酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

雷雨に負けた風物詩~隅田川で感じたこと

2013-07-28 20:11:31 | 戯れ言
 民主党幹事長に大畠代表代行が就任した。原発容認の細野氏から推進の大畠氏へのリレーに、党の本音が透けて見える。民主党がリベラルを結集して反自民の対抗軸になるという期待は完全に潰えた。この際、集団で自民党に吸収された方が構図がはっきりする。

 日本郵政とアフラックの提携が発表された。大手メディアは<TPP交渉へ追い風>と歓迎しているが、<日本の属州化が遂に形になった>と怒りを表明する識者も多い。発端は郵政民営化で、小泉首相は猛々しく日本をアメリカに売り渡して支持を得た。350兆円といわれる預金は食い散らかされるだろう。ローマに牙をむいたスパルタクスは、今の日本に現れるだろうか。

 昨夜(27日)は〝歴史的体験〟をした。隅田川花火大会の現場にいたからである。家を出た時、暗雲は既に垂れ込めていた。駅構内や車中で見かけた浴衣姿の女性たちのためにも「降るな!」と願ったが、結果はご存じの通りである。

 知人が協賛金(1人5000円)を払って第二会場(7時半開始)の観覧席(座席指定)をキープしてくれた。隅田川の花火に長年親しんできた人々の思いを嗤うように、冷たい風が頬を撫で、彼方で稲光が闇を裂くや、雨が落ちてきた。風物詩も自然には勝てない。この日のために身を削ってきた花火師の無念はいかほどであろうか。

 書くことがなくなったので、花火に纏わる思い出を記したい。まずは、30年前の隅田川……。俺はある女性に誘われ足を運んだ。彼女は今風でいう〝ヤリマン〟で、男を取っ換え引っ換え消費するタイプだったが、それを十分承知で俺はまじめに惚れていた。

 自分の顔越しに花火を見る俺が気に入らなかったに違いない。新宿の居酒屋で彼女にキツい一言を浴びせられる。「勘違いしちゃだめよ。わたしが見たかったのは花火で、相手は誰でもよかったの」と……。俺はこの年(56歳)になっても、映画であれ、ライブであれ、紅葉であれ、イベントそのものより共に感じることに価値を見いだしているが、女性の多くは違うらしい。だからこそ〝アッシー〟〝メッシー〟と男を器用に分類できるのだろう(現在はどうか知らないが)。

 風流や粋とは無縁だった亡き父だが、亀岡に引っ越してからは地元だけでなく園部町、八木町(現在はともに南丹市)の花火大会をハシゴしていた。PL花火大会(富田林市)に遠征していたぐらいだから、根っからの花火好きである。

 伏見桃山に住んでいた頃、観月橋近くで家族4人、遠目に花火を眺めていた。宇治川花火大会だったに違いない。光のページェントから闇に転じ、切ない気持ちで視線を下ろした時、川べりに仄かな光が幾つも灯っていた。花火から蛍へ……。あの美しい光景は、後付けで形成された記憶だろうか。

 夢で読んだ<出身校が共学になる>という記事を、〝事実〟として同級生に伝え、嘘つき呼ばわりされたことがある。利根川進教授(マサチューセッツ工科大)のチームは、誤った記憶が生成される過程を再現したというが、妄想や夢が現実と混濁する俺の脳は、格好の研究材料かもしれない。

 〝打ち上げ花火に終わる〟という常套句がある。跡形もなく消え去るという意味だが、闇夜の今、微かな光が射してきた。17万票余を獲得した三宅洋平氏(緑の党比例区候補)は選挙戦後半の盛り上がりに、「決して一過性のムーヴメントではなく、パラダイムシフトが起きつつある」と語っていた。その言葉通り、脱原発、護憲、反貧困、反差別を闘う勢力が結集し、新たなうねりが起きることを願っている。

 雨は花火の天敵だが、ロックにとって伝説のきっかけになる。雷雨の下でのグランド・ファンクのライブ(71年、後楽園球場)は語り草になっているし、台風襲来のさなか開催された第1回フジロック(97年)でのレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンのライブは、俺にとって生涯ベストだ。今年もフジは雨に見舞われたようだが、映像(スカパー!)を通した感想を次稿に記したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする