酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

志の輔、三三、志智~テレビ桟敷で話芸に親しむ

2013-09-20 15:01:25 | カルチャー
 「ロッキンオン」のHPで、目が点になる記事を発見した。トム・ヨークはツアー中、「クリープ」をせがむファンに「ファッキン・クリープを演るつもりはない」と言い放ったという。〝工学〟に逃げ込んだ現在のレディオヘッドに多くのファンは満足せず、等身大だった頃の曲に愛着を抱いている。

 ミック・ジャガーは70歳になっても腰をクネクネさせて「サティスファクション」を歌い、2歳下のピート・タウンゼントは右手をグルグル回しながらギターを叩いている。ニール・ヤングやキュアーはファンの期待に応えて一晩で40曲以上も演奏し、モリッシーは老いてもキッズをステージに上げる。

 表現は異なるが〝お客様は神様〟を実践するビッグネームたちと一線を画して〝上から目線〟を貫くレディヘは、裸の王様になりつつある。フェスの映像を見てもカメラは客の反応を捉えない。盛り下がって絵にならないからだろう。俺が最も創造的なバンドと評価するのはトーキング・ヘッズだが、デビッド・バーンは含羞の笑みを浮かべながらダンスしていた。ロックは深刻な表情と無縁なジャンルと断言していい。

 トム・ヨークと真逆に、鋭い視線をアンテナに客席の反応を探っているのが落語家だ。感触を瞬時に分析し、噺の重点、アドリブの内容をシフトチェンジする。枕の反応で演目を変更することさえあるという。落語家はファンと真摯に向き合い、格闘している。結果として新陳代謝が進み、寄席に客が帰ってきた。今回は映像で楽しんだ落語家について記したい。

 まずは、立川志の輔から。鈴本演芸場や末広亭に足を運ぶようになってから1年半ほど経つが、立川流に遭遇することはなかった。様々な経緯があって立川流は定席に出演できず、高座はホールに限定されている。俺が唯一、立川流の噺家を見たのは、紀伊國屋寄席での志らくで、その時の演目は古典の「死神」だった。

 志らくの兄弟子に当たる志の輔は、パルコ劇場での連続公演で知られている。今春分を収録した番組(WOWOW)を改めて見た。放映されたのは新作の「質屋暦」と古典の「百年目」である。俺は新作に〝世相を織り交ぜテンポ重視〟といった先入観を抱いていたが、明治初期の太陽暦への切り替えを題材にした「質屋暦」は、熟成期間を経た古典のコクと艶を併せ持つ内容だった。

 談志の天才ぶりは語り尽くされている。古典で師匠の域に近づくのは難しいと考えたのか、志の輔は身を削って幾つもの新作を創り上げた。もちろん、古典での技量も素晴らしく、聞かせどころ満載の人情噺「百年目」を表情豊かに演じ切っていた。努力の人というのが、今のところの志の輔の印象である。

 次は主流派の落語協会に所属する柳家三三(さんざ)だ。チケットぴあのお気に入りに「落語」と「寄席」を登録しているが、三三の独演会の情報が毎週のように送られてくる。その人気には驚くばかりで、WOWOWの新企画「W亭」のトップバッターに選ばれたのも当然だ。

 「落語的女子力」のテーマに沿った演目は「宮戸川」「三枚起請」「締め込み」だった。年間500席といわれる高座で身に付けた間合い、切れ味、凄み、色気が画面から伝わってくる。視線の先にあるには偉大な師匠の小三治だろうが、芸風の近い古今亭文菊が後ろから追いかけている。切磋琢磨して落語界を牽引していくはずだ。

 祝日だった今週月曜、昼寝から覚めてチャンネルを回していたら、「日本の話芸」(NHK・Eテレ)が始まった。演者は初めて見る笑福亭仁智で、演目は「クメさんトメさん」だ。軽妙洒脱な語り口に客席は爆笑の渦で、俺も時を経つのを忘れて聞き惚れていた。

 新作といっても志の輔とは異なり、ボケと老人問題をテーマにざっくばらんに語っている。自らを落とすという関西の流儀に乗り、仁智は自虐たっぷりの枕からキャッチーな話題を織り交ぜていた。上方では関東のように階級はなく、東京のように寄席が落語中心に回っているわけでもない。厳しい環境下で精進を重ねる上方落語の底力を思い知らされた。

 落語界と異なり、クチクラ化して腐臭が漂うのが日本の政界だ。失格の烙印を押された安倍首相と麻生副総理がゾンビのようにセットで復活し、消費税増税と法人減税を導入する予定という。間近に迫る地獄を、国民はなぜか心待ちしている。
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