酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ニューオーリンズは日本の未来?~選択の基準は何か

2005-09-10 03:35:40 | 社会、政治

 自公が300議席に迫る勢いという。暗澹たる気分にならざるをえない。以前の項と重複する部分もあるが、自分なりに争点を整理してみたい。

 争点その①=<アメリカ的対日本的>
 ニューオーリンズの惨状に感じたのは、<官>に捨てられた人々がいかに多いかということ。<小泉―竹中改革>もその方向で、非正規雇用とリストラで大企業は立ち直ったが、庶民の生活は苦しくなる一方だ。この4年間、貧富の差は拡大し、国民年金未納者は200万人以上増えた。日本は米国化の一途を辿っている。地方のゴーストタウン化は既に進行中で、都市も遠からずニューオ-リンズのようにスラム化するだろう。
 小泉首相が議論を省いて郵政法案成立を急いだ背景にあるのは、<年金・簡保の開放>を求める米国の「年次改革要望書」である。イラク派兵といい、郵政民営化といい、米国の顔色を窺う政権に「NO」と言うしかない。

 争点その②=<宗教対理性>
 首相は<自民党をぶっ壊す>と絶叫して支持を得た。威勢はいいが、しっかり保険を掛けている。従来の基盤を失っても、補って余りある創価学会に支えられているのだ。昨日(9日)の「ニュース23」で立花隆氏は、「小泉改革に実態はない」と米誌「ニューズウイーク」の論調を例に話していた。別項(2日)の佐野眞一氏といい、立花氏といい、世の中を冷徹に見据える<巨視>が否定的に捉える<小泉改革>を、<絶対真理>の如く信仰する傾向は危険極まりない。<選挙区は自民に、比例区は公明に>が自公の戦術なら、合併して<小泉教+池田教>を作ればいい。下馬評通りの結果となれば、日本も<宗教国家>に舵を取ることになる。

 争点その③=<民主主義は生き残れるか>
 解散を読めなかった亀井氏らについて、「甘い」と笑った新聞社系コメンテーターもいるが、解散自体の問題点をマスコミは正しく伝えなかった。暴挙を快挙の如く伝え、国民が喝采を送れば追随するというマスコミの姿勢は、関東軍の暴走を許した戦前の愚を繰り返すものだ。<民>に優しくない現政権を、痛めつけられる<民>が支持する現状は、国を挙げての<マゾ化>であり、<自由から逃走>といえるだろう。
 興味深いのは、保守派が首相の手法に異を唱えている点だ。堺屋太一氏(元経企庁長官)は「月刊現代」で近衛政権と小泉政権を重ね合わせ、民主主義の崩壊に警鐘を鳴らしている。堺屋氏は同時に、<官→民>を唱える小泉政権の本質は<官僚丸投げ>と批判していた。梅原猛氏(中曽根政権ブレーン)、後藤田正晴氏(元官房長官)も民主主義擁護の立場で、首相の手法を否定している。

 争点その④=<戦後60年の総括はどこへ?>
 首相が<郵政一本勝負>を主張しようが、マスコミは真の争点を設定すべきだ。<戦後60年の節目に、日本がいかに過去を総括し、どのような未来を築くべきか>……。これこそ重要な争点になるはずだったが、憲法、アジア外交、イラク派兵、靖国参拝など派生する問題は一切合財、幼稚な喧騒に掻き消されてしまった。メディアの状況は絶望的だ。

 俺の考えに一番近いのは社民党だが、リアリスティックに判断すると、民主党に投票せざるをえない。共産党支持者の動向も気になる。比例区で共産党に投じるのは当然として、都市圏で支持票の3分の1が民主党に流れたら、自民党は確実に減る。共産党の頑迷さは変わるはずもないが、支持者の柔軟な対応に期待したい。

 評論家やマスコミの<首相との距離>を測るのも、無聊ゆえの楽しみだった。選挙前には野党をネチネチ攻撃し、与党を利す報道を繰り返していた「週刊文春」と「週刊新潮」だが、今回は反小泉で歩調を合わせている。最新号の「週刊文春」など、<小泉=金正日=創価学会>という図式を前面に出して批判していた。桜井よしこ氏、西尾幹二氏といった右派も、拉致問題や靖国参拝を利用するだけの首相を強烈に批判している。「米国人」竹村健一氏は、「自国」の利益が一番とばかり、小泉支持を繰り返しているが……。

