古賀茂明氏は昨年末の講演会で<護憲と反原発を軸にした政界再編>に希望を託していたが、その夢は潰えたようだ。だが、永田町の外では新しい潮流が生まれつつある。集団的自衛権、辺野古移設強行により、護憲と反原発が同一の視点で語られるようになったのだ。9月23日には代々木公園で「反戦・反原発中央大集会」が開催される。
安倍批判派に気になる点がある。心身とも脆弱に思える安倍首相が自信に溢れているのは、軍事にせよ原発にせよ、<アメリカのお墨付き>があるからだが、その点を追及するマスメディアは皆無だ。その構図は日米安保条約を通して辞職した祖父の岸信介と似ている。目に付くのは<安倍首相は悪の遺伝子を祖父から受け継いだ>とする記事だ。
アメリカはA級戦犯の岸と正力松太郎を、戦後日本を操るための最良の駒と位置付けていた。岸は東條英機や関東軍と距離を置き、学生時代は社会主義者の北一輝に心酔していた。〝両岸〟と呼ばれるほど左右両派に顔が利いたのは、満州時代に培った人脈ゆえだろう。安倍首相は果たして、祖父の実像をどこまで理解しているのだろう。
さて、本題……。15日に「チャンネルNECO」で放映されたドキュメンタリー「大東亜戦争」(68年/日本テレビ制作)を見た。監督の大島渚は戦後日本を鋭く抉り、ゴダールをして<ヌーベルバーグの最初の作品は「青春残酷物語」>と言わしめた前衛で、テオ・アンゲロブロスに絶大な影響を与えた映像派でもある。
その大島が大東亜戦争をどう描いたのか興味津々だったが、冒頭でショックを受けた。題字を揮毫したのは岸信介だったのだ。頻繁に登場する憎々しい東條と対照的に、岸は一度も映らなかった。「私は関係なかった」という思いで、揮毫を引き受けたのだろうか。本作は当時のニュースフィルムを編集した戦争の記録で、戦況が不利になるにつれ、〝映像権〟が失われていくのがわかる。後半では米軍制作の映像に大本営発表の音声を重ねていた。
ベーブ・ルースら大リーグ選抜が日本中を熱狂させたのは1934年で、ジャズも当時、大流行していた。「駅馬車」のジョン・ウェインに13歳だった母がうっとりしたのは1940年のことだ。親しみを抱く国があっという間に〝鬼畜〟になったのは、洗脳の驚異的な成果といえるだろう。天皇への忠誠、国家への従順が強調され、国民が和を演じる辺り、そのまま現在の北朝鮮である。
とはいえ、大本営も屈曲した表現で厳しい状況を伝えていた。真珠湾攻撃によって〝世界三流の海軍国〟になったはずの米軍に追い詰められても、後退ではなく〝戦線整理〟と報じる。画面や音声に悲愴感が滲みだし、特攻隊出撃の直後、散華するシーンが映し出されていた。
本作が放映された68年は、ベトナム反戦運動が盛り上がった時期である。太平洋戦争とベトナム戦争、そして戦中と戦後……。大島はそれぞれに分かち難い何か、連綿とするものを見いだしていたはずだ。終戦を伝える昭和天皇の言葉に国民が遥拝するシーンで、当時の社説が読み上げられる。いわく「ひれ伏して自らの罪の赦しを請う都民の姿は後を絶たず」(要旨)……。
ピュリツァー賞受賞作「昭和天皇」(ハーバート・ビックス著)には、大元帥(天皇)の戦術の失敗で、多くの将兵を死に至らしめた事実が詳述されていた。苦しめられた民が戦争遂行者に謝罪する構図が創り出されたことは、大島も承知の上だ。
大島の作品に頻繁に登場するのは矜持をなくした戦後の男たちで、典型的な例は「青春残酷物語」と「少年」に登場する父親だ。<戦争を正しく総括しなかったこと>の悪影響は今日にも及んでいる。3・11の際、政府とメディアが用いたのは大本営発表と同じ手法だった。国民は3年前、「マスコミは信用できない」と憤ったが、今や安倍機関の掌中で踊らされている。
印象的だったのは疎開のシーンだ。政府は日本の再興を担う世代を、戦火から遠ざけたのだろう。俺はそこに〝国家の良心〟を感じた。福島原発事故後、若年層の体内被曝を伝える診断が提示されているにもかかわらず、国や自治体は因果関係を否定し、何ら策を講じない。〝国家の良心〟は当時より低下しているようだ。
