開業し、人気店にする。その三、暗殺。小角と未無のさじ加減ゆえ、糺田は合格しなかった。糺田の短歌は作家とも思えないほど稚拙だった。ラーメン屋台は「愛情ラーメン」並みの値段設定で繁盛したものの、諸般の事情で失速する。

 結果として糺田は暗殺(魂のテロル)に追い込まれる。小角が指定したターゲットは、権力と癒着し、この国の空気を薄め、歪めている猿本だ。糺田のアイデアを盗んでラーメン屋を開店したのも猿本である。そのモデルである秋元康を、町田が〝日本の癌〟と見做していることが窺える。

 町田ワールドといっても、どこから囓るかによって印象は大きく変わる。「告白」と「宿屋めぐり」を、<21世紀の日本文学が到達した高みで、石川淳の「狂風記」彷彿させる土着的パワーに溢れている>と評した。「人間小唄」は主音が大きく異なるが、共通しているのは<言葉とリズム>だ。ロック、歌謡曲、落語、漫才、河内音頭、古典にインスパイアされた語彙を攪拌し、聖と俗、善と悪の境界を疾走する。

 「人間小唄」は破綻し、矛盾と欠落に溢れているが、JPOPのような聴き心地の良さを町田に求めてはいけない。整合性や予定調和と無縁で、人間の業を力業で掘り下げるのが町田康なのだ。ページを繰りながら、俺の耳に遠藤ミチロウのシャウトが響いていた。両者に交流があったか知らないが、町田は先達の死を心から悼んでいるに違いない。

 「告白」の主人公である熊太郞は「思想と言葉と世界がいま直列した」と独白した。この直感を形にするため、町田は身を削っている。俺も自身を浄化するため、これからも町田の小説に触れていきたい。
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