酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ネット右翼になった父」に我が父を重ねてみた

2024-09-28 20:18:15 | 戯れ言
  58年前の一家殺害事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審裁判で、静岡地裁は捜査機関による証拠捏造を指摘し、無罪を言い渡した。綿密に証拠物件を分析し、自白の任意性に疑問を呈した裁判長は、袴田さんの姉に「時間がかかって申し訳なく思っています」と謝罪した。袴田さんについては映画「獄友」を含め何度か言及してきたから、今回の判決に安堵した。

 自民党総裁に石破茂元幹事長が選出された。俺はアンチ自公だが、9人の中ではベストの選択に思える。自民支持者からこぼれてきた票を狙う立憲民主党には厳しい結果になった。野田執行部の面々には右派が目立ち、大政翼賛会を志向しているかに思える。現在日本の最大の課題、<格差と貧困の是正>は難しそうだ。

 タイトルにつられて「ネット右翼になった父」(鈴木大介著、講談社現代新書)を手にした。1973年生まれの著者は主にジェンダー問題、格差や貧困をテーマにルポルタージュを発表しているジャーナリストである。確執を抱えてきた父の晩年、病院に送り迎えすることはあったが、心を通わすことはなかった。亡くなったのは2019年だったが、書棚の本やパソコン内のファイル、そして口にした弱者や女性への嘲りの数々から、<父はネット右翼だった>と確信し、自身の思いを雑誌に寄稿する。

 なぜタイトルにつられたかは、俺自身の体験に基づく。父は公務員時代、上層部の勘気に触れ、閑職に追いやられた。無聊の父は工具を手に中庭に現れると、同僚の求めに応じてベビーベッドや本棚を作り始める。間もなく元の部署に戻された父は、奇人としての雷名を轟かせることになった。父の志向がアンビバレンツに引き裂かれていることを、子供の頃から感じていた。堅い仕事に敬意を抱いていた父だが、その資質は明らかに自由人、アウトローだった。〝アンビバレンツ〟は「ネット右翼になった父」を読み解く際のキーワードになる。

 鈴木の父は晩年、ヘイトスラングを口走るようになった。護憲や反原発を掲げる集会や講演会では高齢化が目立つが、<ネット右翼>にカテゴライズされる人々の多くも高齢者という。翻って俺の父も60歳以降、嫌韓嫌中のみならず、保守的な言動が目立つようになる。亡くなったのは「新しい歴史教科書をつくる会」が結成される1年前(1996年)だが、同会に参加した評論家の著書が机上にあった。

 中高生の頃、両親は選挙前、どこに投票するか議論していた。父は社会党、母は民社党(ともに当時)を推していたことが、90年前後になると、父は明らかに自民党支持者だった。年齢を重ねるにつれ、人は保守化する傾向はあるが、鈴木は母、姉、姪、叔父だけでなく、退職後に交流した人たちを取材し、検証することで、考えは変わっていく。父は何も変わっていないのではないかと……。

 嫌韓嫌中の言辞を繰り返しながら、鈴木の父は退職前に学んだハングルを「文字として合理的で面白い」と絶賛し、リタイア後は昆明で語学留学をしている。鈴木の父は欧米の方を嫌っていた。シングルマザーを蔑視し、土井たか子元社会党委員長ら、左派・リベラルの女性たちを罵倒していた父だが、会社員時代は女性を積極的に登用するフェミニストとみられていたという。

 興味深いのは子供との接し方で、鈴木の父は、鈴木や姉の前では堅苦しくなるのに、地域活動で子供たちに接する時は〝気さくで優しいおじさん〟になって慕われていた。これは俺の父にも当てはまり、俺や妹の前では渋面を作るのに、個人経営していた塾では親しみやすいオッちゃんだった。〝アンビバレンツ〟と上記したが、鈴木は検証に取り組み、真の父親像に迫っていく。本書は心温まる家族をテーマにしたルポルタージュだった。

 鈴木は父が頻繁にチェックしていたYouTubeの「月刊Hanada」や「デイリーWiLL」をネット右翼のコンテンツと分類していた。両者はともに安倍元首相の〝秘蔵っ子〟高市元政調会長を熱烈に支持していた。石破新首相は彼女をどう処するつもりなのだろう。
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