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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ハーモニー」~死の淵で志向された調和

2014-07-12 23:54:56 | 読書
 オランダのW杯制覇によって、サッカーとの絆を断つ……。40年来の宿願は叶わず、少なくともあと4年は、サッカーと付き合うことになった。オランダの若きDF陣は予想以上に健闘したし、ケガで欠場したMFストロートマンはロシア大会でチームを牽引するだろう。ロッペン、ファンベルシーに続くFWの登場を心待ちにしている。

 絆といえば、この年(57歳)になって87歳の母との間に、肉親の情以外の縁(よすが)が生じた。それは読書で、母はかつての習慣を取り戻し、5日に1冊のペースで本を読んでいる。ゴールデンウイークに帰省した際、他の荷物と一緒に文庫本を数冊送った。母が絶賛したのは「聖の青春」(大崎善生)で、唯一ダメ出しされたのが「人質の朗読会」(小川洋子)だった。母の好みは直木賞タイプといえるだろう。

 伊藤計劃の第2作「ハーモニー」(08年、ハヤカワ文庫)を読了した。発表翌年、伊藤が召されたこともあり(享年34歳)、死の薫りが濃密な作品だ。「虐殺器官」では潜在意識と言葉がテーマになっていたが、本作も延長線上にある。3人の少女の出会いと13年後の再会がカットバックし、個人的な感情と人類の運命が交錯する壮大なプロットは、感情や情念で湿り気を帯びている。

 主人公のトァンは高校時代、聡明でカリスマ性のある美少女ミャハに惹かれ、同じくミャハに心酔したキアンとトリオを形成する。舞台は今世紀末で、社会において健康と安全が最重視されている。後退した政府に代わり、小規模の<生府>が行政の単位だ。構成員は<WatchMe>と呼ばれる監視システムで一元管理されている。

 「虐殺器官」と比べ〝教養による補強〟は控えめになっているが、志賀直哉や坂口安吾に言及するなど、ミャハは<大災禍>以前の文化に造詣が深い。ミャハは冒頭で、世界の一部を除いて廃れた売春、買春についてトァンとキアンに語る。唐突に思えたが、その時のやりとりが後半になって意味を持ってくる。

 ミャハにとって<WatchMe>は、<世界に自分を人質として晒すシステム>で、言い換えれば<慈母によるファシズム>だ。昼休みの弁当タイムで、ミャハはフーコーの言葉を借りて以下のように話す。

 「権力が掌握しているのは、いまや生きることそのもの。そして生きることが引き起こすその展開全部。死っていうのはその権力の限界で、そんな権力から逃れることができる瞬間」……。

 ミャハは自殺し、トァンとキアンは生き残る。そして<WatchMe>を提唱したトァンの父も失踪した。13年後、反社会的傾向はそのまま、トァンはWHO螺旋監察官として紛争地域を回っている。〝不健康な嗜好品=酒、たばこ〟の入手も目的のひとつだ。

 伊藤の死因が肺がんと知り、酒とたばこを好むトァンは作者の反映と想像してしまった。どうやら勘違いで、伊藤は死の10年近く前から闘病生活を送っている。治療の過程で被曝し、肺がんに至った可能性もあるのではないか。本作における<生命主義>は、核戦争で世界が放射能に汚染された<大災禍>の反省から生まれた。伊藤の病歴とどこかで繋がっていても不思議はない。

 ミャハはチェチェンの意識を持たない民族出身だ。8歳の頃、ロシア軍に囚われておぞましい体験をし、そのさなかに、意識が目覚めた。15歳で命を絶ったミャハの生存を、トァンは確信するようになる。きっかけは<WatchMe>に紛れ込んだ集団自殺プログラムで、同時刻に数千人が自殺を図る。13年ぶりに東京で再会したキアンもその一人だった。事態はエスカレートし、<ある期日までに他者を殺さないと、あなた自身が死ぬことになる>という恐るべき内容の宣言が発せられ、世界は<大災禍>以前の混沌に陥った。

 ミャハを追うトァンの脳裏に、13年前の言葉がフラッシュバックする。ミャハは<生命主義>を憎み、死への憧れを隠さない一方で、<意識して何事かを信頼し維持することこそ善>とトァンに説いていた。アンビバレンツな志向は収斂し、ミャハはある結論に到達していた。<WatchMe>が脳まで管理し、8歳以前の彼女のように、誰もが意志や意識を持たずに済むのが理想の社会だと……。

 細部まで計算され尽くした調和で、人々は与えられた意志と意識を我が物にように感じる。現在の日本も似たようなものかもしれない。メディアによって拡散した政府の意図を、人々は自然に受け入れている。意志や意識を人間に残された最後の砦と考えることも出来るが、ミャハは15歳の時に言い放っていた。「意志なんて、単に脊椎動物が実装しやすい形質だったから、いまだに脳みそに居座っているだけ」と……。

 <伊藤があと10年生きていたら、SFのジャンルを超え、日本最高の作家として記憶されたのではないか>と、俺は「虐殺器官」を紹介した稿で記した。その思いは、「ハーモニー」を読み終えて一層強くなる。長編2作品が来年、アニメとして劇場公開され、「虐殺器官」がハリウッドで実写化される可能性もあるという。〝伊藤ワールド〟が世界中に浸潤することを願っている。
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