寝ぼけ眼でチャンネルを回していると、ダルビッシュが映っていた。1年9カ月ぶりのマウンドだったが、力みのない自然体の投球に器の大きさを感じた。好内容での復活勝利は、今後に大きな期待を抱かせる。
数万のデモ隊が反グローバリズム、反資本主義を訴えて会場に接近する……、そんなお約束と無縁のまま、伊勢志摩サミットは幕を閉じた。そこにこそ、日本の深刻な病根(集団化と馴致)が表れている。広島での演説、手作りの折り鶴寄贈など、安倍首相との〝役者の違い〟が浮き彫りになったオバマ大統領だが、前稿で記した通り〝死の商人〟の代表格だ。裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう。
羽生善治名人(4冠)が佐藤天彦八段に敗れて1勝3敗と、名人失冠の危機に追い込まれた。佐藤は趣味(クラシック音楽、ファッションetc)や盤上に滲み出る美学から、仲間内で〝貴族〟と評されている。感想戦で淡々と振り返る羽生は、名人に相応しい棋士と佐藤を認めているのかもしれない。その羽生は若かりし頃、盤外でも勝負師ぶりを発揮していた。中原、谷川両永世名人に対する「3連続上座奪取事件」は、常識破りの禁じ手として語り継がれている。
齢を重ねるごとにイメージは変化し、今では〝孤高の求道者〟といった趣だ。右脳(直感)と左脳(論理)のアンサンブルでファンを魅了してきた羽生は、最強コンピューターとの対局者を決める第2期叡王戦トーナメントにエントリーした。勝ち上がれば耳目を集めることは確実だが、癪なことにコンピューターは、これからの1年で更なる進歩を遂げるはずだ。
新宿ケイズシネマで「ランバート・アンド・スタンプ」(15年、ジェームス・D・クーパー監督)を見た。ザ・フーを見いだしたキット・ランバートとクリス・スタンプをメーンに据えたドキュメンタリーで、生き残ったピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリーの証言を軸に、貴重な映像を織り交ぜて構成されている。キットは1981年、失意のうちに亡くなり、数々のコメントを寄せたクリスも公開前に召されている。
映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(70年)でフーのパフォーマンスに痺れ、ロックの扉を叩いた。バンドの元には、「あなたたちに救われた」「フーを聴いて自殺を思いとどまった」という内容のファンレターが殺到したという。引きこもりの走りだった俺も、「トミー」、「フーズ・ネクスト」、「四重人格」を擦り切れるまで聴いていた。フーが表現した<疎外からの解放>は、不変かつ普遍のテーマである。
バンドを成功に導くことはマネジャーにとって無上の喜びのはずだが、キットとクリスは違っていた。助監督だった2人は撮影所で出会い、意気投合する。バンドの成長過程をフィルムに収めてデビューすることを夢見て、フーに白羽の矢を立てた。
高名な音楽家を父に持つキットは、オックスフォードで学んだ。ゲイは当時、処罰の対象だったが、キットはオープンにしていた。兄が名優テレンス・スタンプというクリスもアート一家の生まれで、時代の空気にも敏感だった。2人には誤算があった。表現欲求を満たす手段だったバンドは蛹にとどまらず、猛スピードで脱皮を繰り返し、殻を破っていく。マネジャーとバンドに亀裂が生じた過程は、父と息子の相克に当てはめてもいい。
「トミー」以降、ピートはインド思想に傾倒していく。西欧の知的エリートを自任するキットは、ピートのスピリチュアル志向を無視して「トミー」の映画化を進めたことで、メンバーとの溝が深まる。皮肉なことに、キットとクリスの映画への執着はバンドに受け継がれた。「トミー」と「四重人格」(邦題「さらば青春の光」)のみならず、頓挫したプロジェクトを含め、フーは映像へのこだわりが強かった。
俺にとって唯一無二のバンドなのに、キットとクリスは名前しか知らなかった。追放されて〝正史〟から削除されたことが、多く語られなかった最大の理由だろう。映画「ジャージー・ボーイズ」(14年、クリント・イーストウッド監督)にも描かれていたが、齢を重ねることが人を恩讐の彼方に導くケースもある。本作はピート、ロジャー、キット、クリスの半世紀にわたる和解のドラマだった。
最後に、3時間半後に迫ったダービーの予想を。冒頭で<裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう>とオバマ大統領を指弾したが、その言葉は俺自身に返ってくる。競馬は夥しい格差社会で、<血統>という物差しは、俺が価値を置く<公正・平等>と対極だ。でも、自身の矛盾に言い訳はしない。
応援する馬は買わず、勝ってほしくない馬を馬券の軸に据える……。今回のダービーは少額投資の屈折馬券で楽しむことにする。ベテラン蛯名の感涙を見たいし、小牧場生産馬が勝てば快挙だが、ディーマジェスティは買わない。俺が買えば、来るものも来なくなるからだ。政官財だけでなく警察関係にも人脈を誇る里見オーナーの所有馬サトノダイアモンドは、俺が買えば負ける可能性が高まるので軸に据える。
ルメールと内田がそれぞれ工夫しそうなサトノとヴァンキッシュラン、皐月賞でデムーロが乗りへぐった感のあるリオンディーズ、人気薄ゆえ四位の思い切った騎乗が期待出来るレッドエルディストの4頭を馬連、3連複で買うつもりだ。当たる気は全くしない。
