小説に親しんだこともあり、迷い惑うが性になった。そんな俺は、世に蔓延する二進法的発想に辟易しているが、癒やされるのが落語だ。お調子者、怠け者、ひねくれ者など、親近感を覚えるキャラが次々に登場する。先週末は「白鳥&白酒 ホワイトデー」(かめありリリオホール)に足を運んだ。三遊亭白鳥と桃月庵白酒のコラボである。
白酒が鈴本演芸場の夜の部でトリを務めることもあり、白鳥「山奥寿司」⇒白酒「禁酒番屋」⇒白酒「喧嘩長屋」⇒白鳥「隅田川母娘」と変則的に進行した。創作落語の白鳥は、ラディカルなアウトサイダーというべきか。「隅田川母娘」の主人公は愛子内親王で、雅子妃も登場する。本人いわく〝母娘の応援団〟で、2人をバッシングする週刊誌を揶揄していた。
一方の白酒はテンポ、間、表情に滑舌と、全ての点でハイレベルの古典正統派だ。白鳥ほどではないが毒もたっぷりで、当意即妙のアドリブは柳家三三と双璧か。手練れが競演するホール落語は気合がバチバチ弾けている。次回の「白鳥・三三 両極端の会」(4月30日、紀伊國屋ホール)が楽しみだ。
新宿武蔵野館で先日、米映画「きっと、星のせいじゃない。」(14年、ジョシュ・ブーン監督)を見た。インディアナアポリスを舞台に、17歳の少女ヘイゼル(シャイリーン・ウッドリー)と18歳の少年オーガスタス(アーセル・エルゴート)が紡ぐ魂を揺さぶるラブストーリーだ。いずれ観賞される方も多いと思うので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。
本作の生命線は、インディーズっぽい手触りとテンポの良さだ。淡色のキャンバスに、シャイリーンとアーセルが自然体で煌めいている。ジェイグ・バグ、エド・シーランら若手による楽曲が切実な思いを際立たせていた。ユーモア、ペーソスに溢れる物語に、脳内スピーカーからはヴァンパイア・ウイークエンドやフォスター・ザ・ピープルが流れていた。
生と死、そして永遠と一瞬……。アンビバレントな対語は、本作では無限に広がる環の中で繋がっている。ヘイゼルは甲状腺がんが肺に転移し、酸素吸入器入りバッグを手放せない。オーガスタスは骨肉腫で片足を失い、他の部位への転移が危ぶまれている。若年性がんに侵された2人は患者が集うセラピーで出会い、恋に落ちた。オーガスタスの親友アイザックは眼を侵され、失明の危機にある。どん底にありながら勇気を忘れない3人の友情が軸になっている。
ヘイゼルのモットーは痛みと苦しみを直視することだが、若さゆえ、がんは猛スピードで3人の肉体を蝕んでいく。遠からず日本でも、若年性がんが社会問題になるだろう。WHO(世界保健機関)の予測をメディアは黙殺したが、原発事故による若年性がんの発症例が報告されている。体内被曝と向き合うことが反原発のスタートラインであり、ゴールといえる。その点を語らない者は反原発派といえない。
閑話休題……。本作のキーワードはオランダだ。ヘイゼルはオランザ在住の作家、ヴァン・ホーテン(ウイレム・デフォー)に心酔しており、曖昧に終わった作品の結末に思いを馳せている。一方のオーガスタスはオランダ出身のリック・スミッツ(元インディアナ・ペイサーズ)のウエアを着ていた。そんな伏線もあり、ヘイゼルと母、オーガスタスのアムステルダム旅行が実現した。若い2人にとってささやかな新婚旅行で、「アンネ・フランクの家」でのキスシーンは、映画史上の残るハイライトといえるだろう。
オランダでは決裂したホーテンとのやりとりも、後のシーンで効いてくる。ホーテンは恋人たちに、永遠と一瞬について考えるヒントを示したのだ。死を前提にした恋の清々しさに心を洗われ、自分の過去の恋愛(殆ど片思い)を振り返る。修正液で塗り潰したくなったが、それも俺の財産なのだろう。真摯に一瞬を生きることこそ人生の価値……。そんな真理に気付いたのは、死が射程に入った最近のことだ。
本作に感動した方には、テーマが重なる「永遠の僕たち」(11年)をお薦めしたい。アーセルの演技に同作のヘンリー・ホッパーの影響を感じるのは俺だけだろうか。
