酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「少年マガジン」と過ごした日々

2009-03-24 00:09:06 | カルチャー
 本日中に秘書が起訴される民主党小沢代表の進退が耳目を集めている。汚職や癒着を根底から洗い流すためには政権交代しかない。世論の動向次第だが、小沢氏は自らが政権交代の桎梏になると判断し、選挙までに辞任すると思う。

 小林慶大教授は「ニュースの深層」で、西松事件をパチンコ献金問題(89年)に重ねていた。自民党は当時、リクルート事件でピンチだったが、社会党に疑惑が飛び火したことで、国民は<どっちもどっち>という世論操作に引っ掛かった。今回もそうならないか危惧している。

 WBC決勝は日韓対決となったが、アジアシリーズといった趣に食傷気味だ。俺の注目は、得点ラッシュでマンチェスターUに迫るリバプールだ。チャンピオンズリーグ準々決勝でチェルシーを破り、同じく大噴火中のバルセロナと壮烈な打ち合いを演じてほしい。

 前置きは長くなったが、本題に。「少年サンデー」と「少年マガジン」がともに創刊50周年を迎えた。10代を「マガジン」と過ごした俺は「サンデー」にさしたる感慨もなく、「マガジン」に絞って思い出を記すことにする。

 小学校低学年の頃なら、「黒い秘密兵器」(一峰大二)と「丸出だめ夫」(森田拳次)だ。日本中で「だめ夫」とあだ名され、いじめに遭った同世代は少なくなかったはずだ。「ハリスの旋風」(ちばてつや)の石田国松は、俺のひそかな憧れだった。国松は札付きの暴れ者だが、スポーツ万能でオチャラという可愛いガールフレンドまでいる。ラストはアメリカ留学というから羨ましい限りだ。

 怪奇派の両巨頭、水木しげると楳図かずおも「マガジン」で読むことができた。水木の「墓場の鬼太郎」と「悪魔くん」はテレビ化されても欠かさず見たし、忘れた頃に掲載される楳図作品も強烈だった。「ワタリ」も楽しみにしていたが、白土三平の熱心な読者になったのは20歳を過ぎてからである。

 66年から68年にかけて「巨人の星」(川崎のぼる)、「天才バカボン」(赤塚不二夫)、「あしたのジョー」(ちばてつや)が相次いで登場し、「マガジン」は俺にとって欠かせないアイテムになった。中学に入ると、「巨人の星」の展開をめぐって級友たちと熱い議論を闘わせるようになる。「あしたのジョー」はラディカルズのバイブルだったが、中学生の間では「巨人の星」支持者の方が多かった。

 星飛雄馬が型に殉じるインサイダーなら、矢吹ジョーは無手勝流のアウトサイダーだが、創造主はともに梶原一騎で、共通点は多かった。飛雄馬とジョーにとって義理と人情こそが最大の価値で、自らが打ちのめした敗者を気遣う優しさを持ち合わせている。女性へのストイックな態度は、「無頼シリーズ」の人斬り五郎(渡哲也)とヒロイン(松原智恵子)の関係を彷彿とさせる。

 ピーク時の「マガジン」には、「無用ノ介」(さいとうたかを)、「ワル」(影丸譲也)などキラリと光るバイプレーヤーが揃っていた。70年に「マガジン」は、衝撃的な2作品を世に問うた。環境汚染とファシズムをテーマに据えたポリティカルフィクションの「光る風」(山上たつひこ)、中世の飢饉を背景に人肉食を描いた「アシュラ」(ジョージ秋山)である。同年の「アニマル・ファーム」(石森章太郎)を合わせ、「マガジン」は少年漫画の領域を超えようとしていた。

 死地を求めて彷徨うジョーにいたたまれなさを覚え、「あしたのジョー」終了とともに「マガジン」に別れを告げた。人間の感性は10代の過ごし方で決まるという。30年以上もご無沙汰しているが、俺の土台を作ってくれた「マガジン」に、「50歳、おめでとう」と祝福の言葉を贈りたい。



コメント (3)
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