数万のデモ隊が反グローバリズム、反資本主義を訴えて会場に接近する……、そんなお約束と無縁のまま、伊勢志摩サミットは幕を閉じた。そこにこそ、日本の深刻な病根(集団化と馴致)が表れている。広島での演説、手作りの折り鶴寄贈など、安倍首相との〝役者の違い〟が浮き彫りになったオバマ大統領だが、前稿で記した通り〝死の商人〟の代表格だ。裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう。
羽生善治名人(4冠)が佐藤天彦八段に敗れて1勝3敗と、名人失冠の危機に追い込まれた。佐藤は趣味(クラシック音楽、ファッションetc)や盤上に滲み出る美学から、仲間内で〝貴族〟と評されている。感想戦で淡々と振り返る羽生は、名人に相応しい棋士と佐藤を認めているのかもしれない。その羽生は若かりし頃、盤外でも勝負師ぶりを発揮していた。中原、谷川両永世名人に対する「3連続上座奪取事件」は、常識破りの禁じ手として語り継がれている。
齢を重ねるごとにイメージは変化し、今では〝孤高の求道者〟といった趣だ。右脳(直感)と左脳(論理)のアンサンブルでファンを魅了してきた羽生は、最強コンピューターとの対局者を決める第2期叡王戦トーナメントにエントリーした。勝ち上がれば耳目を集めることは確実だが、癪なことにコンピューターは、これからの1年で更なる進歩を遂げるはずだ。
新宿ケイズシネマで「ランバート・アンド・スタンプ」(15年、ジェームス・D・クーパー監督)を見た。ザ・フーを見いだしたキット・ランバートとクリス・スタンプをメーンに据えたドキュメンタリーで、生き残ったピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリーの証言を軸に、貴重な映像を織り交ぜて構成されている。キットは1981年、失意のうちに亡くなり、数々のコメントを寄せたクリスも公開前に召されている。
映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(70年)でフーのパフォーマンスに痺れ、ロックの扉を叩いた。バンドの元には、「あなたたちに救われた」「フーを聴いて自殺を思いとどまった」という内容のファンレターが殺到したという。引きこもりの走りだった俺も、「トミー」、「フーズ・ネクスト」、「四重人格」を擦り切れるまで聴いていた。フーが表現した<疎外からの解放>は、不変かつ普遍のテーマである。
バンドを成功に導くことはマネジャーにとって無上の喜びのはずだが、キットとクリスは違っていた。助監督だった2人は撮影所で出会い、意気投合する。バンドの成長過程をフィルムに収めてデビューすることを夢見て、フーに白羽の矢を立てた。
高名な音楽家を父に持つキットは、オックスフォードで学んだ。ゲイは当時、処罰の対象だったが、キットはオープンにしていた。兄が名優テレンス・スタンプというクリスもアート一家の生まれで、時代の空気にも敏感だった。2人には誤算があった。表現欲求を満たす手段だったバンドは蛹にとどまらず、猛スピードで脱皮を繰り返し、殻を破っていく。マネジャーとバンドに亀裂が生じた過程は、父と息子の相克に当てはめてもいい。
「トミー」以降、ピートはインド思想に傾倒していく。西欧の知的エリートを自任するキットは、ピートのスピリチュアル志向を無視して「トミー」の映画化を進めたことで、メンバーとの溝が深まる。皮肉なことに、キットとクリスの映画への執着はバンドに受け継がれた。「トミー」と「四重人格」(邦題「さらば青春の光」)のみならず、頓挫したプロジェクトを含め、フーは映像へのこだわりが強かった。
俺にとって唯一無二のバンドなのに、キットとクリスは名前しか知らなかった。追放されて〝正史〟から削除されたことが、多く語られなかった最大の理由だろう。映画「ジャージー・ボーイズ」(14年、クリント・イーストウッド監督)にも描かれていたが、齢を重ねることが人を恩讐の彼方に導くケースもある。本作はピート、ロジャー、キット、クリスの半世紀にわたる和解のドラマだった。
最後に、3時間半後に迫ったダービーの予想を。冒頭で<裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう>とオバマ大統領を指弾したが、その言葉は俺自身に返ってくる。競馬は夥しい格差社会で、<血統>という物差しは、俺が価値を置く<公正・平等>と対極だ。でも、自身の矛盾に言い訳はしない。
応援する馬は買わず、勝ってほしくない馬を馬券の軸に据える……。今回のダービーは少額投資の屈折馬券で楽しむことにする。ベテラン蛯名の感涙を見たいし、小牧場生産馬が勝てば快挙だが、ディーマジェスティは買わない。俺が買えば、来るものも来なくなるからだ。政官財だけでなく警察関係にも人脈を誇る里見オーナーの所有馬サトノダイアモンドは、俺が買えば負ける可能性が高まるので軸に据える。
ルメールと内田がそれぞれ工夫しそうなサトノとヴァンキッシュラン、皐月賞でデムーロが乗りへぐった感のあるリオンディーズ、人気薄ゆえ四位の思い切った騎乗が期待出来るレッドエルディストの4頭を馬連、3連複で買うつもりだ。当たる気は全くしない。
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