藤井聡太2冠を表紙にした「Number」が爆発的に売れているという。俺は<将棋は精神の格闘技。KOで決着するまで闘うボクシング>と記してきたから、同誌が将棋を特集したのは遅きに失した感がする。暦は秋だが、竜王戦挑戦者決定戦第3局は19日、叡王戦第9局は21日と熱い夏は終わらない。
生物多様性をテーマに記した前稿を、<ヒトは、とりわけ日本では、進化せず同じ過ちを繰り返す種なのだろう>と締めくくった。偉そうに書いたが、64歳間近の俺は今も煩悩の河で溺れている。欠陥だらけだが、何が一番欠けているかといえば一本気と頑固さだ。そのことを痛いほど思い知らされた映画を見た。「国際市場で逢いましょう」(2014年、ユン・ジェギュン監督)で、数カ月前にシネフィルWOWOWで録画しておいた。
韓国で大ヒット(1400万人動員)した本作は、〝号泣必至のヒューマンドラマ〟という謳い文句で公開されたが、ひねくれ者の俺はパスした。劇場で見なかったことを反省している。細部にまで趣向が凝らされた心温まる社会派エンターテインメントだった。
主人公のユン・ドクス(ファン・ジョンミン)は幼い頃、戦火のさなかに身を置いていた。朝鮮戦争である。侵攻する中国軍を前に、米軍は咸興市から撤退するが、将官は嘆願を聞き入れ、軍艦から武器を下ろして市民を乗せた。ヒューマニズム溢れる決断が、ドクスが西ドイツとベトナムで直面した極限状況にオーバーラップしていく。
軍艦によじ登っていたドクスの背から妹マクスンが落ち、救いにいった父と離れ離れになる。妹を守れなかったことへの贖罪の意識、父の最後の言葉「おまえが家長だ。妹(伯母)が経営するコッフンの店(釜山の国際市場)で待っていてくれ」が人生を決めた。ドクスは身を粉に、時に自分を犠牲にして、一本気かつ頑固に家族を支える。「会いたいよ」「辛かったよ」……。折に触れて父に語りかけるシーンに心が潤んだ。
史実とフィクションが混淆したメタフィクション(オートフィクション)の手法を用いた小説は、島田雅彦、目取真俊、奧泉光など日本でも数多い。熟練の使い手は辻原登で、大逆事件に連座した大石誠之助を主人公に据えた「許されざる者」は必読の作品だ。映画なら「フォレスト・ガンプ」が真っ先に思い浮かぶが、その韓国版と評されるのが「国際市場で逢いましょう」である。
閑話休題……。激動の韓国現代史を背景に描かれた本作を彩ったのは、強い絆で結ばれたダルグ(オ・ダルス)と、西ドイツで出会ったヨンジャ(キム・ユンジン)だ。ドクス役のファンは1970年生まれ、オは68年生まれ、キムは73年生まれだから、3人は20代前半から70代後半までを演じ切ったことになる。名優たちの演技力のたまものといえる。
ドクスとダルクは青年期、西ドイツの鉱山に出稼ぎにいき、地底で真っ黒になる。ベトナム戦争にも揃って従軍し、前線に立つ。ドクスは生活のため、裕福なダルクはボヘミアン風と違いはあっても、2人は常に一緒にいる。公園で国歌が流れ国旗が掲揚されるなど、愛国教育の徹底も窺えた。
現代財閥の創立者、著名なファッションデザイナーが登場するなど、歴史の断片が織り込まれていたが、ベトナムのシーンが印象的だった。ドクスは海兵隊員だった歌手ナムジンの的確な判断に敬意を表し、帰国後にファンになる。ダルクとベトナム人女性との結婚も史実に基づいているようだ。
西ドイツやベトナムでの経験に基づき、ドクスにはコスモポリタンとしての意識、戦争への忌避感が根付いていた。老いても外国出身者を差別する若者を許さず突っかかっていく。地上げに屈せずコッフンの店を売らないのも、父が帰って来る日を待ち続けているからだ。
ハイライトは韓国と北朝鮮が協力し、朝鮮戦争で離散した家族に再会の場を設けるイベントだ。旧作ゆえネタバレはご容赦願いたいが、妹マクスンが見つかった。港で泣いていたところを保護され、里子としてアメリカに渡ったのだ。兄妹の再会の場面に、映画館では多くの人がハンカチで涙を拭っていたという。
シリアスな場面を和らげていたのは、ドクスとダルクのユーモア溢れるやりとりだ。冒頭とエンドマーク直前で飛ぶ蝶は父のメタファーなのだろう。ラストでドクスは柔らかくなる。心から父とわかり合えたと確信出来たのだろう。映画では描かれていなかったが、軍事独裁政権と民主化運動の時代を、ドクスとダルクはどう生きたのだろう。そんなことが少し気になった。