 意外な<小泉教徒>はテリー伊藤氏だ。首相と岡田代表を対比し、いずれが女性にとって魅力的かを論じて、首相を褒めそやしていた。ネット上でもいろいろ書かれているほどだし、事情通のテリー氏が小泉氏の素顔(女性に対する)を知らぬはずもない。よくも嘘八百が言えたものだ。失望したのが古舘キャスターだ。<小泉教>に洗脳され、中身は抜きに<郵政民営化絶対論>に憑かれている。各党代表者の討論で上述の「年次改革要望書」が俎上に載るや、興奮状態に陥って居丈高に発言を遮った。郵政民営化の本質を突かれたと感じ、焦ったのかもしれないい。正体見たりとはこのことだ。何せかつての<猪木教徒>だ。<小泉教>に転ぶのも当然の帰結かもしれない。

 とまあ、これまで抑えていた分、書き出したら止まらなくなった。<政治ショー>が最悪の結末で終わったら、本腰を入れて仕事でも探そうか。NFLにどっぷり浸かるのも悪くはないが……。

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大笑い三十余年のバカ騒ぎ~キース・ムーンの散り方

2005-09-08 00:32:55 | 音楽

 1956年2月、無頼派として名を馳せた石川力夫が、府中刑務所の屋上から飛び降りた。仮出所を間近に控えていたが、石川はいわば「賞金首」で、娑婆に出ても遠からず死を迎えることは明白だった。石川の31年の生涯を描いたのが「仁義の墓場」(75年、深作欣二監督)で、ヤクザ映画の最高傑作というだけでなく、邦画史に輝く金字塔になった。今じゃ物分かりのいい渡哲也だが、真骨頂はアウトロー役だ。遺骨を齧るシーンなど、鬼気迫る演技で石川像に迫っていた。

 <大笑い三十余年のバカ騒ぎ>……。これは石川が独房に書き残した言葉だ。醒めた俯瞰の目を感じさせる辞世の句に、ある男の顔が浮かぶ。昨日(7日)、28回目の命日を迎えたキース・ムーンだ。唯一無比の天才ドラマーとしてフーを支えたキースは、78年9月7日、薬物過剰摂取で帰らぬ人になる。享年32歳だった。

 ドラマーに求められるものは天性のみだ。ギターやピアノは、才能が発露するまである程度の時間が必要だが、ドラムは即座に天才を生む。体にビートが刻まれていれば、初めてセットに座った日にトップドラマーと認められることも可能なのだ。律することを求めないドラムの特性が、キースの天衣無縫を助長したといえるだろう。

 ロックバンドには内紛が付きものだ。ブライアン・ジョーンズは<ミック=キース連合>によってストーンズからいびり出され、ジョンとポールの確執がビートルズを潰した。フーの場合、<いかに目立つか競争>が繰り広げられ、ギターのピート、ボーカルのロジャーに、キースまで加わった。ロジャーがマイクスタンドを振り回せば、ピートはギターをぶっ壊す。負けじとキースがドラムセットを蹴っ飛ばすから、ステージは大混乱に陥る。定評あるパフォーマンスの原点は、肥大したメンバーのエゴだった。

 82年、フーは解散ツアーで世界を回る。驚異的な動員数を記録したが、前座として同行したのがクラッシュだった。ジョー・ストラマーはフーについて、「これだけ険悪になるなら、バンドを続ける意味はない」と発言していた。ところが、である。ジョーは程なくミック・ジョーンズと決別し、クラッシュは解散する。一方のフーだが、いがみ合っていたピートとロジャーは今もツアーを続けている。この二人は永遠のケンカ友達なのか、還暦になって恩讐を超えたのか、傍目には理解不能の関係だ。

