酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「心経」~尼僧と道士の恋物語が映す中国社会

2021-12-27 21:34:15 | 読書
 前稿末に記した有馬記念の予想は無残な大外れだった。俺が推した「ア」から始まる3頭は6、7、16着(最下位)に終わる。まあ、こんなものだ。ホープフルSは⑧ジャスティンパレス、⑨ボーンディスウェイあたりに注目しているが、自信はない。

 名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が死亡した件で、遺族らに新たな映像が開示された。日本の状況も危機的だが、中国では民主主義が死に瀕している。ウイグル地区、香港に対する弾圧に加え、<AI独裁国家>として国民を監視する姿勢に狂気が滲む。

 過去の体制批判で監視されていた唐吉田元弁護士と作家の郭飛雄が現在、所在不明だ。五輪開催に向けた当局の雑音封じとみられる。中国文学には詳しくないから郭飛雄は知らないが、ノーベル文学賞候補と目される閻連科(えん・れんか)の「心経」(2020年、飯塚容訳/河出書房新社)を読了した。閻は香港科学技術大学の客員教授だから、香港抑圧についての見解は推して知るべきだ。

 「心経」の背景にあるのは中国共産党の一党独裁、硬直した官僚機構、都市と地方の格差、はびこる拝金主義だ。舞台は北京の有名大に設置された宗教研修センターで、全土からやってきた仏教、道教、天主教(カトリック)、プロテスタント、イスラム教の五大宗教の老若男女の信徒たちが学んでいる。

 <当局が信者たちを弾圧>という構図が想定できるが、そうでもない。出世のために金を稼ぎたい主任は宗教間の綱引きゲームを企画するが、信徒たちも賞金目当てに熱狂している。主任の助手を務める道士の明正も野心家だが、18歳の尼僧の雅慧に懸想している。雅慧は世間知らずの女の子だが、他の信者たちも決して純粋というわけでもない。

 閻連科の他の作品は読んでいないが、虚実の境界を行き来するという特色があるという。宗教研修センターで綱引きというのは荒唐無稽な設定でユーモアに溢れているが、若者の燦めきも滲んでいる。二段組み340㌻の長編だが、雅慧の特技である切り絵が繰り返し挿入され、物語を寓話に高めている。雅慧と明正のラブストーリーは切り絵に描かれる老子と菩薩の邂逅とすれ違いを敷衍する形で進行する。

 俺が気になったのは、作者自身による「後記」と「日本の読者へのあいさつ」だ。本書は中国本土では発禁で、自国で読まれることはない。作家としてこれほど辛いことはないはずだ。続々と世界で翻訳される見込みだが、最初に日の目を見ることになった日本の関係者に感謝している。何より閻が遠藤周作の「沈黙」を大傑作と評価していることも大きい。

 後半に登場する権力者の無名氏が雅慧と明正に大きな影を落としていく。自身の出自を気にしている明正は、出世の手掛かりを掴むため、共産党の絶対的な力が窺える墓地群を徘徊する。雅慧も算盤を弾いて無名氏に近づくことになる。雅慧と明正がそれぞれ性器に自傷行為を施すあたりは、何かのメタファーなのだろう。

 宗教は中国から集団退場? を暗示するかのようなラストも衝撃だった。ダライ・ラマ、新疆への対応、そして道教と仏教を取り入れた法輪功への徹底的な弾圧を見れば、暗示ではなく、既に現実なのだ。習近平の神格化が加速している中国で、閻の作品が読まれる日が来ることを願っている。
コメント
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