酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

モリッシーという強力な磁界に閉じ込められて

2016-10-02 20:26:17 | 音楽
 新潟知事選が告示された。泉田知事の唐突な出馬辞退に、闇の力を感じたのは俺だけだろうか。野党統一の枠組みは壊れ、原発再稼働に与する民進党は自主投票だ。年内解散が囁かれる今、民進党が連合とともに自公に合流する可能性さえ囁かれている。

 アメリカでは〝擬制の2大政党制〟が維持されそうだ。ヒラリー支持を表明したサンダースに、「なぜ第三極を目指さないのか」という批判の声が上がったが、選挙戦が始まるとメディアの洗脳もあり、民主、共和以外、政党は存在しないことになる。

 「トランプもヒラリーも最悪。アメリカから逃げてきた(先週まで当地でツアー)僕は賢明だった」……。米大統領選をぶった斬った男のライブを29日、オーチャードホール(渋谷)で見た。男の名はモリッシーである。

 スミスの1stアルバム(1984年)の帯に〝20年ぶりの衝撃〟と記されていた。即ちビートルズ以来ということだが、レーベル担当者は予知能力の持ち主だったのだろう。♯1「リール・アラウンド・ザ・ファウンテン」の回転がずれたような音に、俺は異世界に誘われた。

 実働5年、オリジナルアルバム4枚で87年に解散したスミスは、NMEのファン投票で<20世紀最高のUKバンド>〟の項で1位に選出された。コーチェラフェス(アメリカ最大規模)の主催者は毎年、「メーンステージのヘッドライナーとしての再結成」をオファーし、モリッシーとジョニー・マーが固辞するのがお約束になっている。

 ライブの構成は斬新だった。開演から30分、ピストルズ、ニューヨーク・ドールズらモリッシーが敬意を払うアーティストの映像がスクリーンに流される。<僕のことをもっと知ってほしい>というモリッシーのメッセージなのだろう。日本風のお辞儀で始まったライブは、2曲目の「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」など、ソロキャリアの代表曲がセットリストに含まれていた。スミス時代の曲は「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」だけだった。

 一番聴きたかった「モンスターが生まれた11月」がセットリストになかったのは残念だった。「モンスター――」のラスト、醜い少年(=モリッシー)は街に出る。導いたのはマーだが、2人は87年に袂を分かつ。ロック史に残る〝男たちの悲恋〟から30年、両者に歩み寄る気配はない。

 女王を「あの陰険な女」と呼び、キャメロン元英首相をぶった斬る。その政治的発言が世界中で話題になるが、ある〝不敬〟でロックファンの不興を買った。マンチェスター公演で今年亡くなったレジェンドに弔意を表したが、かつて親密だったデヴィッド・ボウイの名がなかった。マーといいボウイといい、仲違いすれば絶対許さないのは、病的な潔癖さゆえだろう。

 ソロになって以降の10作を繰り返し聴いて予習した。どのアルバムもクオリティーは高いが、進化は感じない。作詞はすべてモリッシーで、作曲を担当するアラン・ホワイトやボズ・ブーラーらとともに不変の世界を形成している。ソプラノとともにモリッシーのウリといえるビルドアップされた上半身を、1曲目途中から晒していた。

 スミス時代、「クイーン・イズ・デッド」(85年)というタイトルのアルバムを発表するなど、モリッシーは30年以上、<権力者を攻撃し、弱者とアウトサイダーの側に立つ>という姿勢を貫いてきた。10代の頃は引きこもりでパートナーは男性という自身の体験から、社会的不適応、登校拒否、LGBT、格差と貧困をテーマに曲を書いてきた。反戦主義者で菜食主義者のモリッシーの根底にあるのは、<動物であれ人間であれ何も殺さない>という<生物多様性>の概念である。

 今回の来日公演で、モリッシーを唯一無比と見做すファンと絆は深まった……と言いたいところだが、残念な事態が起きた。必要なステージセットを設置出来ないという理由で、横浜公演がドタキャンされる。そういえば、フジロックでも同様なことがあった。57歳のモリッシーは〝がんぜない子供〟のままで、次の来日は難しそうだ。

 最後に、モリッシーにすれば動物虐待以外の何物でもない競馬の予想を……。日本馬が出走する海外GⅠの馬券が購入出来るようになった。第1弾の凱旋門賞はアイリッシュのモリッシーにちなみ、アイルランド馬ファウンドを軸にして馬券を買うことにする。
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