 昔の映像を見る限り、キースの存在は圧倒的だ。奔放かつ強靭なモンスターで、悪魔に憑かれて動き回る四肢を、意志の力で体に繋ぎとめている。フーの面々はジョン以外のビートルズと昵懇で、キースが斃れたのは奇しくもポール主催のパーティーだった。ドキュメンタリーの「キッズ・アー・オーライト」では、リンゴとキースの親密さを示す場面が描かれている。リンゴの息子ザックが、再結成したフーとオアシスを「掛け持ち」しているのも、父の代からの縁ゆえだろう。

 同じ<三十余年のバカ騒ぎ>でも、石川に比べ、キースの方が陽性で、ジメジメした感じはしない。高級ホテルを滅茶苦茶にしたり、車ごとプールに沈んだりと、キースの奇行は語り草になっている。茶目っ気たっぷりで誰からも愛されたキースは、祭りの中で一生を終えた。腹の底から<大笑い>して、この世にオサラバしたに違いない。

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NFL開幕直前~あまりにアメリカ的な世界

2005-09-06 01:20:16 | スポーツ

 9月になるとNFLが開幕する。理性的に肯定し難い<アメリカ的>にどっぷり浸かってしまうのだ。今年は例年以上に複雑な気分だ。ニューオーリンズの惨状に、アメリカの貧富の差が浮き彫りになった。NFLという<極上のエンターテインメント>もディズニーランド同様、資本主義独裁国が用意した<目くらまし>に思えてくる。<竹中―小泉路線>が目指すのは<階級社会アメリカ>だが、国民から圧倒的支持を受けるNFLには、皮肉なことに<平等の原則>が貫かれている。結果としてチーム力は接近し、息を呑むアップセットが演じられるのだ。

 軍事アナリストのような戦力分析は素人の手に負えないが、ブックメーカーの数字は興味深い。6日現在のオッズ(スーパーボウル制覇)は、①ペイトリオッツ、コルツ(同オッズ)③イーグルス④ファルコンズ、ヴァイキングス(同オッズ)⑥レイヴンズ⑦スティーラーズ、パンサーズ⑨チーフス⑩ジャガーズの順。ジェッツ、シーホークス、カウボーイズが同オッズで続いている。ちなみに最低人気は49ers、その次がドルフィンズと、名門チームの評価は芳しくない。俺の各地区展望、といきたいところだが、長年見ていると感情に左右されてしまう。<願望5・直感3・分析2>を混ぜ合わせた予想を地区ごとに示してみる。

 <AFC東=ジェッツ>…ペイトリオッツの高評価は当然だが、攻守のコーディネーターが抜けたし、モチベーションの維持も難しいと思う。ビルズのQBロスマンが発展途上とすると、消去法でジェッツになる。QBペニントンの故障克服が条件になるのは言うまでもない。
 <AFC北=ベンガルズ>…下馬評ではスティーラーズ、レイヴンズの一騎打ち。だが、スティーラーズは昨季後半から攻撃が手詰まりになっていたし、QBロスリスバーガーが丸裸にされていても不思議はない。定評あるレイヴンズの守備も、目減り感が否めない。となると、QBパーマーの成長込みで伏兵ベンガルズに期待したい。
 <AFC南=コルツ>…ジャガーズの上昇が伝えられるが、やはりコルツだ。マニングを軸にしたトリプレッツにとって、スーパー制覇の最後のチャンス。
 <AFC西~チャージャーズ>…モス加入のレイダーズに注目だが、実力的には他の3チームより落ちるはず。NFL一の攻撃力を誇るチーフスも楽しいチームだが、昨季のメンバーを確保したチャージャーズを応援する。

 <NFC東=イーグルス>…オーエンスが和を乱しているようだが、チームリーダーのQBマグナブが故障しない限り、下馬評通りイーグルスだろう。<アメリカの読売>というべきカウボーイズに、ブレッドソーまで加わった。パーセルズ軍団の動向に注目だ。
 <NFC北=ライオンズ>…モス放出で和を確立したヴァイキングスが有望視されているが、ライオンズの上昇に期待する。プレシーズンとはいえ、QBハリントンは好調のようだし、控えがガルシアというのも心強い。
 <NFC南=パンサーズ>…ヴィック率いるファルコンズが1番人気だが、総合力でパンサーズ。昨季はケガ人続出で出遅れたが、03~04季の再現(スーパーボウル進出)を期待する。
 <NFC西=カージナルス>…シーホークスとラムズを差し置き、あえてカージナルスを推す。恐らく駄目だろうが、QBワーナーの復活に夢を託したい。

