酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

真冬の雑感~山中伸弥と平尾誠二、陽水&レイジ、そして山崎隆之八段

2021-02-05 13:10:49 | 独り言
 ウイズコロナの冬、あれこれ感じたことを綴りたい。まずは「ツーショット 最高のふたり~山中伸弥×平尾誠二」(NHK・BSプレミアム)から。番組は平尾の長男・昂太さんの証言を交えて構成されていた。両者の出会いは山中がIPS細胞発見で時の人となった2010年で、ノーベル賞受賞の2年前のこと。雑誌での対談がきっかけだった。

 同学年でラグビー経験のある山中にとって、平尾は憧れの対象だった。対談冒頭、平尾は先端技術と倫理観のバランスについて問い、山中も真摯に答える。その場に居合わせたカメラマンの岡村啓嗣は「平尾の目は知性、激しさ、悲しみを湛えている。彼以上に奥深さを感じた人に会ったことがない」とかつて語っていた。初対面の山中も同様の感想を抱き、平尾に魅せられたのだろう。

 高邁な魂は相寄り、互いを同志と直感する。ふたりを紡いだキーワードは<理不尽と逆境>かもしれない。ステージ4の胆管がんで余命3カ月を宣告された平尾に、山中は可能な限りの治療を施すため尽力する。13カ月に及ぶソウルメイトの熱い闘い、そして昂太さんが明かした家族の絆に心が潤んだ。

 平尾に重なるのはヨハン・クライフだ。進取の気性に富み、山中が提案した最先端の治療に、「世界で初めてやて。成功させなあかんな」と喜々とした表情で妻に語りかけていたという。代表監督としてW杯に赴く際、平尾は「自立した自由な個が、チームとしてまとまる形を示して、日本社会を変えるきっかけになれば」と語っていた。

 墓碑は平尾の生き様を象徴する「自由自在」だ。初めて墓参した山中は墓標に抱きついた。山中は今も平尾の魂と寄り添い、IPS細胞のがん治療への応用に向け奮闘している。

 先週末はスカパーで放映された2本のライブを見た。まずは井上陽水から。「氷の世界40周年記念ツアー」(NHKホール、2014年)を収録したもので、陽水の情念とシニカルのアンビバレンツを堪能する。

 携帯やメールがなかった時代、「傘がない」、「心もよう」はリアリティーがあった。陽水の声は圧倒的で、<陽水が流れると客は手を止め、パチンコ店は静寂に包まれる>という都市伝説がまことしやかに語られていた。カラオケの愛唱歌で桜を鑑賞するたび口ずさんでいるのが「桜三月散歩道」だ。陽水の曲に頻繁に表れる<狂い>の色濃い曲だが、本人は「レコーディングして以来、歌った記憶がない」とMCしていた。

 もう一本は歴史的ドキュメンタリー、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ライブ・アット・フィンズリー・パーク」だ。英国では2000年代後半、「Xファクター」(オーディション番組)優勝者のデビューシングルがクリスマスウイークで1位になるのが恒例になっていた。今と変わらず、格差と貧困が拡大し、新自由主義が世界を貪っていた当時(2009年)、ロックファンが「キリング・イン・ザ・ネーム」を1位にしようと呼び掛ける。

 レイジは革新的なサウンド(ミクスチャー)とラディカルな知性を併せ持つLA出身のバンドだ。ステージにゲバラの写真を掲げる反グローバリズムの旗手で、ノーマ・チョムスキー、マイケル・ムーアらと交流がある。「キリング――」のダウンロードは最終日に10万枚分が購入され、17年前の曲が全英チャート1位に輝く。レイジは感謝の気持ちを込めフリーコンサートを行った。

 ♪この世界を操る権力の中枢には十字架を燃やす者(KKK)と同類の人間がいる バッジを身に着けた選ばれし白人(警官)に殺戮の権限を与えているのは誰か(「キリング――」の歌詞の抜粋)……。1991年、ロドニー・キング事件に端を発したロス暴動に合わせて発売された同曲に重なるのは、トランプ支持派とブラック・ライヴズ・マターだ。レイジは30前に世界の構造を見据え、抵抗の意思を表現していた。

 イベントに関連する全収益はホームレス支援団体に寄付された。レイジは世界を変えたバンドとしてクラッシュを挙げ、「白い暴動」を演奏する。目の当たりにして衝撃を受けたクラッシュ、そしてレイジのパフォーマンスが記憶の中で交錯し、そして思った……、コロナ禍はロックの熱さをも壊してしまったのかと。

 年度末に向けて佳境に入っている将棋界では、来週にかけて注目の対局が目白押しだ。昨日、吉報が届く。B1順位戦で山崎隆之八段は久保利明九段に敗れたが、他の対局の結果、A級昇級を決めた。個性派揃いの森信雄門下で、故村山聖九段は同郷(広島)の兄弟子である。

 閃きを重視し、「盤面を見たら誰が指しているかわかる」とプロ仲間が口を揃えるほど指し手は独創的で、久保に敗れた対局でも初手に端歩を突いていた。将棋界には<創造は実利に負かされる>という不文律がある。新手を繰り出しても研究によって裸にされるからで、山崎は天才であるがゆえの苦悩を味わってきたはずだ。

 サービス精神とユーモアに溢れ、失言、反則負け、勝負弱さなどエピソードに事欠かない。10年以上も前のこと、NHK杯で解説を務めた山崎は、青野照市九段を「将棋界にまれな人格者」と紹介し、聞き手の千葉涼子女流に悲鳴を上げさせる。名人戦の毎日から朝日への移管問題で揺れていた頃、連盟トップの人格と見識を疑う声が上がっていた。急先鋒は渡辺明竜王(当時)だったが、山崎の〝失言〟計算され尽くした援護射撃だったかもしれない。

 〝棋界のプリンス〟と呼ばれた山崎がB1に13年とどまっている間、弟分の関西の俊英たちに先を越された。忸怩たる思いはあるだろうが、不惑を目前に控えた〝遅れてきた青年〟にはA級で大暴れしてもらいたい。
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