生物多様性をテーマに記した前稿を、<ヒトは、とりわけ日本では、進化せず同じ過ちを繰り返す種なのだろう>と締めくくった。偉そうに書いたが、64歳間近の俺は今も煩悩の河で溺れている。欠陥だらけだが、何が一番欠けているかといえば一本気と頑固さだ。そのことを痛いほど思い知らされた映画を見た。「国際市場で逢いましょう」(2014年、ユン・ジェギュン監督)で、数カ月前にシネフィルWOWOWで録画しておいた。
韓国で大ヒット(1400万人動員)した本作は、〝号泣必至のヒューマンドラマ〟という謳い文句で公開されたが、ひねくれ者の俺はパスした。劇場で見なかったことを反省している。細部にまで趣向が凝らされた心温まる社会派エンターテインメントだった。
主人公のユン・ドクス(ファン・ジョンミン)は幼い頃、戦火のさなかに身を置いていた。朝鮮戦争である。侵攻する中国軍を前に、米軍は咸興市から撤退するが、将官は嘆願を聞き入れ、軍艦から武器を下ろして市民を乗せた。ヒューマニズム溢れる決断が、ドクスが西ドイツとベトナムで直面した極限状況にオーバーラップしていく。
軍艦によじ登っていたドクスの背から妹マクスンが落ち、救いにいった父と離れ離れになる。妹を守れなかったことへの贖罪の意識、父の最後の言葉「おまえが家長だ。妹(伯母)が経営するコッフンの店(釜山の国際市場)で待っていてくれ」が人生を決めた。ドクスは身を粉に、時に自分を犠牲にして、一本気かつ頑固に家族を支える。「会いたいよ」「辛かったよ」……。折に触れて父に語りかけるシーンに心が潤んだ。
史実とフィクションが混淆したメタフィクション(オートフィクション)の手法を用いた小説は、島田雅彦、目取真俊、奧泉光など日本でも数多い。熟練の使い手は辻原登で、大逆事件に連座した大石誠之助を主人公に据えた「許されざる者」は必読の作品だ。映画なら「フォレスト・ガンプ」が真っ先に思い浮かぶが、その韓国版と評されるのが「国際市場で逢いましょう」である。
閑話休題……。激動の韓国現代史を背景に描かれた本作を彩ったのは、強い絆で結ばれたダルグ(オ・ダルス)と、西ドイツで出会ったヨンジャ(キム・ユンジン)だ。ドクス役のファンは1970年生まれ、オは68年生まれ、キムは73年生まれだから、3人は20代前半から70代後半までを演じ切ったことになる。名優たちの演技力のたまものといえる。
ドクスとダルクは青年期、西ドイツの鉱山に出稼ぎにいき、地底で真っ黒になる。ベトナム戦争にも揃って従軍し、前線に立つ。ドクスは生活のため、裕福なダルクはボヘミアン風と違いはあっても、2人は常に一緒にいる。公園で国歌が流れ国旗が掲揚されるなど、愛国教育の徹底も窺えた。
現代財閥の創立者、著名なファッションデザイナーが登場するなど、歴史の断片が織り込まれていたが、ベトナムのシーンが印象的だった。ドクスは海兵隊員だった歌手ナムジンの的確な判断に敬意を表し、帰国後にファンになる。ダルクとベトナム人女性との結婚も史実に基づいているようだ。
西ドイツやベトナムでの経験に基づき、ドクスにはコスモポリタンとしての意識、戦争への忌避感が根付いていた。老いても外国出身者を差別する若者を許さず突っかかっていく。地上げに屈せずコッフンの店を売らないのも、父が帰って来る日を待ち続けているからだ。
ハイライトは韓国と北朝鮮が協力し、朝鮮戦争で離散した家族に再会の場を設けるイベントだ。旧作ゆえネタバレはご容赦願いたいが、妹マクスンが見つかった。港で泣いていたところを保護され、里子としてアメリカに渡ったのだ。兄妹の再会の場面に、映画館では多くの人がハンカチで涙を拭っていたという。
シリアスな場面を和らげていたのは、ドクスとダルクのユーモア溢れるやりとりだ。冒頭とエンドマーク直前で飛ぶ蝶は父のメタファーなのだろう。ラストでドクスは柔らかくなる。心から父とわかり合えたと確信出来たのだろう。映画では描かれていなかったが、軍事独裁政権と民主化運動の時代を、ドクスとダルクはどう生きたのだろう。そんなことが少し気になった。
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