 俺にとって理想のスーパーボウルの組み合わせは、コルツVSパンサーズ。ニューオーリンズの被災者の気持ちを考えると、セインツの奮起にも期待せざるをえない。今季もスカパーとNHK衛星でたっぷり楽しめるが、解説者の一押しはGAORAの村田斉潔氏(龍谷大ヘッドコーチ)だ。明晰な切り口はさすが京大OBといったところ。開幕戦は日本時間9日のペイトリオッツVSレイダーズ。モスが爆発すれば、番狂わせの目もある。

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シアトル~<敗者の美学>を育んだ街

2005-09-04 00:27:06 | 音楽

 WOWOWで「hype!」(96年)を見た。シアトルのグランジシーンを追ったドキュメンタリーである。80年代のシアトルはゴミと異臭の街で、凶悪犯罪が頻発する“no way out”(行き止まり)に、バラエティーに富む1000以上のバンドがひしめいていた。

 本作には幾つものインディーバンドが登場する。「俺はドブさらいの負け犬だ」とアジるクラッカーバッシュはパール・ジャム風、モノメンはガレージロックの典型だ。サム・ヴェルヴェット・サイドウォークやブラッド・サーカスは初期ニルヴァーナを彷彿とさせ、ファストバックスは少年ナイフにそっくりだ。本家はどっちなんて議論は無意味で、互いに刺激し合っているうちに、スタイルが確立されたのだろう。

 グランジの仕掛け人はサブポップ・レーベルだった。タイトルの「hype!」(過剰広告)通り、サブポップはマッドハニーを前面に、英紙「メロディーメーカー」を釣り上げた。60年代のロンドンや70年代のニューヨークより、今のシアトルの方が凄い……。一部のファンが騒ぎ始め、サウンドガーデンやアリス・イン・チェインズがメジャーデビューを果たす。「一丁上がり」の雰囲気が漂った時、ニルヴァーナが現れた。本作には「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の初演の模様が収められている。

 重く、暗く、醒めて、品がなく、捻れ、反抗的で、ヒリヒリ痛い……。グランジは独特のファッションとともに世界を席巻した。今年一番売れているコールドプレイの3rdにしても、ビルボ-ドでは「▲×2」(200万枚)だが、ニルヴァーナとパール・ジャムの2ndは、それぞれ米国だけで1000万枚を売り上げた。二番煎じ、三番煎じを求めたメジャーレーベルは、シアトル中でバンドを買い漁る。結果は言わずもがなだった。

 シアトルという<番外地>で育まれたのは、世俗的成功への忌避感、<敗者の美学>と呼ぶべきメンタリティーだった。カート・コバーン(ニルヴァーナ)もエディ・ヴェダー(パール・ジャム)も、「成功してごめんなさい」という倒立した罪の意識に苛まれていた。エディは本作で<「hype!」によって得た成功は、真実を壊す。大切な音楽や人生を破壊し、ただの日用品にしてしまった>とコメントしている。カートは空騒ぎに自ら終止符を打ったが、エティはその遺志を継いだ。チケットマスターに異を唱え、ブードレッグを「表」としてリリースするなど、身を削る戦いを続けている。

 グランジ同様、<ダークサイド・オブ・アメリカ>を照射したのがハリケーン「カトリーナ」だ。富める者のみに便宜を図る資本主義独裁国……。ニューオーリンズはそんなアメリカの本質を曝け出している。選挙人に登録していないスラムの黒人など、ブッシュ大統領が気に懸ける存在ではない。他の先進国なら社会民主党や共産党に投票して貧富の差を埋めることも可能だが、アメリカの2大政党制は体のいい暴力装置でしかない。この悲惨な現実こそ、骨太で過激な音楽を生み続ける土壌なのだが……。