次稿では、島田雅彦の「往生際の悪い奴」について記したい。「きっと、星のせいじゃない。」と比べたらピュアではないが、愛の形を追求している。
白酒が鈴本演芸場の夜の部でトリを務めることもあり、白鳥「山奥寿司」⇒白酒「禁酒番屋」⇒白酒「喧嘩長屋」⇒白鳥「隅田川母娘」と変則的に進行した。創作落語の白鳥は、ラディカルなアウトサイダーというべきか。「隅田川母娘」の主人公は愛子内親王で、雅子妃も登場する。本人いわく〝母娘の応援団〟で、2人をバッシングする週刊誌を揶揄していた。
一方の白酒はテンポ、間、表情に滑舌と、全ての点でハイレベルの古典正統派だ。白鳥ほどではないが毒もたっぷりで、当意即妙のアドリブは柳家三三と双璧か。手練れが競演するホール落語は気合がバチバチ弾けている。次回の「白鳥・三三 両極端の会」(4月30日、紀伊國屋ホール)が楽しみだ。
新宿武蔵野館で先日、米映画「きっと、星のせいじゃない。」(14年、ジョシュ・ブーン監督)を見た。インディアナアポリスを舞台に、17歳の少女ヘイゼル(シャイリーン・ウッドリー)と18歳の少年オーガスタス(アーセル・エルゴート)が紡ぐ魂を揺さぶるラブストーリーだ。いずれ観賞される方も多いと思うので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。
本作の生命線は、インディーズっぽい手触りとテンポの良さだ。淡色のキャンバスに、シャイリーンとアーセルが自然体で煌めいている。ジェイグ・バグ、エド・シーランら若手による楽曲が切実な思いを際立たせていた。ユーモア、ペーソスに溢れる物語に、脳内スピーカーからはヴァンパイア・ウイークエンドやフォスター・ザ・ピープルが流れていた。
生と死、そして永遠と一瞬……。アンビバレントな対語は、本作では無限に広がる環の中で繋がっている。ヘイゼルは甲状腺がんが肺に転移し、酸素吸入器入りバッグを手放せない。オーガスタスは骨肉腫で片足を失い、他の部位への転移が危ぶまれている。若年性がんに侵された2人は患者が集うセラピーで出会い、恋に落ちた。オーガスタスの親友アイザックは眼を侵され、失明の危機にある。どん底にありながら勇気を忘れない3人の友情が軸になっている。
ヘイゼルのモットーは痛みと苦しみを直視することだが、若さゆえ、がんは猛スピードで3人の肉体を蝕んでいく。遠からず日本でも、若年性がんが社会問題になるだろう。WHO(世界保健機関)の予測をメディアは黙殺したが、原発事故による若年性がんの発症例が報告されている。体内被曝と向き合うことが反原発のスタートラインであり、ゴールといえる。その点を語らない者は反原発派といえない。
閑話休題……。本作のキーワードはオランダだ。ヘイゼルはオランザ在住の作家、ヴァン・ホーテン(ウイレム・デフォー)に心酔しており、曖昧に終わった作品の結末に思いを馳せている。一方のオーガスタスはオランダ出身のリック・スミッツ(元インディアナ・ペイサーズ)のウエアを着ていた。そんな伏線もあり、ヘイゼルと母、オーガスタスのアムステルダム旅行が実現した。若い2人にとってささやかな新婚旅行で、「アンネ・フランクの家」でのキスシーンは、映画史上の残るハイライトといえるだろう。
オランダでは決裂したホーテンとのやりとりも、後のシーンで効いてくる。ホーテンは恋人たちに、永遠と一瞬について考えるヒントを示したのだ。死を前提にした恋の清々しさに心を洗われ、自分の過去の恋愛(殆ど片思い)を振り返る。修正液で塗り潰したくなったが、それも俺の財産なのだろう。真摯に一瞬を生きることこそ人生の価値……。そんな真理に気付いたのは、死が射程に入った最近のことだ。
本作に感動した方には、テーマが重なる「永遠の僕たち」(11年)をお薦めしたい。アーセルの演技に同作のヘンリー・ホッパーの影響を感じるのは俺だけだろうか。
次稿では、島田雅彦の「往生際の悪い奴」について記したい。「きっと、星のせいじゃない。」と比べたらピュアではないが、愛の形を追求している。