酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「科学する心」~科学と文学を結ぶ池澤夏樹の柔らかな世界

2019-07-10 22:11:53 | 読書
 松本智津夫死刑囚の刑執行から1年が経った。その前日(5日)、公安調査庁がオウムのアレフなどに立ち入り検査を行う。AXMミステリーは7日に予定していた「A2完全版」(森達也監督)の放映を中止した。自主規制を批判し、日本最大の問題点を集団化と見做す森は、何かアピールを出すのだろうか。

 九州に梅雨前線が停滞し、800㍉の豪雨が甚大な被害をもたらした。かつて被害は全国に及んだものだが、ここ最近、〝局地的〟という表現に接することが多い。東京で500㍉超の雨が降れば、200万世帯が避難を余儀なくされるという予測もある。人間に蹂躙された自然が、復讐の牙を研いでいる気配を覚える。そんな気分に即した池澤夏樹の最新刊「科学する心」(集英社インターナショナル)を読了した。

 まず、タイトルがいい。平凡に考えたら<科学する脳>だが、<心>にした辺りに作意を覚える。昆虫の生態、永遠の概念、進化論、AI、原子力など多岐にわたる内容に自身の作品を重ねた刺激的なエッセーで、ページを繰る指が止まらなかった。

 池澤の父福永武彦は、俺を文学に導いてくれた恩人で、「草の花」に深く感動した記憶がある。父に敵うはずはない……。そんな先入観は池澤の作品に触れるにつれ霧散した。池澤は世界を俯瞰で見据える旅人で、物理学科に籍を置いたこともあり、科学と文学の結び目といえる存在だ。

 俺は高校時代、<科学する脳>に劣る完全文系だったが、30代になって内なる<科学する心>に気付いた。「躍る物理学者たち」がきっかけで、科学(量子力学)と東洋哲学(道教や禅)の共通点を追究するニューサイエンスにハマったからである。前稿末に触れたベルナール・ヴェルナールの小説も、科学と哲学の境界を描いた点でニューサイエンス的といえなくもない。

 「科学する心」には池澤少年時代の記憶もちりばめられている。足し算しか知らなかった池澤は乗法(掛け算)を知った時、〝支配者の発想〟と感じた。乗法を渋々受け入れた池澤だが、人を縛るツールとして数そのものを拒んだ石牟礼道子の一文を紹介していた。

 本作を読んで、科学とは五感をもって自然に向き合う姿勢であり、 <科学する心>は哲学と文学にリンクしていると感じた。最も肝心なのは、固定観念に囚われず、想像力をフル稼働することである。池澤は粘菌を下等、人間を高等と言い切れないとし、粘菌を用いた北海道の道路地図作成の実験を紹介する。生物多様性に立脚する池澤は、<ホモサピエンス優位>の神話を壊したいと考えている。

 池澤は吉川浩満著「理不尽な進化」を下敷きに、キリスト教、とりわけトランプを支える原理主義者(福音派)が声高に叫ぶ<全てをデザインした神の意志>を否定する。種は99・9%絶滅している。進化の歴史は賭場の一夜のようなもので、人間も分化や絶滅を免れない。適者は決して強者ではなく、俗流進化論(弱肉強食、適者生存)に則る〝自己責任論〟に与しない。

 もの思へば 澤の蛍もわが身より あくがれいづる 魂かとぞ見る……。和泉式部の和歌の英訳と仏訳に際し、池澤は自然、感覚、文字の連なりを直観した。別稿で紹介したバリ島を舞台に著した「花を運ぶ妹」を解読している。同作のみならず池澤は主観と客観の交歓を希求してきた。科学で証明出来ない神秘を背景に「マシアス・ギリの失脚」、「静かな大地」、「氷山の南」といった作品を発表している。

 池澤は「すばらしい新世界」(2000年)で、<原発ほど環境を汚染し、非効率でお金がかかるシステムはない。2030年にはほとんど消滅している>と主人公(東電社員?)に語らせている。「科学する心」にも原発についてページを割いていた。科学と文学の架け橋である池澤は、常にオルタナティブかつ柔軟に発想している。

 池澤が選んだ「世界十大小説」(NHK新書)のうち、「百年の孤独」、「悪童日記」、「フライデーあるいは太平洋の冥界」、「老いぼれグリンコ」、「苦海浄土」を読んでいる。池澤は辺見庸とともに貴重なブッグガイドだから、残り5作も召される前に読んでおきたい。池澤は多和田葉子とともにノーベル文学賞の有力な候補ではないか。


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