 話は変わるが、同じくWOWOWでフジロックのダイジェストを見た。相変わらずニュー・オーダーは下手糞だったが、ラストの「ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート」にジーンときた。イアン・カーティスが自殺して25年。引き裂かれずにバンドを続ける仲間のことを、イアンはあの世から、どんな思いで見守っているのだろう。

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小泉純一郎の真実~「血脈の王朝」を読む

2005-09-02 01:12:42 | 読書

 時代を俯瞰で捉える<巨視>は常に存在する。現在その高みに到達しているのは佐野眞一氏ではなかろうか。別項(1月13日)にも記したが、遠近法と構想力で他の追随を許さない。「巨怪伝」、「カリスマ」、「旅する巨人」の3作は、日本の近現代を理解するために必読の書だと思う。

 今回は「小泉純一郎~血脈の王朝」(04年11月)を紹介する。文藝春秋への寄稿をまとめたものだ。飯島勲秘書官、田中真紀子氏、姉の信子さんを切り口に、小泉像に迫っている。<飯島―純一郎―信子>……、このトリオを何かに喩えるなら「妖怪人間ベム」だ。父親的なベムが飯島氏、母親的なベラが信子さん、少年ベロが小泉首相である。

 飯島氏の項は衝撃的だった。政界の<妖怪>といえば、野中広務氏が思い浮かぶ。野中氏の原点たる<差別の痛み>は、共に闘う同志の存在で<勇気>に転じうるものだった。一方の飯島氏は、独りでどん底から這い上がるしかなかった。知的障害者の兄妹を抱え、絶望的な貧困に喘いでいたのだ。秘書に応募した際、飯島氏は自らの生い立ちをすべて伝えたが、小泉氏は事もなげに採用した。育った環境も容貌も正反対の若き二人は、互いの中に自分と同じものを見たのかもしれない。

 飯島氏を<小泉劇場の仕掛け人>とするなら、信子さんは首相にとって<精神安定剤>だという。信子さんは一種のタブーで、その像が伝わることはない。首相への影響力について意見が分かれるが、本書を読む限り、信子さんは優れた分析力と直感力を有し、完璧な差配で弟をカバーしているようだ。潔癖さには定評がある。首相自身は下ネタ好きらしいが、信子さんの前では御法度という。山崎拓氏など生理的に合うはずもなく、信子さんには避けられているようだ。結論として、<チーム小泉>は存在しない。<首相―信子さん>、<首相―飯島氏>、<首相―山崎氏>と、幾つもの柱が<小泉楼閣>を支えている。

 小泉家の実相にも迫っている。小泉首相のケンカ好き、女好きも、DNAにインプットされ、女系家族で育まれた資質であるようだ。信子さん、首相、飯島氏の強烈な個性を混ぜ合わせた坩堝で、傲慢、冷酷、怨嗟、孤独、人間嫌い、蹉跌、業といった負の成分が煮えたぎっていた。そこに真紀子氏の臭味の強い雫が垂らされ、爆発的なケミストリー(化学反応)が発生したのだ。小泉純一郎とは、政治より、文学のテーマになりうる素材かもしれない。本書で論じられた4人の生き様と個性をカリカチュア化すれば、石川淳の「狂風記」に匹敵する作品になりそうだ。

 佐野氏はテレビの取材に、「小泉政権の4年間を採点すると、相当ひどい数字になる」と答えていた。本書でも以下のように記している。

 <議論を尽くすことを無視し、世俗受けするパフォーマンス政治のみにこだわる小泉の「わかりやすい」言動は、衆議の上に煩雑な手続きを要する民主主義のルールと、憲法で保障された表現の自由を生命線とする「戦後」体制を清算し、明らかに戦前への回帰を指向する大衆層の掘り起こしに成功している>(163㌻)

 04年4月時の論考であることを考えると、氏の慧眼が窺える。

 先日(31日)、TBSで行われた党首討論を見た。小泉首相は劣勢に陥り、明らかに精彩を欠いていた。呟きが多く、お疲れモードで、憑きものが落ちた感が否めなかった。これも演出という穿った見方もあるが、果たして……。
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