酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ルメートル著「監禁面接」~獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメント

2019-09-02 22:20:59 | 読書
 ボクシング史上最高傑作と謳われる〝奔放な天才〟ワシル・ロマチェンコが〝オーソドックスな秀才〟ルーク・キャンベルを大差の判定で破り、ライト級3団体統一王者になった。研究の深さと謙虚さで知られるロマチェンコは、秀才の要素も兼ね備えている。

 ボクシングで時折起こるアップセットは、現実の社会では皆無だ。香港市民の身を賭した闘いに、過激な方針を諫める声も上がっているが、それは日本人らしい腑抜けた理屈だ。いずれが正義で、いずれが悪か……。中国と香港はイスラエルとパレスチナが置かれている構図と変わらない。立ち位置を明確にして世界を眺めないと、結果として〝不正義の強者〟に与することになる。
 
 ページを繰りながら血が滾る小説を読了した。ピエール・ルメートル著「監禁面接」(文藝春秋)で、原題は「黒い管理職」だ。当ブログでは「その女アレックス」、「天国でまた会おう」とルメートルの作品を紹介してきたが、主人公は精緻かつドラスティックなストーリーに翻弄され、心身の痛みと格闘しながら喘いでいた。

 本作の主人公アラン・デランブルは57歳で、人事部長を務めていた服飾関連企業が買収され、リストラの憂き目に遭う。4年間、ハローワークに通いながら低賃金のアルバイトで収入を得ていたが、主任のトルコ人によるパワハラは凄まじい。社会復帰が叶わぬ状況に憤懣を爆発させ、仕事先で暴力沙汰を起こしたアランは、無収入になっただけでなく、賠償金を要求されるのは確実だ。

 アランは共働きの妻ニコルと安定した家庭生活を送り、長女マチルドは教師、次女リュシーは弁護士として活躍している。だが、築いてきたものは全て砂上の楼閣であったかのように崩壊寸前で、家庭でもトラブルメーカーになる。「希望とは人間が罹る最後の病」とのアンドレ・マルローの至言通り、アランはどん底から大勝負に打って出た。

 アランにとって〝希望〟とは採用試験だった。コンサルティング会社に応募したアランは面接に進み、社長から謎めいた条件を聞かされる。同社が担当する某社の幹部たちを尋問し、リストラを決定するという設定だ。採用とリストラが偽装テロ事件の下、同時進行する異様な状況だ。軍事のプロであるフォンタナが部下と俳優を使い、集まった全員を人質にしたロールプレイングゲームが展開する。

 映画化(恐らく)された暁にはご覧になる方も多いはずなので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。本作は語り手を変えることで厚みを増している。第1部「そのまえ」、第3部「そのあと」はアラン、第2部「そのとき」はフォンタナが務めており、絡まった主観の糸がラストで収斂する。

 アナログ系の熱い男に思えたアランの変容に、「ダイ・ハード」でブルース・ウィルスが演じたマクレーン刑事が重なった。緻密な計算と周到な準備に裏打ちされた暴走の影に、心強い味方がいた。いずれも理不尽な評価に甘んじており、最たる者はバイト先の同僚シャルルだ。車中生活者のジャンキーだが、ネットを駆使して重要な情報を集めてくれた。自己犠牲を厭わぬ高邁な精神の持ち主である。

 獄中で本を著したアランは、メディアで「弱者の代表」と持ち上げられるようになる。本作は2009年発表だったが、昨年5月に始まったイエローベスト運動はフランス中で吹き荒れた。政府の税制政策への抗議、格差拡大、失業への怨嗟が背景にある。アランの言葉にも高額のサラリーを得ながらリストラに走る経営陣への怒りが込められていた。だが、読了された方は額面通りに受け取れないだろう。

 重層的に組み立てられた本作にはアイロニーが込められている。ニコルとの安穏な生活を取り戻し、娘たちの信頼を回復することがアランの目的だった。人生で最大の価値といえる愛のために突き進んだ結末は……。獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメントだった。

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