酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「嫉妬/事件」~共振する熟年女性の精神と肉体

2023-02-12 21:28:30 | 読書
 中田宏樹八段が亡くなった。享年58。毎年高勝率を誇り、〝デビル中田〟と親しまれていた。剛直、クールさ、はにかみを併せ持った実力派の死を悼みたい。王将戦第4局は羽生善治九段が藤井聡太王将を破り、2勝2敗のタイになる。藤井の封じ手が結果的に敗着になったという。達観したような柔らかさに加え、最近の羽生には以前の燦めきが戻ってきた。タイトル通算100期が現実味を増してきた。

 暇に飽かしてYoutubeを見ることが増えた。猫たちと人との触れ合い、将棋の解説、競馬予想と調教、海外アーティストのライブなどをチェックしているが、最近気になっている〝ジャンル〟は、普通の女性が自身の日常をアップしている映像だ。共通点は<孤独>をウリにしていること。俺が頻繁に眺めているのは<孤独な55歳女>と題されたチャンネルで、顔はもちろん、来し方も明かしている。

 他の女性たち同様、〝年齢は本当?〟というツッコミが入っているが、当人は免許証を見せていた。夫を事故で亡くした後、専門学校で学び、美容系のインストラクターをしている。チャーミングなのも職業柄で、二つのジムに通い、食事にも気を使っている。何てことのない日常だが、ゆったりした語り口に惹かれ、チャンネル登録している人も多い。

 和む赤裸々さと対照的に、女性の鋭い赤裸々さに言葉を失う小説を読んだ。昨年度のノーベル賞受賞者、フランス人作家のアニー・エルノー著「嫉妬/事件」(ハヤカワepi文庫)である。「事件」の映画化作品「あのこと」を見逃したので、原作を読むことにした。エルノーの小説は<オートフィクション>――作者と語り手が同一人物であることを前提にフィクションを構築する――にカテゴライズされている。

 「黒の舟歌」風にいえば、男と女の間にある暗くて深い河の岸に佇む俺にとって、「嫉妬/事件」はハードルの高い作品だった。まずは「嫉妬」の感想から。主人公の私は結婚18年を経て、付き合った年下のWと6年で別れた。作者の年齢と発表時期を考えると、私は恐らく50代半ばといったところか。桐野夏生も高齢女性の性を描いているが、エルノーの生々しさと比べるとおとなしいものだ。

 冒頭でWのペニスを掴んでいる記憶が甦る。Wのペニスは今、47歳の新しい恋人に占拠されている。占拠すなわち〝オキュペーション〟が原作のタイトルなのだ。精神も嫉妬に占拠された私は、常軌を逸した狂おしい行動に出る。Wが語るヒントを元に女性像を創り上げ、街を彷徨い、大学関係者に片っ端に電話する。精神と肉体が交錯し、生々しさと冷徹さを併せ持った表現に圧倒された。

 「事件」の主人公であるわたしは熟年の大学教員で、冒頭でエイズ検査を受けるシーンが出てくる。そして1960年代、彼女が大学生時代に経験した<事件=中絶>の一部始終が日記風に記される。アメリカでは中絶問題が世論を二分しているが、当時のフランスではカトリック教会の絶対的な支配の下、中絶はおろか避妊でさえ禁じられていた。だが、男性のエリート層は望まぬ妊娠に苦しむ女性に寄り添うことはなかった。わたしも男性優位社会で苦しむことになる。

 わたしは母にも妊娠を告げることが出来ず、堕胎に手を貸してくれる人を探す。ようやく見つけた女性を〝天使製造者〟と呼び、ようやく目的を果たした。学生寮のトイレで胎児を産み落とした時、<生と死を生んだ。私は自分の母親を殺した>と振り返る。生々しい描写に目を背けた読者も多いと思う。

 フランス人は日本文化にオマージュを抱いているといわれる。両作にもにほ日本映画の感想が記されていた。「嫉妬」に紹介されたのは「夜の女たち」かもしれない。「事件」ではスクリーンから痛みが零れてくる「切腹」だ。エルノーの作品は日本であまり紹介されていないが、機会があれば購入することにする。
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