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安倍批判派に気になる点がある。心身とも脆弱に思える安倍首相が自信に溢れているのは、軍事にせよ原発にせよ、<アメリカのお墨付き>があるからだが、その点を追及するマスメディアは皆無だ。その構図は日米安保条約を通して辞職した祖父の岸信介と似ている。目に付くのは<安倍首相は悪の遺伝子を祖父から受け継いだ>とする記事だ。
アメリカはA級戦犯の岸と正力松太郎を、戦後日本を操るための最良の駒と位置付けていた。岸は東條英機や関東軍と距離を置き、学生時代は社会主義者の北一輝に心酔していた。〝両岸〟と呼ばれるほど左右両派に顔が利いたのは、満州時代に培った人脈ゆえだろう。安倍首相は果たして、祖父の実像をどこまで理解しているのだろう。
さて、本題……。15日に「チャンネルNECO」で放映されたドキュメンタリー「大東亜戦争」(68年/日本テレビ制作)を見た。監督の大島渚は戦後日本を鋭く抉り、ゴダールをして<ヌーベルバーグの最初の作品は「青春残酷物語」>と言わしめた前衛で、テオ・アンゲロブロスに絶大な影響を与えた映像派でもある。
その大島が大東亜戦争をどう描いたのか興味津々だったが、冒頭でショックを受けた。題字を揮毫したのは岸信介だったのだ。頻繁に登場する憎々しい東條と対照的に、岸は一度も映らなかった。「私は関係なかった」という思いで、揮毫を引き受けたのだろうか。本作は当時のニュースフィルムを編集した戦争の記録で、戦況が不利になるにつれ、〝映像権〟が失われていくのがわかる。後半では米軍制作の映像に大本営発表の音声を重ねていた。
ベーブ・ルースら大リーグ選抜が日本中を熱狂させたのは1934年で、ジャズも当時、大流行していた。「駅馬車」のジョン・ウェインに13歳だった母がうっとりしたのは1940年のことだ。親しみを抱く国があっという間に〝鬼畜〟になったのは、洗脳の驚異的な成果といえるだろう。天皇への忠誠、国家への従順が強調され、国民が和を演じる辺り、そのまま現在の北朝鮮である。
とはいえ、大本営も屈曲した表現で厳しい状況を伝えていた。真珠湾攻撃によって〝世界三流の海軍国〟になったはずの米軍に追い詰められても、後退ではなく〝戦線整理〟と報じる。画面や音声に悲愴感が滲みだし、特攻隊出撃の直後、散華するシーンが映し出されていた。
本作が放映された68年は、ベトナム反戦運動が盛り上がった時期である。太平洋戦争とベトナム戦争、そして戦中と戦後……。大島はそれぞれに分かち難い何か、連綿とするものを見いだしていたはずだ。終戦を伝える昭和天皇の言葉に国民が遥拝するシーンで、当時の社説が読み上げられる。いわく「ひれ伏して自らの罪の赦しを請う都民の姿は後を絶たず」(要旨)……。
ピュリツァー賞受賞作「昭和天皇」(ハーバート・ビックス著)には、大元帥(天皇)の戦術の失敗で、多くの将兵を死に至らしめた事実が詳述されていた。苦しめられた民が戦争遂行者に謝罪する構図が創り出されたことは、大島も承知の上だ。
大島の作品に頻繁に登場するのは矜持をなくした戦後の男たちで、典型的な例は「青春残酷物語」と「少年」に登場する父親だ。<戦争を正しく総括しなかったこと>の悪影響は今日にも及んでいる。3・11の際、政府とメディアが用いたのは大本営発表と同じ手法だった。国民は3年前、「マスコミは信用できない」と憤ったが、今や安倍機関の掌中で踊らされている。
印象的だったのは疎開のシーンだ。政府は日本の再興を担う世代を、戦火から遠ざけたのだろう。俺はそこに〝国家の良心〟を感じた。福島原発事故後、若年層の体内被曝を伝える診断が提示されているにもかかわらず、国や自治体は因果関係を否定し、何ら策を講じない。〝国家の良心〟は当時より低下しているようだ。
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